泣いた鬼.五
「ぼくは出来損ないで、両親からはとっくに見限られています。それでも、村の人達は僕のことを見つけるなり、鬼神様とか、鬼子様、とか呼んで敬ってくれるんですけどね。基本的に見えるような所では戦いませんから。あの人達は僕に守られてるって信じてるんです。でも……それが逆に辛くて……」
この村まで逃げて来ちゃいました、と雷華は力なく苦笑した。二本の鋭い八重歯を見せ、その笑みは投げやりな自嘲を含んでいた。
俺達は結局ミに無理矢理、霧乃園なる甘味処に連れて来られた。
昼過ぎだというのに店内には俺達以外に人はおらず、雷華の声の他には奥で店主らしき若い娘が茶を準備する音しか聞こえない。この店の儲けの程が心配になるが、それでも正直、静かで落ち着く所だと思った。それならば一人で来てみようかとも思ったが、この店を紹介したのがこのとろい女であるということを思い出し、それはないなと考え改めた。
そもそも俺にはそんな金は無い。
「それである時思ったんです。もし、一人でジュソを祓うことができれば、大手を振って父と母のもとに帰れるかと」
ぼうっと店内の品書きやら、たった三人の客相手にあたふたと慌てるように働く店主の様子やらを眺めていたが、ジュソという言葉に反応し、意識を話の方に戻される。
「それで、あの森に一人で?」
ミは真摯に雷華の話に耳を傾けているようだ。
「はい、この村に着いてからそれ程日にちは経っていませんが、あの森からジュソが湧きやすいという噂は何度か耳にしていましたので」
ジュソ退治は二、三人で行くのが定石、というミの言葉を思い出す。こいつの理由はそれ程切迫したものなのだろうか。定石を知った上で、それも自分に力が無いとわかった上で、そのような結論に達したとしたらそれはこの娘にとってよほどのことなのであろう。
「ところで、キョウさんはこの村から出たことがないのですか? えっと、その、鬼についてもあまり知らない様子でしたので。山を一つ越えた先にある僕の村では鬼の家系がたくさんありますから」
この娘、何故だか俺に対して話す時だけ、声色が少々不自然に上擦る。先程の俺の言葉が相当応えたのだろうか。自分ではそれ程きつく言ったつもりはないのだが。
「ない。というよりも俺はそもそもこの島に来たばかりだ」
「本島の人間ですか……」
途端に雷華は顔を強張らせた。声色も急に落ち着いたものに変わる。
無理もない。この島の人間は本島の人間を毛嫌いしている。それは、この島が呪われた島だからだ。本島の呪いを一身に受けたこの島を、本島の人々は呪われた島と呼ぶ。これ程不条理なことがあるであろうか。この島に来て間もなくレンさん達の世話になっている俺は、全くそのような様子を見せない彼女らのお陰で、まるで実感がわかないでいたが、この娘の反応で改めて自覚した。
これが普通の、この島における正常な反応なのだろう。
「あの、僕から質問をしておいて勝手ですが、あまり大っぴらには言わない方がいいですよ。その、あの……何かと……ありますから」
「ああ、わかってる」
「キョウさんはこんな所まで来て、何故ジュソを退治しようと思ったんですか? 本島にはそんな依頼を請け負う仕事があるのですか?」
「キョウはな、ジュソを切るのが好きらしいぞ」
俺の回答が一瞬遅れたすきに、ミが会話に割って入る。
自分で言ったことではあるが、他人の口から改めてそれを聞くと、酷く可笑しい言い草だと思った。奇人変人と見られても文句は言えまい。
「ジュソを? 何故です」
案の定雷華は、困惑とも不思議ともとれぬ、複雑な表情を見せる。
どう弁明したら良いものか。
「修行だ。相手が強ければ何でも良いが、人を切れば罪になるだろう。俺は自分の力が試せればそれで良いんだ」
それがもっともらしい理由に聞こえたかはわからない。
「はぁ、そう……なんですか」
俺の無愛想な言動に何か感じ取ったのか、雷華は慌てて今度はミに視線を移す。
「それで、そのずっと気になっていたんですけど……ミさんの後ろの……それって、やはり……?」
どうやら雷華にはジュソが見えるようだ。森で襲われていた時は、ジュソに憑かれていたことを考えると別段不思議ではない。だがヒナとなると話は別だ。ヒナが見えるのは憑かれているミ自身か、俺くらいの筈だ。
ヒナはいつしか自分に視線が注がれていることに気が付き、くりっと小首を傾げた。
「見えるのか?」
視線を一瞬ヒナに向けた後、雷華に問いかけた。
「はっきりとは見えません。靄がかかったように薄っすらとです。鬼は人よりもジュソのような怪異に寄った存在ですから、ぼくの家のような鬼の血が濃い家系ではジュソを見たり、ジュソに触れたりできるんです」
「そうか、だが心配には及ばないよ。この子はまだ大丈夫だ」
ヒナの頭をやさしく撫でながらミはそう雷華に言った。
急に撫でられた方のヒナはあまり状況が飲み込めていないのか、不思議そうに目をぱちくりさせ、ミと雷華と時たま俺を交互に見るのであった。
「まだ……ですか」
『まだ』という言葉に不安を隠しきれない様子がありありと見て取れた。
「それに、雷華を襲うことはない。ジュソは自身が憑いた人間を狙って殺す」
「いえ、ぼくは何もそんなつもりで言ったわけではありません」
雷華は慌てて否定した。
「ただ、複雑な気持ちであることは確かです。自分の命の恩人がこんな危険な状態だなんて」
「わかっている。わたしだってわかっていてそのままにしているのだ。ジュソを憑けておくことが自殺行為に等しい愚行だということを。ただ今はまだ必要なんでな。見逃してくれ、な?」
その語調は決して命に関わる話をしているようには思えない、どちらかというと子供をあやすようなものであった。
「そ、そんな、見逃すだなんて。ぼくにはそんな偉そうなこと言う資格は無いです」
ミの言葉に雷華はそう声を小さくした。
「そう卑下するな。それよりここのわらび餅はどうだ? 絶品だったろう」
「はい、とてもおいしかったです。あ、ここはぼくが持ちます。助けて頂いたお礼です」
そう言うと雷華は懐を探り始めた。
「いや、それでは食べさせてやるといったわたしの立場がないだろう」
ミは片手で雷華の腕を制しながら言った。
「それはいいが、お前、金はあるのか? お前もレンさんに世話になっている身だろう。ちなみに俺は一銭も無いぞ? そもそも本島の通貨とは違うしな」
「家を出る時にある程度持ってきた。底を突くのは時間の問題だがな。まあその時はその時でまた、こっそり家に帰って持ってくるまでだ」
「なんだか盗ってくるみたいな言い方だな……」
こいつの両親は何とも不憫だ。
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