Kidnapping(誘拐)

ルティア夫妻の誘拐計画

   コロラド州 医療福祉センター 二〇一五年六月一一日 午後七時三〇分

 ジョージタウン大学病院で香澄とフローラがロバートと面会している同時刻、コロラド州にある医療福祉センター『HOPE』の前に一台の黒い車が停まっていた。車内には四〇代から五〇代と思われる一組の夫婦が、何やら真剣な顔で話し合いをしている。

「……というプランでいくわ。私が職員の気をそらしている間に、あなたは二人を……」

「あぁ、任せてくれ。中の様子は事前に医師として訪れているから、ばっちり把握しているよ」


 どうやらこの二人は何か悪だくみを考えているようで、施設にいる二人の人物を誘拐する計画の最終打ち合わせをしているようだ。辺りはすでに暗く、誘拐するには絶好の時間帯。しかし大金が眠る銀行を襲うならまだしも、医療福祉センターを襲うとはこの二人は一体何を考えているのだろうか?

「あの二人が精神病棟へ移される前に、何としても僕らで取り戻すんだ。準備はいいかい、リサ?」

「私はいつでも準備出来ているわ、アーサー。シンシアとモニカを連れ出すのは、今しかないわ」


 そう――この医療福祉センターには、数週間前にワシントン大学で問題を起こしたシンシアとモニカの両名がいる。そして彼女たちを連れ戻そうとしているのは、香澄たちが血眼ちまなこになって行方を探しているルティア夫妻。お互いに歳を取ったルティア夫妻だが、今でも【ルティア計画】に対する情熱は失っていないようだ。

 車の中で誘拐の成功を祈るという意味を込め、お互いにハグとキスを交わす二人。


 いよいよシンシアとモニカの両名を誘拐する計画が始まった。最初にリサが車から降りて、そのまま社会福祉センターへと向かう。そして何食わぬ顔でインターホンを鳴らし、職員を呼び出す。

「私、先ほどご連絡した医師のレナードと申します。今日はこの福祉センターで治療を受けている患者さんについて、いくつか伺い事がありまして……」

 相手に悪印象を与えないように意識しているためか、実に品の良い言葉を話すリサ。この時リサは身分証を提示していたため、誰も彼女の素性を疑うようなことはしなかった。なおレナードとは、リサがアーサーと結婚する前のファミリーネーム。


 リサが職員の注意を惹きつけている間に、黒いスーツに身を包んだアーサーが福祉センターの裏口から侵入する。職員のほとんどが午後七時以降に帰ることを事前に調べ上げており、この時ばかりは裏口の鍵も開いている。その事実を逆手に利用したアーサーは、他の職員に知られることなく中へと入ることが出来た。

 気配と足音を殺しながら、一歩ずつシンシアとモニカの部屋へと向かうアーサー。職員は妻のリサが惹きつけているため、アーサーは堂々と行動することが出来る。

『まずはシンシアから……あっ、この部屋だな』


 ドアノブに手を回すと、案の定鍵はかかっていない。ゆっくりとドアノブを回すと、彼の眼にはベッドの上でぼーっとしているシンシアの姿が移る。突然部屋へ入ってきたアーサーを見つめるシンシアだが、何故か彼女は叫び声一つ上げなかった。しかし叫び声こそ出さなかったものの、彼の姿を見たシンシアの顔はどこか怯えているようにも見える。


「さぁ、シンシア。君を助けにきたよ。いい子だから、こっちにおいで」

シンシアの警戒心を解くために、優しい口調で問いかけるアーサー。もちろん彼の本心はまったくの別で、目的はあくまでも彼女の誘拐。

「……うん」

 マインドコントロールされているためか、アーサーの言葉を鵜呑みにしてしまったシンシア。まるで操られているかのように、ゆっくりと無言で彼の元へと歩くシンシアの姿があった。

 同じ要領で隣の部屋にいるモニカも連れだしたアーサーは、二人を連れて社会福祉センターから抜け出す。


 社会福祉センターから少し離れた場所に車を停車させ、リサが戻ってくるのをひたすら待つアーサー。彼女が戻ってくるまでの間、アーサーは胸ポケットから煙草を取り出し一服する。……実に落ち着いている素振りから察するに、この先の行き先についても決まっている模様。

 アーサーが一服し終えたと同時に、車の助手席のドアが“ガチャリ”と開く。共犯者のリサが戻ってきて、後部座席に座っているシンシアとモニカを見て、満面の笑みを浮かべている。

「シンシア……モニカ……おかえりなさい。今まで良く我慢してくれたわね。でももう大丈夫よ。私たちと一緒にいれば、あなたたちは安全よ」

表向きは優しい母親という印象を与えるためか、リサもまた偽りの仮面をかぶりシンシアとモニカへ話しかける。


 ワシントン大学では強気な姿勢を見せていたシンシアとモニカだが、ルティア夫妻の前ではそんな姿を感じさせないほど大人しかった。マインドコントロールされているからなのか? はたまた“ルティア夫妻に何かされるのでは?”という恐怖心が、二人を怯えさせているのか?

 いずれにしても“ルティア夫妻に逆らうのは得策ではない”と無意識に判断したのか、シンシアとモニカは彼らに何も言葉を返すことなく、ただ後部座席に静かに座っていた……

「何とか二人を手に入れることが出来たけど……今後はどうするの?」

「……シンシアとモニカを誘拐したことはいずればれるだろうから、近くのホテルもしくはモーテルに身を潜めよう。お金は前もって引き出してあるから、しばらくは大丈夫だと思う。それと……彼女たちへ投与する薬もきちんと用意してあるから、問題ないよ」


 ハンドルを握りながら車を運転しているアーサーと、助手席でシンシアとモニカの様子を逐一確認するリサ。二人の会話から察するに、ルティア夫妻はシンシアとモニカの二人を人間ではなく、あくまでも実験体や研究材料としかみていないようだ。……一体何が彼らを、ここまで歪ませてしまったのだろうか?

「ほとぼりが冷めるまで大変だと思うけど、少しの間我慢してね。シンシア、モニカ。いえ……『ルティアNO.Ⅰ』『ルティアNO.Ⅱ』!」

 月夜が照らす車のバックミラーに映るリサは、実に不気味な悪魔のような笑みを浮かべていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る