冬の容喙
年が明け、湘南地方は、新春の候に慶賀の至りを捧げ尽くして、寛いでいた。こうして自室の窓から眺める、
高見姉妹の関係に、真摯な干渉を
少女の目が少年を見ていた、そのままの目で、一瞬ですれ違ったのだ。重なる事もなく、重ねようともせず、あえなく通り過ぎた。彼女は、極楽寺の街の風景の中へ融け、久々の帰宅の、本来の安堵さえ
先日、あの店で、訴えるように私を見つめていた、あの強かな目であったものを、誰憚らず、忽ち悲涙で
どうしても、マナミさんの真情が気にかかり、落ち着かない。想いの丈を知りたい、確かめたい。それがまた、私の本音であり、依津子さんとの約束を履行する前に、やりたい事とは、
私には、痛いほど、
行動出来なかった姉の後悔を、行動した妹の満足へ、伝えるべく。
依津子さんが綴る想いを、私の言葉の手紙で、マナミさんへ。
自身の愛が守るべきもの、夢……。
その距離を隔て、現実逃避は拡大解釈を生み、何ものとて寄せつけぬ陰で、
最も身近な、一番大切にしなければならない繋がりは、
憧れのままで立ち止まり、
盾に取っても、
許されようとしても、
その先にある、
本気を逃してしまった過ちは、
隠し切れない。
憧れを語るより、
本気を語るべきなのに、
どうする事も出来ない涙が、
全てを語ってしまう……。
その想いを、今こそ、私が、あの人へ。
ところで……
私は、今、車で出かける準備に、少し、忙しい。着替えも済ませ、小ざっぱりとしたつもりでいる。これから訪れたい、その場所へは、もちろん……ひとりでゆく。誰にも告げてはいない。汗したなりの結果が、遺るものだ。頑張れない弱さで、それを騙そうとする弱さを、喚びにゆくのではない。騙そうとする弱さと、頑張れない弱さを、繋げるものではない。
憧れのままで、歩いてゆく事が出来なかった、昔……。憧れへ、歩いていった、昔……。歩けない悲しみも、歩いてゆく苦心も、往ってしまった昔を慕う、懐かしさに鷲掴みされる。今にして、その後ろ影を追い
笑っているかい?
どんな笑顔?
怒りや虚しさを、他者や社会へ向けてしまったのは、誰?
その誰かが、もし、歩かなかったとしても、あるいは、その誰かが、もし、歩いていったとして、その甲斐の成否はどうあろうとも、自分自身が見ている誰かの表情を、見せられていると感じるなら、それが笑顔であっても、冷たいものにも映るだろう。真っすぐに、見ていない。素直に、受け取っていない。そんな目で、何が見える? 本当は寂しく笑っているのかも知れない、芯の温かさ、ともすれば、何もかも許し合える事を学んだ、ありのままの心を、見て貰いたいと、わかって欲しいと……。他者を見る側それ次第で、その目に映る人なんか移り変わるのだ。自分だって、そう見られているではないか?……。たとえば、歩いていった誰かが泣いている時、目標に向かって
……そんな今日は、一月半ば過ぎの、とある土曜日、
車を走らせ、私は再び、平塚の
……最終的にある、大切なものにこだわるように、ドアを開けた。その手前の何ものとて意に介さない。些細な事はどうでもいい。一見して……閑暇が目に飛び込んで来た。咄嗟の戸惑いもまた、自由であった。
客もスタッフもいない。「いらっしゃいませ」の声もない。土曜の昼下がりなのだが、この殺風景は、たまさかを印象づける。奥の厨房の方を見やりながら、先日と同じテーブル席、同じ椅子に座った。程よい暖房に、上着を脱いで背
様々な
心のフットワークの重さを、口に任せて軽く
のび悩む回答と自信の代わりに
巻き戻す時間の帰る場所は、今よりもっと先にしか、ない。時は、過去から今を超えようとする、その前の静けさを溜め込み、じっと待っていた。飛びたくなくて、意味を失くしていたような鳥達が、
その愛で誰かを支えて来た者は、いつかきっと、主役の自由を得るだろう。大切なものにこだわれば、どうでもいいものは見えなくなる。奥ゆきを見れば、目の前の事など、さして気にしない。最終目的地を見据える時、最短距離は、見える。寄り道、回り道は、そうではないと、わかっている事。見据えなくても、そうではないと、わかっている事。嫌いなものが一杯なら、信念と情熱が、好きなもので一杯に変えたのではないか? それもわかっただろう? ならば、交じり合える。そうしなければ、いけない。
私は、こういった想念を巡らせながら、南向きの窓の外を眺めていた。目に集う光は、迎春花の微笑みのようであれ、
「いらっしゃいませ……すみません、気づかなくて……」
「いえ……温かい、ミルクティーを」
「かしこまりました」
