第7話 雪と望みと

 男は薄ら笑いを浮かべ、僕を、いや、世間をあざ笑うかのように話を続ける。

「俺は闇の世界にも顔が利いた。もともと人でなしな仕事をしていた俺だ。人でない者になるのに、なんの躊躇がある。今更善行を重ねたところでせいぜい煉獄に幽閉されるのが関の山さ。どうせ落ちるなら、地の果てまで」


 急に男が話を止める。

 すっかり悦にひたり、我をも忘れ今にも僕に掴みかかろうという勢いだったが、その視線は地面からゆっくりと上に向けられ、空を眺める。


「雪だ」

 東京の空に雪が舞い始めた。雪を見上げる中年ヴァンパイアの姿が、あまりにも切なく、罰当たりで、狂気じみていたので、僕は無意識にカメラを構えた。

 もちろんそこに、男の姿は映らない。


 吸血鬼は鏡に映らないのである。


 闇に生きる者は、光を反射しない。


 では、どうして人間の目に映るのだろうか。人の眼球も鏡と同じ原理で物を見るはずである。


「あの、どうして吸血鬼は……」

 そのことを聞こうとしたとき、目の前に男の姿はなかった。フレームを覗き、裸眼であたりを見渡す。だか、どこにも男の姿はない。

「消えた……助かったのか。僕は」

 僕はゆっくりと空を見上げる。雪が舞い落ちてくる。そこに黒い影がふわふわと飛んでいる。

「コウモリ……なのか」

 コウモリは僕の頭上を旋回している。

「小僧……」

 男の声だ。

「望みをかなえてやろう」

 助けてくれるのか。

「死なないとは、どういうことか、身を以て知るがいい」


 コウモリは僕めがけて飛んできた。僕はそれをかわそうと最大限の努力をしたが、学校の体育で養った程度の運動能力では、とうてい叶う相手でないことはわかっていた。首筋に何かが当たる。痛みはない。生暖かく、そしてガラムの甘い香りがした。


"闇が、世界を覆った"


 そうだ僕はこう言ったのだった。


 "死にたくない"と


 その言葉が頭の中をぐるぐると回る。


 "死にたくない、まだ、死にたくない"

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