隠れ鬼.三
「かくれんぼぉ!? 嫌よ、そんな子供みたいなこと」
ヒノトの提案に唯一反対したのは紗千であった。
まあ、いつもであれば俺も紗千の側へ付いただろうが。
「お前だって子供だろう」
「何ですってぇ!」
俺の言葉に鋭い視線で返す。そうやってすぐに向きになるところも十分子供だと思うのだが。
「自分が大人って言うならガキの遊びに付き合ってやるくらいのことはしろ」
「キョウが言えることではないな」
すかさずミが冷静な意見を言う。
「さっちゃんもやろーよーかくれんぼ」
「やろーやろー」
ヒノトとツヅミが紗千に縋るように駄々を捏ねる。
「わっ、わかったわよ! だから離しなさいって、そこ引っ張ると脱げちゃうんだってば!」
案の定すぐに折れた。こいつらにああされては仕方がない。それは俺も良く知るところだ。
「じゃあヒノト鬼やるー」
「ツヅミもー」
「ちょっと待て、鬼はこいつらでいいんじゃないか?」
俺は雷華と紗千を指さした。正真正銘本物の鬼なのだし。
「はぁ? 探し回る役だなんて、そんな面倒御免よ」
紗千はあからさまに嫌そうな顔をした。
「ヒノトがやるのー」
「ツヅミもーツヅミもー」
「そうは言ってもお前らじゃ上手く探せんだろう。いつまでかかるのやら――って、おい離せ! わかった、わかったから」
「ならばこうしよう。見つかった奴は鬼と一緒に探してやる」
ミが提案をする。
「そして最後まで残ったら残った者の勝ち。全員見つかってしまえばヒノトとツヅミの勝ち。どうだ?」
「ああ、いんじゃないか?」
俺は適当に相槌を打ちつつ、既に隠れることばかり頭にあった。どんな些細なことでも勝負と聞けば本気にならざるを得ない。
「じゃあいくよー、いーち、にーい」
ヒノトとツヅミが柱に顔を伏せ、数を数え始める。
足早に散ったミと雷華に加え、紗千も溜息混じりに歩き出した。
さて、南京錠はどこだったかな。
「ここを選ぶとはなかなか見どころはあるが生憎俺が先客だ。出てけ」
家の外にある土蔵に入って間もなく、扉が開いた。
もう鬼に見つかったかと内心冷や冷やしたが、相手は紗千であった。まあ(ある意味)鬼だが。
「嫌よ、あんたが出なさい」
どうやら引くつもりはないらしい。まあいい、どの道ここは安全なのだ。下手にこいつと悶着を起こして騒がれる方が危険だ。
俺は早々に諦め、土蔵の扉に鍵を掛けると床に腰を下ろした。土蔵の南京錠には鎖を使用しており、それを両側の取っ手に潜らせるようにして鍵を掛ける為、内側からでも問題無く掛けることができる。レンさんが面倒がって土蔵に鍵を掛けることなく、南京錠を鎖と共に仕舞っていたのを知っていたのでこの方法を思いついた。
「ちょっとお! そんなのズルじゃないの!」
それに気付いた紗千が声を上げる。
「うるせえ、勝てればいいんだよ。俺はな、どんな勝負でも負けるのが我慢ならないんだ」
「ほんっと大人げないわね、あんた」
「相手が子供なんだ、ならそれに合わせてやるのが筋ってもんだろう」
「屁理屈言ってんじゃないわよ! 大体あんたは――むぐっ!?」
「しっ! 黙れ!」
土蔵の外に微かな足音を感じ、咄嗟に紗千の口を覆った。
「むむーむむー」
暴れる紗千を空いた方の手で無理矢理押さえつける。
ぱしゃり、ぱしゃりと、泥水を踏むような足音は徐々に大きくなると急に止んだ。そして土蔵の扉ががちゃがちゃと揺れた。しかし開くわけがない。扉には鍵が掛かっているのだ。二、三度扉を引き、諦めたのか、再び足音が鳴ると、その音は遠くなっていった。
「よし、どうやら行ったみたいだな……」
「気易く触らないで!」
手を緩めた途端、紗千は俺の手を振り払った。目には涙を浮かべ、顔は薄闇でも真っ赤であることがわかった。そこまで力を入れたつもりはないのだが、やはり相手は子供だったようだ。
ぱたぱたと瓦を打つ雨音だけが土蔵の中に響いている。