彼女は、静かに水を供して帰っていった。こちらへ背を向けた時、一瞬、外光を遮る端から
再び、時は流れるままに、静寂に
……姉の分身が、紅茶を運んで来た。蓄えられた想いが
「お待たせしました」
それは、ちょうど間に合わせて嵌まり、仕事を済ませた。私は間髪入れず、
「あの……」
「は、はい」
引き留め引き留められ、次に私は、彼女の足を釘づけたい。
「覚えています? 僕の事」
「……はい」
「吉村陽彦と申します。あなたに、お願いがあるのですが……」
「は、はい」
「
「……」
「あなたに、大切な話があります」
「ぇっ」
「勝手を言って申し訳ありません、お願いします、是非、聞いて頂きたい……」
彼女の覚悟もまた、全身に
「僕は、こちらへお邪魔するのは、二回目なのですが、それ以前に……鎌倉の極楽寺で、お逢いしていますよね」
「……」
「すれ違っただけですが、想い出したので、今日もこうして、来てしまいました」
彼女の目が、一瞬、左の上の方へすり寄り微動したのを、私は、見逃さない。そして、さればの無言と共に口角は隙間を空け、白い歯の輝きが、アイデンティティーを守るように、ちらついた。
「やっぱり……」
マナミさんは、やっと荷を
「あの」
続け
「私、覚えています。それよりも随分以前にも、何度もお逢いしていますよね」
「は、はい」
「お見かけしたというか」
「やっぱり……」
畳みかけ畳みかけられ、妹は、分身の面目躍如たるものがあった。姉の如く真っすぐな成りゆきが、初めての会話を照らし、導かんとする先に、握手を明るく想像させるのは、
「お久しぶりです。崖上の、吉村です」
「初めまして、高見マナミです」
「吉村さんは、夏休みにご家族でいらしてましたよね。ハルヒコさんって、どう書くんですか?」
「太陽の〝陽〟です。マナミさんは?」
「真実の波で、
姉の、姿なき
……稲村の浜辺にて、ひとりぼっちの私の、問わず語りを落とした
真波さんが拾い上げた、その、私の言葉の落とし物から始まった、時の
それが忽ち、彼女はふり返るように帰って来た。何があったのだろう?……。私の俄かな不安は、一瞬の、冬の気
……鎌倉こころのパートナーで出逢い、そのまま、ふたりして材木座の浜辺を
湧き
姉は、妹の帰りを願い、いつも海を見ていた、と。
そして、妹は……姉達家族みんなを想うほどに、家へ、帰りたいのだ、と……。
「今日は、店を CLOSE にしました」
真波さんは、
ふたり共、私に、心の声を届けたのだ。
やはり、今度は私が、途切れないように、
依津子さんの心の手紙を、
私の声で……届けなければ……。
真波さんは、私のテーブルの、目の前に着座した。
「……真波さん」
「はい」
「正直に言います」
「……はい」
「お姉さんから、あなたの事、そして今、あなたをどう想っているか、話を聞きました」
「……」
「本当の所をおっしゃって頂きたい。あなたの心の流れを聞かせて欲しい。
「……吉村さん」
「はい」
「姉を……愛していますね……」
「はい……本気で、真剣に」
「ぅ、ぅん」
彼女の瞳から、悄悄と、孤灯
「昨年の暮れ、依津子さんがどうしても言えなかった言葉を、今日、あなたへ伝えに来ました」
「……」
「あなたも、わかってらっしゃるでしょう?」
「……」
「依津子さんだって、やっと逢えたのに、そのままにしたくないはずです」
「うっうっ」
「でも、彼女は、あなたもご存知のように、優し過ぎる人だから、大切なひと言を
「ううぅぅ……うう……」
それはお節介男の無言の声でもある。私のそばにいるものも今、自らの
「私は、裏切ってしまったんです。裏切られたと誤解して、あの
「そうだったんですか」
「はい。生涯最高の、感動と喜びでした……。とても可愛いくて、字が示すような女性に成長して欲しい、そんな願いを込めて〝
「うん」
「主人の仕事も順調で、穏やかな日々が続いた。それがどんなにか、愛おしかったか……」
「……」
「でもね……」
「ぅん」
「ふぅぅ……永くは続かなかった……うっううう……」
「ふううぅぅ……」
