夕暮れに染まる悲しみ色のまなざし

  ワシントン州 ワシントン大学(教員室) 二〇一五年六月九日 午後五時〇〇分

 香澄・ジェニファー・エリノアの三人が他愛のない話を楽しんでいる間に、時刻は午後五時〇〇分を指していた。こんなに楽しい時間を過ごしたのは、まさにサークル旅行以来のこと。

 そして話が一段落したころ合いを見て、

「あっ、もうこんな時間だわ。楽しい時間は本当にあっという間ですね。……そろそろお家に戻りませんか? フローラも待っていることですし」

とジェニファーは言う。これをきっかけに、彼女たちのお茶会はお開きとなった。


 先日フローラは偶然出会ったエリノアとカフェに入り、そこでケーキと紅茶を堪能していた。その際にフローラはエリノアを夕食に誘うが、彼女から断られてしまった。だが最近エリノアと夕食を共にしていないことに寂しさを感じたのか、

「今日が駄目なら、いつなら都合が良い? 今のところ夜の予定はないから、エリーの空いている日で構わないわ」

少し強引に食事へと誘うフローラ。そんな彼女に押されながらも、

「そうですね……九日でしたら午前中に講義が終わるので、その日の午後なら大丈夫です」

フローラの誘いに応じてくれたエリノアだった。

 後日になって事情を知った香澄とジェニファーは、さっそくエリノアを教員室へ誘う。だが数十分もしないうちに、勉強から女子トークへと内容が変わっていく。


 ソファーに座っていた香澄たちが腰を上げ、これからフローラが待つ自宅へと戻る矢先のことだった。“コンコン”というドアをノックする音が聞こえる。“まったく、これから帰るところだったのに……”と不満に思いながらも、

「はい、どなたですか?」

と問いかける香澄。するとドアの向こう側から、

「あっ、香澄ですか? エドガー・レイブンですけど……ちょっとよろしいですか?」

同じサークル部員のエドガーの声が聞こえてきた。

「えぇ、分かったわ。……はい、どうぞ」

“ガチャリ”と香澄がカギを解除する音を聞くと同時に、ゆっくりとドアが開く音が聞こえてきた。


 突然の来客でも慌てることなく接する香澄たちだが、彼女たちの目の前には、

エドガーとは異なるもう一人の男性が立っていた。身長一八〇センチ前後のがっしりとしたスポーツマン体型で、どことなくエドガーと顔つきが似ている。

「あなたの要件の前に、一つ質問してもいい? ……エド、こちらの男性はどなた?」

不思議そうな顔をしている香澄の表情を見つつも、彼女の質問に答えるエドガー。

「僕の兄のアルバート・レイブンです。今日大学に戻ってきたばかりなので、ハリソン先生にご挨拶をと思ったのですが……今日はもう帰りました?」

丁寧な口調で兄を紹介しつつ、今回フローラの教員室へ来た理由を述べるエドガー。そんなエドガーの質問に対し、“フローラなら、今日はお休みよ”と香澄は伝えた。


 今日大学にアルバートが戻ってきたことを知り、社交辞令として彼に一言挨拶を交わす香澄。軽く服を整えてから、自己紹介をする。

「エドから事情を聞いているかもしれないけど、一応自己紹介しますね。少しの間ですが、心理学サークルの代理顧問を務めることになりました……高村 香澄です。よろしくお願いします」

 軽く自己紹介をすると、アルバートも同じように返してくれた。しかし初対面にも関わらず、アルバートは“ちょうど今部員がほぼ全員いるので、これからレストランに行きませんか? もちろん俺がおごりますよ”と香澄たちを誘う。

 初対面でもあるサークル顧問の香澄に対し、レストランへと誘うアルバート。正確にはジェニファーとエリノアも含まれているが、アルバートの本命は香澄だろう。

 だが真面目な性格の香澄にとってすれば、アルバートの言動に少なからず不快感を覚える。しかし自分が不快感を覚えたことを顔に出さず、あくまでも社交辞令として受け取りつつも丁重に断る香澄。


 このように初対面の相手に対する印象を数秒で決めてしまうことを、『メラビアンの法則』と呼ぶ。初対面同士の第一印象として、視覚(見た目・表情・しぐさ・視線など)などでほとんど決まってしまうことが多い。

 第一印象が良い方向へ動けば、その後の人間関係も良好になる可能性が高い。逆に第一印象が悪くなってしまうと、今後の人間関係に何らかの悪影響を与える可能性が高い。

 アルバートという男性に対する、香澄の印象を例にあげてみる。アルバートはよかれと思って誘ったつもりだが、それが真面目な性格の香澄には逆効果。その結果、香澄に対して悪い印象を与えてしまうアルバート。そのため今後も香澄の中で、アルバートの評価があがることは難しいと思われる。

 

 この後自宅へ戻る予定だったこともあり、少し早めに話を切り上げようとする香澄。そのことを伝えると、エドガーは納得した様子。だが兄のアルバートは返事をせず、香澄へ視線をじっと向けている。アルバートの視線に疑問を感じながらも、彼女は何も言わなかった。

 教員室の鍵をかけた後、香澄たちはレイブン兄弟に別れを告げる。そしてそのままフローラが待つ自宅へと向かうのだった。

 

 香澄たちと別れた後に、廊下を歩きながら何かを話しているレイブン兄弟。……案の定、彼らの話の内容は最近赴任してきた香澄のことだ。

「……おい、エド。お前が言っていた新しいサークルの先生……すげぇじゃねえか!? しかも日本人かよ!? あんな美人が代理顧問だって知っていたら、多少無理してでもこの間のサークル旅行に参加するべきだったな」

「兄さん。仮にも香澄はフローラの助手なんだよ!? ……まったく、問題起こすのだけは勘弁してよ」

 丁寧で口調の穏やかな弟のエドガーとは対照的に、兄のアルバートはどこか口調が荒っぽい。それに加えて女癖が悪く、兄ながらアルバートの性格に悩みの種が尽きないエドガーだった。


 日が沈み始めた夕暮れ時に、ゆっくりと帰路へと向かう香澄たち……再び世間話をしながら、楽しそうに帰宅している。その中でジェニファーは親友の香澄に対し、ある注意話を持ちかける。

「ねぇ、香澄。あなたは知らないかもしれないけど……さっき挨拶に来たアルバートって人、気をつけた方がいいですよ。何でも……って大学でも有名なんですよ!?」

 その疑惑について、フローラから受け取った資料から情報を得ていた香澄。だがジェニファーの言葉を聞いた香澄は、自分の中で感じていた疑惑が確信へと変わる……

「……えぇ、分かったわ。ありがとう、ジェニー。心配してくれて……」

「ううん、気にしないで。だって香澄は……私の大切なお友達だもの!」

 

 思わぬジェニファーの告白を聞き、思わず心が弾んでしまう香澄。そんな香澄はお礼をする変わりに、笑みを浮かべているジェニファーにウインクで返す。

 香澄とジェニファーが心の奥底でつながっている場面を見て、一人オレンジ色の空を眺めているエリノア。そんなエリノアの表情は、二人の仲の良さを祝福しているように見える一方で、どこか寂しそうな瞳で遠くを見ているような気がした……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る