平成Vamp編

第8話 雪の中の眷属

 目の前がうっすらと明らむ。

 思い瞼をどうにかこじ開けようと努力をするが、どうにもうまくいかない。


「起きろ、小僧」

 男の声が聞こえる。

「普通の人間なら風邪を引くぜ、まぁ、もうそういうものとは無縁の身体になったがなぁ」

 意識のみな底からゆっくりと海面に向かって浮上していく――その先に見えるおぼろげな人影がだんだんとはっきりしてくる。


 知っている顔だ。

 それもついさっき知り合ったばかりの男。


 記憶が洪水のように溢れ出す。

 僕が今どこにいて、誰と話しているのか、そしてどうなったのかを一瞬で理解し、そして慄いた。


「やめろ! 僕に触るな!」

 僕は必死に立ち上がろうとし、そして男から離れようとし、それに失敗する。


「雪」

 僕の手足は雪にまみれて、すっかり凍えていた。


「騒ぐな、小僧」

 早く逃げなくてはと頭でわかっていても、どうにも男の言葉に抗えない。


「俺の命令は絶対だぜ」

 目の前の男――こいつは伝説の吸血鬼であり、僕が嫌いな昭和臭のするオッサンだ。


「抗えない。お前はもう俺の命令には抗えない」

 言われたとおりだった。抗うことはどうしようもなく気持ち悪く、怖く、痛く、辛い。


「別に捕って食おうというわけではない。血を吸いきってはいない。だが契約をさせてもらった。お前はこれから俺の為に働いてもらう。逆らうことはできない。なぜならお前はもう、俺の眷属だからな」


 オッサンバンパイアの言っている意味は解らないが、従わざるを得ないのは判った。昔、映画だったかテレビだったかで聞いたことがある。


 "吸血鬼は食事として吸血をする場合と、傀儡を作るために噛むことがある"


 僕は首筋に手を当てる。

 何かに噛まれたような跡が指先にあたるが、それはとても小さく、そして触っているうちにどんどんと消えて行く。


「傷口はすぐに塞がる。心配するな。別にお前をずっと家来にするつもりはない。俺はお前が嫌いだからな」

 酷い話だ。

 化け物に、それもオッサンに面と向かって"嫌い"と言われた人間の尊厳は、酷く傷つけられたが、それでも僕が最近負った心の傷に比べれば大したことはない。


 違う――化け物にも嫌われるような僕が彼女に好かれるはずもないのか。


「お前に頼みがある。命令ではない。それをなし得なくても何らペナルティはない。だがもしお前が人間に戻りたいと思うのなら、ぜひともそれを為すべきだ」

 男はしばし考え込み、そして何かを思い出したように話し始めた。


「そうだった。まだ自己紹介をしていなかったな。わが名はダリオ。生まれたときの名はすでに捨てた。この名は我が主、カーミラが授けし名だ」

 不謹慎にも僕は吹き出しそうになり、必死にそれを堪えた。


「だ、ダリオって、なぜ? 吸血鬼に命名の慣習があるというのは、きいたことがない」

 ダリオは、目を伏せ、言葉を探しながら答えた。

「それはだ。俺の元の名前がだ。彼女的にだ、言い難いからであって、俺が望んだことでも、彼女の趣味でもない。カーミラは、まどろっこしいのが嫌いなだけだ」


 僕は今日この男から受けた多くの恐怖や屈辱や侮辱の内の一番軽い物は許してもいいような気になった。


「いや、別に本名を名乗ることはやぶさかではない。だがこのダリオという名前が重要なのだ」

「名前が……重要?」

「そうだ。お前には人を探してもらう。今日という雪の日に限っての、これは俺の勝手な依頼だ。なんならお願いと言ってもいい。頼む。人を探してくれ」

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