「……産休が明けて……私が会社に復帰して……仕事と、小さな子供の育児に忙しい、家庭とのバランスに、当たり前の事ですが、全てを捧げました。でも、出産から子育てという、初めての出来事の戸惑いばかりが、尾を引くようで、娘と主人には申し訳ないけれど、自信とか、充実とか、望んでいるものが、どうしても育ってくれない。些細な事でさえ主人に突っかかり、揉めるようになった。その時は、ふたりで反省して、出来る限りの軌道修正というか、凪の元へ歩み寄るんです。それも、ちぐはぐ……。お互いのイライラが乗り移ったみたいに、空回って、虚しくて、吐き出したいものを、いつもいつも、吐き出し切れない。三人一緒の輪の中から、だんだんと、私か主人のどちらかが、欠けてゆく感覚ばかり膨らんでゆく。凪の為にも、世間の子育て家族と同じように、生活丸ごと信じなければいけないのに、それを持っていられない。主人も握力が弱ったかのように、同じように見えた。何かが崩れていったんです、わかるんです。そしてその何かを離れ、崩れてゆく衝撃に呑み込まれている自分もわかる。でも、どうにも出来ない……。主人の実家のみなさんの協力も、ありがたいものから、やがて、痛みへ……。お互いに、自身の無力感を立て直したくても……」
「ご実家は、どちら?」
「熱海です」
「そう……静岡の
「それで……」
「それで?」
「もう、お互いの心と心が……何もかも言い訳でしかないけど……」
「……」
「離れる方向へ雪崩れてしまった……ううぅぅぅ……」
「疲れていたんですね……」
「……うっぅっ」
「……ぅ」
真波さんも、私も、寄り添ってくれるなら、誰でもよかったのかも知れない。ひとりでもよかったのに、彼女は夫が、私は依津子さんが、落として来た言の葉を拾い上げてくれたのだ。そして今、傷つき教えられた者同士が、今度は与える立場に恩を返すように、互いに相手の落し物を探し合っていた。言葉なる概念は片っ端から、落とし物。そんな、忘れ物。時の風が決める。言ってしまえば落とし、すぐに拾わなければ風が忘れさせる。拾えば、気づきにもなる。それが落とした本人なら、尚の事。言ってしまった事、やってしまった事の、責任の大きさに気づいたなら、後悔ばかりではない事も。その先に見えた、大切なものを、私達は語ろうとしている。
「離婚しました……四年前に」
「……」
……
そして、それを拾うも忘れさせるも、この小さな世界の全ては、愛の
「娘の凪は、もちろん、手離しませんでした。とってもいい子……。四月から、小学校新三年生なんですよ。母親として、至らない所ばかりの私を、心配してくれる。あの
「ぅん、ぅん」
「それで、家で仕事がしたいと考えるようになって、カフェの独立開業を目指し、東京の専門学校へ通ったんです。やはり、鎌倉で接客の仕事をしていたので」
「はあぁ」
「会社が終わってから通える夜間と、土曜日の履修コースが設定されていて、そこに決めた。通学は大変だったけど……二年間……凪には、寂しい想いをさせてしまって……あの
「……凪ちゃんは、夜、どうしていたんですか?」
「あの……ここで、預かって頂きました」
「はあぁぁ……」
「この店ね、元々、
「そうなんですかぁ」
「凪の初めてのカットも、ここ。
「へええ、いい
「本当っ、その通りで、私、もう
「うんうん」
「保育園のお迎えまで、買って出てくれたんですよ。ただ……たまに来るぐらいの母と娘の客なのに……何から何まで、私達
「そこまで出来ませんよね」
「……その、樋口さんご夫妻は、今……アメリカにいらっしゃる……」
「えっ?!」
「ご主人が、日系のアメリカの
「うぅぅん、てっきり日本の
彼女の涙交じりの
「一年半前に、帰国が決まって、それで、この家をお借りする事になりました」
「うん」
「店舗の改造も、ご了解して頂いたんです。学校では、全般的に学びましたが、何しろ、実際に現場の経験がない。どこかのお店で修行すべきなのですが、そこが、大きな不安でした。でも、ヒグチさんご夫妻が『大丈夫、成功だけを信じて、今、立つべき、先へ進んで欲しい、今までの努力を無駄にしないで』と、強く励まして下さる……」
「ううん」
「『神様の導きで、ふたつの家が、同時に旅立つんだよ!』と……」
「……」
私が
「そして、ご夫妻が離日なさってから、近くのマンションに住んでいたんですけど、ここの二階へ越して来ました。会社も退職し、計画していた工事も始まり、保育園時代や小学校のママ友たちの協力を仰いで、何とか開業出来ました」
「この数年で、色んな事があったんですね……」
「はい……。馴れて来たつもりでも、まごついてしまう事ばかり。そんな中、お陰様で、
「ご自身が、だいぶ変わりました?」
「そう、ですね」
「本当によかったですねぇ、凪ちゃんも、おしあわせだ」
「ありがとうございます」
「……そうですか……羨ましい。やっぱり、僕も変わらなくちゃ」
「えっ?」
「あの、それで」
「はい」
「実はね……」
「……」
「お姉さんの事なんですが」
「は、はい」
打って変わって、咄嗟に空気さえ、居場所を
