偉大な功績者

   ワシントン州 ハリソン夫妻の自宅 二〇一五年六月九日 午後一時〇〇分

 ワシントン大学で謎のファイルを受け取ってから一夜が明け、いつもと同じ朝を迎える香澄たち。今日は講義が休みということもあり、紅茶の入ったマグカップを左手に持ちながら、香澄は自分の部屋でファイルの内容チェックを再度行う。

『さて、今日はどんな発見が得られるのかしら? でも私の専門外に関する内容だから、過度な期待はしない方が無難ね』


      『ルティア夫妻が提案した【不妊治療】について』

 [まったく新しい【不妊治療】が提案されてから数ヶ月後……妊娠を望む女性や夫婦たちの間で、ルティア夫妻が勤務する『ジョージタウン大学病院』のことで持ちきりだ。だが当初の予定より申し込み者が殺到したため、抽選という形で彼ら独自の手法による【不妊治療】を試験的に行うことを発表する。また医学界にとっても偉大な功績が残る可能性を考慮して、病院側もルティア夫妻を全面的にサポートする。

 幸運にも選ばれた数十組の夫婦らは、ルティア夫妻や病院側の指示通りに検査を受ける。その後治療に入るという流れに入り、開始からわずか数ヶ月後に無事妊娠したという歓喜の声もあげられたほど。その後無事元気な赤ちゃんが生まれ、このことも医学界・マスコミなどで大きく取り上げられた。


『これは写真? 写っているのは……ルティア夫妻と治療に成功したご夫婦かしら?』

 ファイルの中に数枚の写真が貼られており、それを順番にテーブルに香澄。するとそこには病室で撮られたと思われる、一組の夫婦と赤ん坊の姿が写っていた。そして赤ん坊を抱き抱える母親の横に、白衣姿のルティア夫妻が並んでいる。皆満面の笑みを浮かべていることから、不妊治療が成功した瞬間であるとこの写真から推測される。

『患者さんの肩に手を置いている男性がアーサーで、右手に腕時計を付けている女性がリサ……かしら?』

 ルティア夫妻と面識がない香澄にとって、写真の仲の男女が着用している衣類で見分けるしかない。同時に状況が状況なので、白衣を着ている男女が医療関係者であることは明白。“医学はどんどん進歩していくのね……”と一人感心してしまう香澄の姿があった。


   ワシントン州 ハリソン夫妻の自宅 二〇一五年六月九日 午後三時〇〇分

 ファイルを読み進めていたことによって軽い疲労感を感じた香澄は、一息入れようと自分の部屋を出た後、そのままリビングへと向かう。しかしリビングには先客がいるようで、行儀よくソファーに座り読書しているジェニファーの姿が映る。リビングへと入る香澄の気配を確認したジェニファーは、

「……あっ、香澄。お疲れさまです。調べ物は順調に進んでいますか!?」

読書を一旦中断しつつも、調査の進展状況を尋ねる。

「えぇ。半分くらいまで目を通したから、ちょっと一息入れるところよ……」

と言いながら香澄は冷蔵庫を開け、中に入っているアイスティーを取り出す。その後食器棚に手をかけながら、

「ちょうどアイスティーを淹れるところだけど、ジェニーも飲む?」

リビングで読書しているジェニファーに声をかける。“はい、お願いします”と元気な声を確認すると、香澄は二人分のガラスコップを取り出した。

 そして冷蔵庫から氷を取り出し、続いてアイスティーを注ぐ。アイスティーを入れた瞬間に聞こえてくる氷の割れた音が、何とも心地よい音色を奏でる……

 

 アイスティー入りのコップをジェニファーへ渡した後、続けてソファーへ座る香澄。喉の渇きをうるおしながら、彼女と世間話を楽しんでいる。そんな時香澄のスマホの着信音が鳴りだし、

「あら、誰かしら?」

とつぶやきながら画面を確認する。画面にはフローラの名前が表示されていたので、

「はい、香澄です」

と数コールほどで電話に出る香澄。

「あっ、香澄ちゃん。フローラよ。お勉強は進んでいるかしら?」

「えぇ、今ちょうど一息入れているところです」

まだ夕食時ではないため、“一体何かしら?”と不思議に思う香澄。そんな彼女の声に答えるかのように

「実はね……今エリーと一緒にいるのよ。街で買い物していたら偶然見かけたから、声をかけたの。……今変わるわね」

とフローラは返し、偶然出会ったエリノアへと電話を変わる。

「もしもし……香澄ですか? エリーです、こんにちは。今フローラと一緒に、カフェでケーキを食べているんですよ」

「こんにちは、エリー。へぇ……それはいいわね」

 いじめ問題解決からまだ一ヶ月も経っていないが、エリノアの声を聞く限り落ち込んでいる様子はなさそうだ。時折彼女を心配する問いかけをする香澄だが、答えは案の定予想通りだった。


 数十分ほど世間話を楽しんだ後、“フローラに変わりますね”とエリノアが少し遠慮がちに言う。

「……もしもし、香澄。あんまりお勉強の邪魔をしても悪いから、そろそろ切るわね。私はもう少しエリーとお茶してから帰るから、そうね……帰りは五時くらいかしら?」

さりげなく香澄がリビングの時計に目を向けると、時刻は午後三時〇〇分を指している。

「後二時間くらい……ですね、分かりました。それでは失礼します」

そう告げてから、スマホの電話を切った香澄。香澄の話を横で聞いていたジェニファーは、

「思っていたよりも元気そうですね、エリーは」

「そうね……今はフローラが一緒にいるから、大丈夫でしょう!」

親友のエリノアが元気であることを知り、満面の笑みを浮かべている……


 フローラやエリノアを話を終えた香澄は、そろそろ調べ物を再開しようと自分の部屋へ戻ろうとする。そんな時ジェニファーが、

「そういえば、香澄。ここ最近、から何か連絡ってありましたか!?」

今は劇団員として活躍する親友 マーガレット・ローズについて、香澄へ問いかける。

「いいえ、私もメグの近況について聞いていないわ。でもあの子のことだから……今は次回公演に向けたお芝居の練習に励んでいると思うわ。だから今はそっとしておきましょう」


 以前“ベナロヤホールでの公演を控えているの”と本人から聞いていたためか、香澄はあえてこれ以上触れることはなかった。

「分かりました。でも香澄とマギーは本当に仲良しで、私とてもうらやましいですね。そして今はお互い離れていても、心はつながっているんですね。いいな、そういう関係って……」


 ジェニファー自身にとっても、マーガレットとは親友同士の関係。だが自分以上に香澄とマーガレットの付き合いは長く、それだけ彼女たちの心が深くつながっていることをジェニファーは改めて知る。一人寂しく青空を見上げるジェニファーの姿が、何ともいえない哀愁あいしゅうを漂わせている。

 軽く心と視線を落とすジェニファーの肩を、微笑みながらそっと手を添える香澄。そんな香澄の優しい心と笑顔を見たジェニファーの顔にも笑みがこぼれ、同じように手を添える。

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