泣いた鬼.四

「あああの、ありがとうございます!」

 白髪巫女装束の娘は頭をこれでもかと下げ、礼を述べた。目にはまだ、溢れんばかりの涙を浮かべたままであった。

「ぼくは志乃咲雷華しのざきらいかといいます」

 頼まれてもいないのに娘はそう名乗った。これ以上関わる気はないので、名など教えられたところで何の意味も成さないのだが。

「ああ、あの志乃咲家の者か」

 面倒なことに、どうやらミには心当たりがあるようだ。

「志乃咲家?」

「鬼の家系としては有名だ。その功績で島中に名を馳せている」

「鬼? 鬼って、あの鬼か?」

 あの鬼かと口をついて出た言葉は、別に鬼というものがどういうものか説明を求められると困ってしまうくらいに、鬼について何かを知っているわけではなかったが、言葉として知っている鬼に対して抱く想像と全くかけ離れている姿を見て思った、純粋な感想であった。

 俺は雷華と名乗った娘の姿をまじまじと見る。その服装こそ森の中では異様であったが、それ以上に異様なものが目に入った。それは本来人にあってはならないもの。ぼさぼさな白髪に隠れ目立たない為、これまで気がつかなかったが、頭から左右に二本、角というよりも、白く角ばった小石のようなものを生やしている。

 なるほど、この辺が鬼なのだろうか。

「ぼくの家はこの島に代々続く鬼の家系なんです」

 俺の視線に気がついた雷華は何故だか顔を赤くし視線を逸らすと、徐に話し始めた。どうやらミは事情に詳しいらしかったので、恐らくこれは俺に対する説明だろう。

 だが、せっかくの説明も鬼を知らない俺にとっては全く無意味だ。

「ぼくの家の祖先はかつて鬼子として忌まれ、この島に流されました。この村には無いようですが、島にはそんな経緯で発祥した鬼の家系がいくつかあるんです」

 島流しか。確かに、そのような話は珍しい話ではない。この娘のように生まれつき白髪であるなど、異様な外見で生まれてくる子は鬼子として殺してしまう風習。それは、文明が発達した今なお、執拗に根付いている地域もある。そのような地域には、電気などではなく、目に見えぬ、根本的な文明の灯というものすら届いていないのだ。外から見ればそんな風習は、生まれてくる鬼子以上に忌わしく、恐怖に満ちているであろうが、中でそれを見る人々にとっては疑う余地なんて微塵も無い。暗く、狭く閉ざされていれば、知る術もない。それが風習というものだ。正常、異常なんて言葉は最初から意味などないのだ。

 他の奴らだってそうだ。この島に住む者の大半は祖先が罪を犯し、この島に流されたと聞く。家を捨て、名を捨て。だから今の自分達が呪いを受けている現状を呪うならば、自らの祖先を、風習を呪うしかないのだ。それを当たり前のこととしてきた過去を、ただ呪うしかないのだ。

「そんなお前がこんなところで何をしている」

 とりあえず、鬼に対する疑問は多々あったが、聞いたところでどの道理解ができる自信がなかったので無理やり話を進めることにする。

 昼間とはいえ、わざわざこんな薄暗い森に一人で入るなど、子供と言えどこの島に住む者であれば、それがどれだけの危険を孕んでいるのかくらいわかりそうなものだが。

「何って、仕事ですよ。この島の鬼の家系は大抵、ジュソ退治を生業としていますからね」

 その答えを聞いて、俺は心底呆れ返る。

「ジュソ退治ってあれがか? どう見ても一方的襲われているようにしか見えなかったぞ」

「…………」

 その言葉を聞くなり雷華は表情を曇らせ、すっかり鳴りを潜めてしまった。

「ったく、自分の力量も知らないで返り討ちとはとんだ阿呆だな。これじゃあジュソを退治するのが仕事ってよりも、ジュソに襲われるのが仕事って言う方がよっぽど合ってるぞ」

「…………」

「これに懲りたら家に帰って大人しくしていろ。次見つけた時は助けてやらんからな。鬼だか何だか知らないが、勝手に野垂れ死ね」

「ふっ」

「ふ?」

「ふ、ふぇぇぇぇぇん」

 両の拳を握りしめ、顔を伏せたままに、とうとう泣き出してしまう。ああ面倒だ。

 ぼろぼろと零れ落ちる大粒の涙は、袴の赤と地面の土色を点々と濃くしていった。

 その様子を見て、俺の中で一層鬼という言葉からかけ離れて行った。

「…………泣かせた……」

 後ろからヒナの声が微かに聞こえた。

「泣かせたな」

 次いでミがやれやれとでも言いたげな表情で、雷華の頭を撫でてやる。頭から生えている二本の短い角の所為でとても撫で辛そうだ。

「キョウ、相手はまだ年端も行かぬ子供だぞ、少しは容赦しろ。それでなくともキョウの顔はいつも怒っているようで怖いんだ」

「…………」

 何も言い返すことができない分、あからさまに面倒だという表情を向けてやる。

「ふぇぇぇん……ひっく……ふぇぇぇん」

「よしよし、もう泣くな。怖かったのだろう。わたしがとてもおいしい抹茶わらび餅を食べさせてやるから。な?」

 子供をなだめる母親のような表情で

「お前、最初から食べに行くつもりだったろう……」

 雷華はぼろぼろと溢れる涙を白衣の袖口でぐいと拭うと、

「子供扱い……ひっく、しないで下さい……」

 と小さな鬼は小さく漏らした。

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