「……依津子さんも、あなたを裏切ってしまったと、言っていました」
「ぇっ?」
「『裏切られたと想っていたけど、実は、私が何もしてあげられなかったから、妹は、出ていってしまった』と……」
「……」
「裏切られたと想っていたのは、あなたが去った
「責められたんですか?」
「多少なりとも……あったらしい」
「……」
「そこで、被害者になった。私の罪の陰で、言いにくいですが、妹の罪が、見過ごされていると……」
「そう、想っていたんだ……」
「残念ながら」
「ぅぅぅっ」
「でもね」
「……」
「僕、想うんです」
「ん、んっ」
「言葉にしろ、行動にしろ、それを落とすも拾うも、そして……忘れさせるも、愛が決める、大切なものを気づかせるんじゃないか、って。そこに、依津子さんは、教えと学びの原点を見たと想います。落とし物から始まろうものなら、たとえ、忘れ物になってしまっていても、いつか、想い出し物に変わる。すぐに拾って置けば、忘れ物にしてしまわずに済んだのに……このままではいけないと、わかっていながら……人の心というものは、忘れ物にしてしまう……。
「ううううぅぅ……」
「辛い想いも、たくさん経験して来た事でしょう。しかし、今、それを乗り超えるべく、あの、稲村ヶ崎の海が、煌めきの中で翼を展げるように、昔と変わらない、穏やかな暮らしを夢見ている。この店の名前の、
「ああぁぁ……あぁ……私、も……姉と同じなんですうぅぅ……もう、恨んでなんか、いないぃぃっ!……ご、ごめんなさい……ああぁぁ……」
真波さんの中で、けたたましく、音がする。私には、よく聞こえる。動き、巡り、循環している
気化し切れぬ湿った空気に、飽和した時間のゆくえは、限られていった。時は、引き波の非情、自らの
その時……エントランスのドアが
「お母さん……どうして泣いているの?」
「な、凪ぃぃっ!……」
真波さんは、一瞬で母の愛慕を漲らせ、椅子を弾いて我が子へ駆け寄った。あの少女は凪ちゃんであった。凪という名前で、
本気を知れば、知ろうとするなら、自ずと説得力は備わる。身の程を弁え、少なくとも人を傷つけはしまい。それは涙を、美しくするのだ。かつて悉くを取り逃がし、むしろ取り上げられたと拡大解釈していた、形ばかりの被害者の、
「お母さん、もう泣かないで……」
「ぅんぅん」
「凪も、悲しくなっちゃう」
「……ごめんね……」
ふたりは密着している顔を離し、
「このおじさんに、いじめられたの?」
「ううん、違うの」
「嘘っ!」
小さな咄嗟の抵抗が、出来る限りのその理由を集め、訴えた。キッとした目が、私へ、
「おじさん! お母さんをいじめないで!」
「んん……」
何もかも一気に
「吉村さん、ごめんなさい」
「ぃぇぃぇ」
母は想い入れ一杯に、語気を
「……凪。この人はね、お母さんが、昔、よく知っていた、吉村さんっていう人。いじめられていたんじゃないの」
「本当?」
母と私を見比べる目が、首ごと往ったり来たりしている。
「本当だよ。昔の想い出を話していたの。楽しかった事を想い出しているうちに、吉村さんもお母さんも、自然に……涙が出ちゃったの……。凪も、わかるでしょう?」
「ふうぅん……」
凪ちゃんは、束の間を
「わかった!」
「ねっ、そうでしょう?」
「
もう、
「ごめんなさい。間違えちゃった」
「ぅん……」
私は、そう答えるのが精一杯だった。母も
いいんだよ。いいんだよ……。
……それは真波さんと、私の、声にするまでもない、心のひと言で、あったろう。数限りなく、この空間に散らばっていった。重なり合えば、嬉しい。舞うほどに、麗しい。少女よ、君は、あなたという存在こそは、かけ替えのない多くを通わせる為の、正真正銘の証しなのだ。あなたの声に、私達の心は動く。あなたの微笑みに、私達はしあわせを感じる。あなたの愛に、私達は、あなたへ応えたくなる、応える責任がある、本気を捧げるだけの、価値がある。私達にそうさせる為に、あなたという人は、ここに、いる。だから……ほんの間違いなんて、許せる、譲れる、受け容れられる。わかってくれたのだから、わかってくれるのだから、過ちが過ちではなくなる事を、あなたは、教えてくれたのだ。それを何という? それが何に見える? 小さくても、愛は、愛なのだ。以上でも以下でもない、それしかない、愛なのだ。
そうだよね、凪ちゃん。そうだよね、私の中の、少女よ。世界中、どれだけいるかわからない、たくさんの、大人になった少年少女達よ……。
凪ちゃんと出逢った瞬間から、私の中で響き渡っていた、彼女の言葉、
どうして泣いているの?
