戸惑いを隠しきれない一同

   ワシントン州 ハリソン夫妻の自宅 二〇一五年六月九日 午後四時三〇分

 可能な限り分かりやすい言葉に置き換えられているためか、遺伝子の専門知識がない香澄でも、比較的容易に内容を理解することが出来た。だが予測よりはるかに超えるレベルの内容でもあり、何となくしか理解出来ない――そんな言葉が当てはまる状況。

『ま、まさか今から二〇年くらい前に、アメリカでこんなことが起きていたなんて――まるでSFの世界だわ』


 必死に頭の中を整理しようと、何とか自分の言葉に置き換えようとする香澄。だが考えれば考えるほど泥沼にはまってしまい、余計混乱してしまう可能性が高い。

 調べ物に没頭して疲れたのか、部屋のベッドに飛びこむ香澄。ベッドのシーツに顔をうずめ、静かにまぶたを閉じながら一人考えごとをしている。

『……ファイルを一通り読み終えたけど、この後は一体どうすればいいの? これで終わり……でいいのかしら? でもこれ以上進むと、何だか嫌な予感がするわ』

 香澄の鋭い洞察力や思考力が、危険を予知しているのか? それとも単純に女の勘が働き、香澄の警告をしているのだろうか?


『だめよ、ここまで読んで諦めるなんて。“このファイルには、何か重大な秘密が隠されている”って、フローラも前に言っていたじゃない!?』

 嫌な予感が脳裏をよぎったこともあり、最初はこれで終了すべきと思っていた香澄。だがすぐにフローラの言葉やファイルを入手した経緯などを思い出し、持ち前の正義感と信念を取り戻す。

『――このファイルの中から気になった言葉を、一つずつピックアップしましょう。そうすればおのずと答えも出るはずよ』

“中途半端に終わらせるわけにはいかないわ”と心に誓い、両手でガッツポーズを取りながら自分を鼓舞こぶする香澄の姿があった。

 部屋から顔を覗かせる木々は風で“ゆらゆら”と揺れており、まるで香澄の気持ちを知った木の精霊が彼女を激励しているような、どこか神秘的な光景だった。


   ワシントン州 ハリソン夫妻の自宅 二〇一五年六月九日 午後九時〇〇分

 不妊治療やルティア計画に関する資料を読み終えた香澄は、“ジェニーとフローラへ報告しないと”と決心する。だがこの時すでに午後六時〇〇分で、もうすぐ夕食を迎える。しかも“今回のお話は少し長くなりそうだわ……”という懸念もあり、ころ合いを見て別途報告する時間を設けることにした香澄。なおケビンは今朝から学会の集まりがあり、明日のお昼以降にならないと帰ってこない。

 フローラは帰宅する前にエリノアを夕食に招待したが、“この後行きたいお店があるので”と断られてしまった。“仕方ないわね、それじゃまた今度一緒にご飯食べましょう”とだけ約束して、一足先に自宅へと帰宅したフローラ。


 ディナーが出来るまでに調べ物を一通り終えていた香澄は、さっそく二人に声をかける。

「ジェニー、フローラ。この後少しお時間ありますか? 少し長くなりそうだから……夜の九時~一〇時ぐらいの間で時間取れますか?」

「えぇ、私は別に構わないけど……」

さりげなくジェニファーへ視線を投げるフローラ。すると彼女も大丈夫と合図を送ったことから、夜九時前後にリビングに集まることになった一同。

 すんなりと香澄の提案を受け入れてくれたことから、フローラとジェニファーも話の内容について、何となく察したようだ。


 一足早く家事を終えたフローラ・読書を一時中断したジェニファーは、香澄の言われた通りの時刻にリビングへと集まった。一方の香澄は自分が調べた内容を説明するために、ファイルと手書きのノートを綺麗にそろえている。

「説明を始める前に断っておきますけれど、ファイルを読んだ私自身も実はまだ頭の中が整理できていません。とにかく論より証拠です――フローラ、そしてジェニー。まずは昨日入手したファイルの続きを読んでください」

 冷静沈着な香澄にしては珍しくもったいぶったような表現をして、フローラとジェニファーの興味を誘う。そんな香澄の言動に誘われるかのように、彼女がテーブルに置いたファイルに目を通すフローラとジェニファー。


 香澄が渡したファイルを読んだ時の二人の顔は、まさにあっけにとられるような雰囲気。時折目を泳がせているジェニファーは、かなり混乱しているようだ。

 そして三人の中で最も頭の切れるフローラについても、驚きを隠せない素振りを見せる。だがジェニファーのように顔に出ることはなく、じっとファイルを読み進めている。そしてフローラがファイルを一通り読み終えると“パタン”と閉じ、そっとテーブルの上に置く。

「……私がちょうどあなたたちぐらいの年齢の時に、こんな事件があったとテレビやマスコミなどで報道していたわね。医学界でも随分話題になったニュースだから、当時は色々と大変だったみたいよ」

 ファイルに触発されるかのように、フローラの記憶が一時的に呼び起こされる。だがこの時はまだ香澄と同じような立ち位置にいたこともあり、“あまり詳しい内情は知らないわ”と語るフローラ。


 今から二〇年近くも前の話なのだが、部分的にフローラがこの事件のことを覚えていた。そのことから、当時のアメリカでは大ニュースになった出来事だったに違いない。だがフローラの話を聞いて、“やっぱりこれは実際にあった事件、いえ……医学界の歴史をくつがえしかねないスキャンダルね”と確信した香澄。

 フローラとジェニファーが一通りファイルを読み終えたことを確認した香澄は、要点を書き記したノートを開く。そしてノートを二人の位置から良く見えるように向きを変え、香澄はその内容について説明する。

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