「なんか話しなさいよ」
沈黙に嫌気が差したのか紗千が口を開いた。こっちとしてはこのままでいてくれた方が楽で良かったのだが。女という奴はどいつもこいつもお喋りが好きらしい。何とも面倒なことだ。
「なんかって何だ?」
「あんたが考えなさいよ。ほんっとつまんない男ね、あんた」
「お前の知らない話なら沢山知っている。俺は本島出身だからな。だがお前も俺の話を聞きたがるとは、ヒノト達と変わらんガキだな」
「何よ、嘘吐きのくせに」
「そういう所がガキだってんだ。ガキの言うことを簡単に信じるな」
「ふん、どいつもこいつも屁理屈だけは達者ね」
皮肉っぽく言った紗千の言葉の矛先は俺と、あとは恐らく雷華のことだろう。
「お前は随分とあのガキを目の敵にするじゃないか」
「別に、あんたには関係ないでしょ」
「関係無くはないぞ。あのガキはヒノト達への囮に打って付けなんだ。お前が二階に引き籠って長々と無駄な説教を垂れない限りな」
「無駄って何よ。子供の遊びなんかよりずっとあの子の為になると思うけど? わたしの言葉に従うのがあの子にとって一番良いことなの」
「阿呆か、どんな奴にだって一番良い選択なんてわかる筈もない。どんな道に進もうとも良いことと悪いことが必ずあるんだ。最後にその量を測って結果的にそれが一番だと思えてもそれは結果だ。途中でそれが一番だなんてわかる筈もないだろう」
「わからないわよ」
紗千は急に声を低くした。
「だからわからんと言っただろう」
「違うわよ、あんたの言ってることがよ」
そういうと、紗千はこちらへゆっくりと近付き、俺が腰掛けている長持ちに並んで腰掛けた。
「…………ふーん……」
紗千は急に何かに気が付いたかのように、俺の顔を覗き込む。心なしが、頬をほんのりと赤らめている。酒でも飲んだのか。
「なんだよ気持ち悪い」
「あんた……良く見ると、下品なくせに案外綺麗な顔してるわね。ま、わたし程じゃないけど……、ジュソ退治なんかより女形の方が向いてるんじゃない?」
「ふざけてると泣かすぞ」
紗千はハイハイと、腹の立つような態度をとると、すぐに語調を改めた。
「雷華はね、本当はわたしなんかよりずっと強い筈なの。祓詞や札の扱いはてんで駄目だけど、それでも鬼の力はわたしなんかじゃ太刀打ちできないくらい持っているのよ。悔しいけどね。それが血筋だもの、しょうがないわ。なのに祓えない、何故だかわかるでしょう?」
「さあな」
紗千の言わんとしていることはわかったが、子供に誘導された質問に易々と答えるのは癪だった。
「向いてないからよ。力がじゃない、心が向いてないの。結果って言うならもう結果は出てるのよ。これは力を付けてジュソに立ち向かうか、普通の女として一生を終えるかの選択じゃない。結果はもう出てるの。雷華は力があってもジュソを祓えないっていうね」
「わからんなぁ」
今度は俺がそう返す。
「俺が言う結果ってのは死ぬ時って意味だぞ。死の淵に立つその時までは何が起こるかわからないってな」
「死ぬに決まってるじゃないの! それがあんたの言う結果ならそれこそ答えは出てるわよ! 死の淵に立って、そのまま死ぬのよ! あの子は!」
紗千は自分自身の声がだんだんと大きくなっていることに気付いていないのだろう。この土蔵に隠れた根本的な目的は、最早どうでもよくなっているようだ。
俺は俺の言葉に別段意味を持たせて言っているわけではなかった。適当にそれらしいことを言っているに過ぎない。ただこの娘の意見と反対のことが言えれば良い、それくらいの気持ちだ。この娘がどの程度の情意でもってこの会話をしているのかわからないが、少なくとも俺はこのガキ共の問題に、何ら意見というものを持ち合わせてはいないのだから。
「ならば死ねば良いだろう。それともお前はあのガキに死んでほしくないのか? 俺にはそうも聞こえるぞ」