小さな彼女は、たまさか遭遇してしまった、母の落涙に寄り添い、そして、その母と、ともすれば、自分達の
少女の、もうひとつの実際の言葉としての、
もう泣かないで……。
小さな回答は、その証し。どれほど、
『いいんだよ』
『そうだよね』
みんな、わかっている。息をも
それは、あるいは、愛されたいと願う以上に、更に一歩踏み出し、愛される為に、誰でも為し得る汗と涙を信じ、
私の中に潜むあの
「凪。凪はいい子。わかったでしょう?」
「うん!」
「うん。じゃあ、二階へ上がりなさい」
「はあ……い。吉村さん、さようなら!」
「はい、ありがとう、さようなら……」
「バイバイ!」
「バイバイ、ィ……」
私の右手の、ありがとう、は、きっと、特別な事ではないような意味合いに、凪ちゃんには映っているだろう。小さな純白の綿帽子の笑顔は、
バタ、ン……と、ドアの向こうへ、消えた。冬の清爽な光の匂いが、立ち込めていた。
「……」
真波さんと私の、それであったろう。それであったはずだった。間違いないはずだった。さればの
さようならじゃない。さよならなんてもういやだ。さよならだけは、したくない……したくはないのに……。凪ちゃん、本当はそうじゃないんだよ……さよならさせて、ごめんね……。
大人の本当なんて、どうでもいい。気がかりなままの私と佇み、怖れを秘めた待ち
依津子さんの顔が、凪ちゃんに喚ばれ、宙に彷徨っている。姉妹は図らずも揃い、同じ顔で待っていた。待ち
「凪ちゃんは、私事で恐縮ですが……」
「……」
「僕が昔、崖上の家から見た、高見さんの家の、小さな女の子……そのものなんです」
「……」
真波さんの身を斬る
「僕の中に、今も生きている。そういう人が、実はもうひとりいて……ごめんなさい、僕の亡くなった祖母と、同じようで……かけ
「んんっ……ん」
「祖母の時は、悲しいままだった。でも、今日、あの少女のような凪ちゃんと出逢えて、はっきり、わかった。こんなにも、愛してくれていたんだ……って」
「ううう……」
「僕も、同じぐらい、愛していたんですね……」
「……」
「凪ちゃんは、あなたに、涙を超えさせる為に……生まれて来たんです」
「うっうっうう」
「僕の中の少女と共に、生き続ける以上、ほら……見て下さい。超えてみせている、笑ってみせている、悲しみを、笑顔に変えてみせている……いつか、いや、今度こそ、今こそ、超えなさい、笑いなさい、変えてみなさいと……涙が、教えている……」
「……」
「一生分泣いた涙だって、
「は、は、ぃ……」
「自分の過ちの
「ぅううぅぅっぅっ……」
「後悔以前の愛、そして、後悔を得て、あなたが学んだ事を……。あなたの心の叫びに、置き換えてみれば、よく、わかるんじゃないでしょうか……すみません、キツイ事ばかり申し上げて……」
「ぅぅんぅぅん」
頻りに首を横にふって、応えてくれる。
「どうか、和解の花束を、真波さんから……」
「ぅんぅん」
うなずくほどに、私の涙も真面目に応える。
「僕はかつて、正直に言いますと、畜生、この野郎と、酒で出来上がった心で、大したものは創れませんでした。一瞬にして、自分であろうと
「んんっ、うっうっ」
「んん、凪ちゃんの為にも、再び、家族を……」
「……」
「棄てられないものを、棄てようとするぐらいなら……その、あなたの……本当を……」
鎌倉が、泣いている。帰って来いと、早く帰って来いと、泣いている。あの街が、あの森が、あの海が、あの……懐かしい、柔らかい、温かい、人の心が……形を創らずには置かない。素直な顔だった。寂しい顔だった。人知れず、一生懸命に絞り上げるままに成した、言葉
どれほど、理解されなかった事だろう。どんなに、理解を求めていた事だろう。永年の艱難辛苦を乗り超えんとして、ただ
嘘のない旅路の
謙虚な汗こそが、ただそれだけが、人を、美しく、する。……他の何ものよりも……許されし、
私は、尚も、ぶち
「自分の痛みにだけ、敏感で……何が……期待出来るのでしょう? この広い世界で、痛みを持たない人が、どこにいるのでしょう?……形こそ違えど、痛みは、痛み……みな、同じです。依津子さんも、お父さん、お母さんも……。今、あなたの中にある、全てを……どうか、信じて下さい、どうか、伝えて下さい、わかってあげて下さい……必ず……必ず……わかってくれる……はずです……お願い、します……」
愛する誰かが、心の痛みに涙する度、いつかの、誰かのその涙を想い出す度、自分が贈っていた愛のプライオリティーは、ともすれば、他ならぬ、腰高な自分自身がひとり占めしていたと、わかる時がある。自分は、被対象者であるべきではなかったと、わかる時がある。
