レベッカの思惑

 ワシントン州 ハリソン夫妻の自宅 二〇一五年六月一二日 午後三時〇〇分

 正式に捜査に加わるメンバーを知ったレベッカは、フローラやAMISAが調べて欲しいと依頼されていた事項から報告する。


       『【ルティア計画】関係者の行方について』


一 ルティア夫妻が国外逃亡したとの連絡は、今のところFBIから受けていない。引き続きコロラド州や近辺の宿泊施設を中心に、彼らの行方を探す。

二 ルティア夫妻以外に判明している数名の関係者については、数ヶ月前に全員亡くなっていることが確認された。関係者はいずれも毒殺されており、司法解剖の結果という花が使用されたことが判明する。

三 関係者の殺害を行った犯人の目星はついており、FBIはルティア夫妻だと考えている。【ルティア計画】の真相が公になる前に、ルティア夫妻が先手を打ったと思われる。

四 社会医療福祉センターの職員へ事情聴取した結果、シンシアとモニカの両名を誘拐したのはルティア夫妻であることが判明する。資料やカルテに残されていた情報が事実である場合、ルティア夫妻は今後二人を治療・もしくは殺害する可能性がある。行方がつかめないということもあり、捜査はこれより本格的になる。


「……以上となります。正直なところ、昨日からあまり捜査が進展していません」

 捜査状況を説明するレベッカの口調は、どこか重苦しい雰囲気を感じさせる。

「そんなことありません。FBIやクレット捜査官たちのおかげで、ルティア夫妻は悪いことが出来ないだけです。最初から諦めるようなこと、言わないでください!」

 とっさに香澄が落ち込み気味のレベッカを激励し、彼女なりの方法で重苦しい空気を払おうと必死だ。捜査や調査に関しては素人の香澄だが、“大惨事となる前にルティア夫妻たちを確保して、私たちや国の安全を守らないと”という信念は誰にも負けない。

 最初は“ただの興味本位で捜査に参加する”と思っていたレベッカだが、真剣な香澄の瞳を見てすぐにその考えは間違いだと気付く。香澄の瞳の奥には、誰にも消すことが出来ない強い光がさしていた。


 そんな香澄の気持ちを知って安心したのか、思わず“純粋でいいわね”と言葉をこぼしながら笑みを浮かべるレベッカ。一方で“どうして笑うの?”と、軽い苛立ちを覚える香澄。

「……いえ、違うのよ。以前私がFBIを目指していた時のことを思い出したの。別にお嬢さんのことを馬鹿にするつもりはないのよ。ごめんなさい」

捜査官の口調から一人の女性の口調へと変わるレベッカに対し、何も言えなくなってしまう香澄。


 レベッカの意外な一面を見た香澄は、彼女ともっと親密になるチャンスだと思った。一時的な関係とはいえ、自分の命を守ってもらうことに変わりはない。

「あの、クレット捜査官。悪気がないのは承知していますが、出来れば私のことを呼ぶ時はで呼んでいただけませんか? その方がこちらも話しやすいというか……」

あえて回りくどい表現はせずに、単刀直入に“私のことを名前で呼んで欲しい”と香澄はお願いした。


 出会った数時間も経たない相手、しかも相手はフローラと同じくらいの年齢の女性。しかも現役のFBI捜査官でもあるレベッカへこんなお願いをして、“いきなりこんなことを言っても、断られるのでは?”と一人不安になる香澄。

「……分かったわ。別に私もあなたを子ども扱いしているとか、そういうつもりはないのよ。変に気を使わせてしまってごめんなさい、お嬢さん……いえ、

意外にも早く、香澄の提案をレベッカは受け入れてくれた。


 その言葉を聞いた香澄は、“ありがとうございます、クレット捜査官”とレベッカにお礼を述べる。すると今度はレベッカが

「あなたのことを名前で呼ぶのだから、私のことも“レベッカ”って呼んでもらって構わないわよ、かすみ。……そちらの可愛らしいお嬢さんも、私のこと名前で呼んでいいからね。それであなたのことは“ジェニー”という呼び方でいいかしら?」

自分のことを名前で呼んで良いと、香澄と自分の隣にいたジェニファーへ伝える。


 実はここでも心理学における会話テクニックが使用されており、『カクテルパーティー効果』と心理学用語で呼ばれている。人の心は自分の名前を積極的に呼んでくれる人に対し、特別な感情を抱くことが多い。その特徴を活かしたのがこの『カクテルパーティー効果』で、相手に好印象を与えることが出来る。

 今回のように同性同士の関係なら、比較的簡単かつ効率良くお互いの友好関係を深めることが出来る。また異性同士での関係であれば、それが恋愛に発展する可能性もある。

 実はこの『カクテルパーティー効果』という心理学テクニックは、香澄がエリノアと初めて会話した時に使用された手法でもある。ただ初対面なら誰にでも使用するというわけではなく、香澄なりにその使い分けをしっかりと意識している。


 例えば最初にエリノアやレベッカらと出会った時のように、“私はこの人ともっと仲良くなりたい、この人のことをもっと知りたい”と思った場合には、香澄の方から『カクテルパーティー効果』を意識したやりとりを行うことが多い。

 逆に香澄が初対面で不快感や嫌悪感などを抱いた場合においては、彼女はこの『カクテルパーティー効果』を使うことはない。同じ心理学サークル部員の中でも、嫌悪感を抱いたアルバートに対しては、逆に香澄自身から距離を置くことが多い。


 この『カクテルパーティー効果』という一回でも多く相手の名前を呼ぶを強く意識して、相手との友好関係を保ち続けることが、将来臨床心理士を目指す香澄なりの手法でもある。この手法はフローラから教わったものではなく、これまでの人生経験の中から学び取ったものでもある。

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