「なっ、何言ってんの! 知らないわよそんなの! あの子がどうなろうと……」
「それにしては必死じゃないか。今日だって随分と熱心に説教を垂れていたようだし」
これ以上声を大きくされては見つかる危険が高まりそうであったが、他人が自分の言葉でしどろもどろする様は見ていて面白可笑しかったので、ついつい口を開いてしまう。
「あんなのは気まぐれよ! 気まぐれにあの子に自分がどんなけ無力かを知らせてあげてただけ。いいでしょ? 余裕がある人間がああやって助言をすることがあっても。それでも死にたければ勝手に死ねばいいわ」
「まあ、そりゃそうだ、本人が望んでやってることだらな。勝手にやって勝手に死ねばいい。余計なお節介など必要無い」
「くっ……」
ここでようやく紗千の言葉に賛同してやるが、やはり本人は釈然としないようだ。
「で、でも死なれたら死なれたでそれも面倒なのよ。そ、そうよ、同じ村のわたしが色々やらなくちゃいけないわけだし、そう、だからわたしは……」
「だから何で死ぬと決め付ける。死んだら死んだでいいが、死ぬとも限らんだろう。お前は最初から何でもかんでも決め付けたような言い方をするが、それが良くないんだ」
紗千は必死に返す言葉を探している。
「何でもかんでもすぐ決め付けるのは馬鹿のすることだ。思い掛けぬことなんてのは案外起きるものだしな。それこそ結果が出るまで、死ぬまでわかりはしない。まあ、それが良いこととも限らんが」
「馬鹿のあんたに言われたくないわよ」
急に冷静な返し方をされた。さっきのばばあの影響だろうか。腹が立つ。
「ああ? 泣かされたいか、小娘」
「なによぅ。変なことしたら大声出すからね」
凄む俺を、元々隠れている着物の胸元を両手でさらにきゅっと引き寄せ、怪しいものを見る目で睨んできた。
「それは困るな」
「へ?」
俺の言葉に、紗千が拍子抜けして間の抜けた声を上げた。
勝負の途中では仕方がない。ここは我慢しておいて後ほど今の言葉に対する制裁を加えることとしよう。
それはそうと、どれ程時間が経っただろうか。結構長い間この土蔵にいる気もするが、話をしていた所為か余り感覚が無い。探す側の奴らはもうそろそろ降参だろうか。恐らく室内を中心に探しているであろうあいつらを、ここから窺い知ることは到底できなかった。
そんなことを思っていると、ふとある疑問が頭に浮かぶ。
そもそもこの遊び、いつになったら終わりなんだ?
探す側の人間は隠れた人間をすべて探し出してしまえば良い。だが、隠れる側の人間はどうなる。いつまでこうしていれば良いのだ。勝負という場合、こういうものは事前に制限を設けておくものではないのか。
そう考えると急に馬鹿らしくなった。勝負がつかない勝負など、しても意味が無い。時間の無駄だ。そう思い、懐に手を入れる。そしてあることに気が付く。
はっとして上体を起こすが、すぐに諦め、また寝そべる。
「やはり、俺は正しいな。こんな話に中身を持たせるつもりなんて毛頭なかったんだが」
「はあ?」
意味を掴みかねた紗千が気の無い声を漏らす。
「まさかこんなことになるとはな。まさに思い掛けなかった」
生きていればこんな過ちを犯すことなどいくらでもありうる。そしていくら実力があろうと、些細なことが原因で命を落とすことだってあるのだ。
「何がよ」
「まあ大したことでもない。今回に限れば命に関わるわけでもあるまいし」
俺は懐から手を出すと腕を組み、埃の積もった天井の梁を見上げる。
「だから何よ! 早く言いなさいよ!」
「鍵が……見当たらない」
確かに南京錠と一緒に持ってきたのだが、途中どこかで落としたらしい。
「――――っっっっ!?」
紗千が悲鳴とも呻きともわからない奇怪な声を上げた。
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