私の、率直な意見である。
良い汗を、気持ちの良い汗を、もっと知りたい、知って欲しい。
それは、言葉を連ねるほどに生まれるタイムラグの、時に嘘のような、あるいはすり替えるような、不確かなものではない。素晴らしい音楽が、旋律が、一瞬にして聞く人の心を掴んで離さない、与える印象が本物を想起させ得るふうの、異口同音と言える。本当だけが
本気。悉くを可能にする、愛。
それを求める事。
しあわせ、という、
本気の汗を、全力を捧げ尽くしても、叶わない事は、ある。ならば、失敗を怖れる逃げ腰で、覚悟を決めない態度で、何が期待出来ようか。挑戦する心に、意見出来ようか。もう一度、今度こその、出し切らんとする、負けまいとする姿勢に……。たとえば、
真波さんの、心の窓辺に宿る雫が、
そうして私は、今日の目的は果たしたと、考えていた。真波さんは、わがまま勝手な事ばかり並べ立てられて、だいぶ消耗している。実に、申し訳なかった。もうそろそろ、お
私は、ただ、ぼんやりと自室の窓辺に立ち、善くも悪しくも問題にせず、稲村の海を押し撫でるように眺めていた。とは言え、どうしてもせっかちになってしまう、視程の届く限り、快晴の日和にこそあれ、なかなかのびてはくれない。幼春を
そして、今の私なら……次に……窓を
あまり寒くはなかった。私は、いつものダウンジャケットを羽織り、そして、玄関を出た。外気は
……永く、どこかへいってしまっていた、その目で……。
「はい! 私です」
彼女が、応答した。私は
「やあ、こんにちは」
「こんにちはっ! 今、どこにいるの?」
「家……」
「ふうぅん、私もよ。ねえ、何してるの?」
「うん……」
「うん……」
私は、
「あの……」
「うん」
「庭に出てくれないかな?……」
「えっ?」
「スマホを持ったまま、話しながら……」
「う、うん……」
彼女の怪訝そうな顔が、私の脳裏を
どうにも言えずにいるうちに、こんなにも膨らませてしまう経験を、繰り返しているのに、そこから学んでいなかったのだ。その甘さと弱さを放置しようものなら、
もう
やはり……今頃になって、悉くの不安材料が、噴出する。大体において、私が安易に
私という男は、その
その中身は……どうしても
消し難い記憶が、
けれど……けれども……
冷たい言葉、態度、それらを
遅過ぎたなら、さぞ、辛かろう。どうせ……と、自暴自棄にもなろう。その気持ちに、いやと言うほど蝕まれて来たのだ。であるだけに、それを破壊し、最早そうではない自分の中に、愛が蓄えられるまで、もう一度……再び、人を愛せるようになるまで……自分を見つめようじゃないか! 誰にでも出来る事じゃないか!……負けないでくれ……。
私は、そう、自身の
最後の回答。
Welcome? or No, thank you?
誰の事を?
自分自身も?
……なるほど!
そして、そう想うほどに、私という男が佇んでいる。眼下に、かの麗人は姿を現した。私という名のダムは、右の
その時……彼女の、空を見つけるも
……しばらく、そうしていた。肩の辺りが、
だって……君が頑張って……小さく手を上げて……何度も、うなずいてくれるから……。私の中で、罪の意識と
誰の中にも、
……私は、そんな夢を見たかったのだろうか……ただ、君に……ありがとう……そして、ごめんなさい……。ふと、君の言葉のようにも、あの唇が、声は届けぬ口笛を歌い、だから……風は応えて背に乗せ、優しく、
よって、大人になった高見依津子と吉村陽彦は、初めて隣人同士として、出逢った。
でも……やっと、見つけたんだね……見つめているんだね……僕も、嬉しい……
もう一度、いや、何度でも、ただ、君に……ありがとう、って……言わせて欲しい……。本当なら、僕が迎えに行かなければいけないのに……お願いだよ……。許して欲しい……とは、言えない。僕に、その資格はない。……ごめんね……。
現在時間、のびている。そんなのびしろが僕に耳打ちするのは、同じのびしろ。軽い気持ちで
肝心な事が、大して考えられず、言えず、出来ない代わりに、どうでもいい余計な事が、すらすら考えられる、平気で言える、いつも出来るようになってしまった自分を、世間は、見ていたんだ……。自分の人生を虚しくし、
そして君は、門を
登って来る。本気と集中、若さのベネフィット、一生という限られた時間軸で、僕を見定めた小さな笑顔が、だんだん大きくなってしまう。受け取り易いものだった。受け取って貰えるような空気に包まれていた。そこに、もう翳した手は見えない、うなずきさえ、ない。それなら、小さかった姿は当たり前に、意気込んで息を切らしているのがわかる、伝わって来る。君が与えてくれるものの大きさと同じぐらいのものを、僕は……僕こそが、今のこの時、
