10
辺りの景色が変わることはないまま、数日が経った。そしていよいよ引き返した方がいいのではないかと思い始めていたところで、突然視界にほんの少しの変化が訪れた。
「ニルス、あれ……」
僕は遠くの小高い丘に生えた一本の枯れ木を指さす。今にも倒れそうなほど弱々しく首をもたげるその木のすぐ横に、何やら人影のようなものが見えた。
「とりあえず近づいてみよう」
また前のように力尽きたペンギンでないことを祈りながら、僕らはおずおずと木の方へ歩いていく。目視で確認できる距離まで来ると、やはり僕らが見たのは人だった。見た目は三十歳くらいの男性で、鎧を着て腰に剣をぶら下げているので、兵士だということがわかる。
何やら木に寄り掛かって眠っているようだった。手足を投げ出して、首を肩に乗せている。この体勢で寝ていると、起きたとき身体が痛そうだ。起きたら襲ってくる可能性も十分あるので、起こさないように注意して近づいていく。
「わっ!」
目の前まで来て顔を覗き込むと、あまりの驚きに僕は大声を上げて飛び上がってしまった。というのも、眠っていると思っていた彼は、はち切れんばかりに目を見開いていたのだ。しかし僕たちの存在には気付いていないようで、脱力した不自然な体勢のままぴくりとも動かない。
「息はしてるみたいだ」
腰を抜かして尻もちをついている僕と違って、ニルスは至って冷静にそのこんな状態だが、どうやら死んでいるわけではないらしい。確かにぜーぜーと呼吸の音は聞こえてくる。かと言って僕らに対する反応はなく、正常な状態ではないのも確かだった。
「たぶん気が狂ったか、あるいは何か薬でもやっているんだろう。僕らのことなんて視界の隅にも入っていない。彼はきっと夢の中だ」
その姿はまさしく廃人だった。見れば見るほど、恐怖と嫌悪感が喉の奥からせり上がってくる。
彼は知らぬ間にこんな姿になってしまったのだろうか。それとも自ら望んでか。いずれにせよ、彼が何かに絶望しているであろうことは、その目を見れば明らかだった。戦争か、世界か、はたまた自分自身か。こんなになるまで彼を追い立てたものは何だったのだろう。
「僕らにはどうしようもできない。放っておこう」
しばらく見分したあと、ニルスはその廃人となった男に興味を失ったように、冷たい言葉を吐き捨てる。男から目を離した彼は、遠い地平線の先を見つめている。
「あそこだ」
どうやら彼は何かを見つけたらしかった。人差し指を立てて目を瞑り、何かを聞き取ろうと耳を澄ます素振りを見せる。僕も彼の真似をして聴覚に神経を集中させると、微かに地響きのような音が聞こえているのに気付いた。
「この音は……?」
虫の羽音よりも小さな遠くおぼろげな音であるのに、何故か僕の心をざわつかせる。
「たぶんこの先に、僕たちが目指す場所がある」
ニルスは確信めいた声で言う。僕もきっとそうだろうと思った。
「もうすぐ旅も終わりだ」
僕の方を振り返り、彼はわずかに笑った。その声には感慨や興奮は含まれていない。
このとき僕には彼が何を思っているのか、想像さえできていなかった。
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