僕は密かに
終わりの数歩。心を使うやり切れなさが、険し坂につき添う最後の数歩。
やっとの事で言うまでもなく、それを使う楽しさが、決定権を握った初めの一歩を迎えようとしていた。
ふたりしかいない互いの……目前の笑顔、君は見つめる。僕は
……互いに、子供の頃によく見かけた、稲村の海から浜へ上がるサーファーのように、清々しい消耗を纏っている。君の濡れた睫毛が、
僕達は、きっと、それに勝つか負けるかで決まる、しあわせの天秤を見つめていたのだろう。そのカードが、君の
ふり返れば、極楽寺の街が、懐を
往き来するうちに、やがてその心は、忘れ去られるように
触れ合いに馴れない同士の、やや、ぶっきらぼうな右手と右手は、永き旅路の
ともすれば、解体と
険し坂は、急ぎ坂。その汗は、きっと忘れ得ぬ人生の糧となり、創り坂に姿を変え、いつの日か、喜びの花の雫を綴るだろう。桜の笑顔のように、いつまでも。涙なくして、君なくして、語れまい。
僕は最早、身も蓋もなく、
「ごめんなさい……」
様々に、目からも吹き出そうものなら、それはどうかして、消えてゆくような澱みのなさを禁じ得ない。
「……やっと……言ってくれた……」
「えっ?!」
忽ち
「崖上の人だ、って……知っていたよ……」
「……」
僕は言葉がない。砕ける。穴があったら入りたい。
通り過ぎて来たあらゆるものの中の、そのうちひとつとまた出逢い、想い出しながら眺めている
こんな事を言ってはいけないのだけれど、それに甘えて沸き立ち、茹でられた、半熟卵のような心しか、ないんだ。それが言い訳になる、わかっている。遺っているものを見せるより他に、何もなかった。罪悪感と自責の念に畳みかけられ、古い洗濯機の脱水槽に絞られるかの後悔は、
今まで、数え切れないぐらい刷り直し、その度に忘れ物にしていた言葉を、今、ここに至り、もうわからないほどの新しさで、蘇らせたい……そこからであった。何も、かも。
「ごめんなさい……ごめ、ん……」
「……陽彦さん」
「……ぅぅ」
「……もう、いいの……」
「……」
「いいんだよ。……こうして、我が家の上に、あなたがいてくれるだけで……元気な姿を、見せてくれるだけで……昔のように……真波のように……。みんな、帰って来てくれるんだね……嬉しい……」
春の足音のように、君は花の雫をしたためた。遥かな約束の風が流れ、どこかへ赴かんとする早暁の如き、聡明な残英は微笑する。僕と自身を守る為の、
僕の
想い出すそばから、誰かの笑顔は声援になる。誰かの声は、去っていったあの日、
励まされるもの、熱くなるもの、癒されるもの、口ずさんでしまうもの、そして、ずっと欲しかったもの、今でもそう想い続けているものが、ある。そして、それを頭の中で諦めようとも、心が、それを許すはずがないではないか? また、なぜか、想い出すではないか? そうだろう? それが、忘れられないという、求めているという、大切な想い出なんだ。形はなくなってしまっても、今は違う形でも、大切なものである事に変わりはない。それがないと言い切れる極端さは、失くした大切な形を、
そういう僕の真の心の声は、君の生き方に、ありがとう……に、限る。「許して下さい」と、言える資格のない僕を見つめる目が、その声に触れたように、優しく潤んでいた。
その、肩を
新しさは、新しさじゃない。
新しいように見えるもの。
誰にでも創れるもの。
あなたにも……。
「依津子さん……」
「……」
「こんな僕の、言い訳に過ぎない話を……どうか、聞いて欲しい……」
「……」
「僕は……自分の無言が、辛かった。それがなくても、辛いから……無言の陰に、隠れていた。それを貫いて来た、そういう人生だった。自分の手で壊し、失ったものが、あまりにも大きかった。無言でいても、告白しても、どう転んでも、現実は、変わらない。そう、想っていた。自分から手離してしまう、いつもの悪い癖から……鎌倉へ……逃げて来た。ジレンマから、逃れる為に……」
「……」
「そして……君と、出逢った。僕は、子供の頃の君を、よく、覚えている。でも、初めは、君が、高見さんのお姉ちゃんだと、わからなかったんだ。やがて、記憶は繋がって、十数年ぶりの、大人になった君との再会の嬉しさは、今でも、忘れられないんだ」
「……ぅぅっ」
「失くしてしまった、大切なものを、やっと、見つけたような気が、した」
「ぅん」
「でもね」
「……」
「ふとした事から、カウンセリングに通い、君を、サークルを通して知るほどに……僕と、
「……」
「喪失感と、闘っているんだ、って……」
「ぅぅぅ……」
「それでも、僕とは、違う。君は、それから、どんどん行動していったよね?」
「ぅん」
「アクティヴだなあ、って、最初は、少し、心配だったけど、それがだんだん、僕を勇気づけてくれるんだ。まるで、寝たフリをしている僕を、揺すり起こすみたいに」
「フフッ」
「たくさんの事を、学ばせて貰った。でも……」
「……」
「そんな君にさえ、僕は……嘘を重ねてしまった……。冴え渡ろうとしている、稲村の海に、僕は、墨汁のような後ろめたい罪を……垂れ流してしまった……。この街に、逃げ込んで来てまで……」
「……」
「ごめんなさい……ぅっぅっ……」
「……陽彦さん?」
着替えたばかりのような、折り目正しい君が、涙の雲上に、立っていた。
「私ね……絵里子さんとの事で、何かあるような?……そんな気がしていた」
「……」
……その事も、君は……君という人は……。
カタストロフの一陣の風、翻る。僕は、二方向から押し迫られ、一気に崖っ縁に追い込まれた。
「すぐに……それと、わかった。……私……ふたりの事……知っていたんだよ……」
「フッフッ、ぅぅ……」
万事、休すだった。もう、何も言えない、合わせる顔がない、君の顔も、見れない。自業自得の引導を渡され、カルマの
「でも……」
「……」
「あなたは……抵抗して来たの。永い間、抵抗して来たの!」
「……」
「最後に、喪失感と出逢ったんでしょう? 今までの全ての悲しみは、そうでしょう?……そして、その人、正直者だったでしょう?……。創るのよ、今からでも遅くない、創れるのよ!」
「……ぅっぅっ」
「私も、同じ、同じなの! 私だって、偽りの生活だった。あなただって、私を、導いてくれたの。その気にさせてくれたの。本気を見せ合おう、って、陽彦さん、言ったよね? 言ったよね?! 私達は、教え合い学び合って、大切なものを見つけたのよ! そして、あなたが言うように、それを、真波にも……」
「ご、ごめん……」
「……ありがとう……陽彦さん……そして、ごめんね……もう、いいの……私の中で、過ぎ去った事なの……強い風じゃないの……」
「ぁぁ、ありがと、ぅ……」
僕の、重いなんていうものじゃない、心の圧が、幻を見せるように、体の中心圧に
僕の、許し難く消し難い、ふたつの真実を洞察していただけでなく、その上をゆく、雄大無比なる寛容さえ蔵するも、控えめにして
僕の為に泣いてくれる君がいれば、ただそれだけで、僕は、もう、立ち止まらない。僕達は、抵抗の汗を、惜しまない。君も、そう、考えているのかい? 僕達は、もう、真に、ひとりぼっちじゃ、ない。さればこそ、僕は……
「あの、僕ね……」
「ぅん」
「平塚へ、行って来たんだ」
「ぇっ?」
「……ごめんね。他人が、余計なお節介と知りつつ……話が、聞けたんだ」
「……」
「あの……、真波さん」
「……」
「もう……全て、洗われて、気づいて、自分の過ちにも、後悔して、反省して、心を……戻して、もう、誰も恨んでなんか、いない……
「ぅぅぅ……」
「君と、和解して欲しい、って、伝えた」
「フッフッ、うっぅっぅぅ」
「回答はなかったけど……最早、今となっては……君と、お父さんお母さんとも……想いは……同じなんじゃないかな?……」
「……」
「それで」
「ぅっぅっ」
「真波さん……四月から小学校三年生の、凪ちゃん、っていう、可愛いひとり娘がいるんだ」
「ぇっ?」
やはり、音信も風聞さえないようだ。
「凪ちゃん。ほら、風の、凪、と書いて」
「……」
「本当っ、渚で生まれ育った女の子、そのまま……」
「うううぅぅぅ……」
そのままの、小さな小さな、優しく息をする涙だった。
「依津子さん……。僕は、真波さんの話を聞くうちに、彼女の想いが、僕を今まで泣かせ続けて来たそれと、まるで自分の影のように、ぴったり、重なっていったんだ。それは……あの、率直に言えば……何もしてくれなかった悲しみが、友の助けを借りるように……何もしてあげられなかった悲しみを、喚んでしまったんだ、って、そう想った。自分の涙が、自分の涙を、何倍にも大きくしていたんだ。君も、真波さんも、やっと見つけたんだよ。人生は一回しかない。その深い悲しみが、本気の証しが、涙を作る。そこから始まるんだ。それを無駄にしないで。自分を裏切らないで。もう……手離さないで! 掴まえていて! これ以上、君の悲しむ顔は見たくない。一番大切な人を、悲しませないで! お願いだよ、君の本物に、本気に……正直になって欲しい……」
「あの時、もう、いいんだよ、帰っておいで、って……もっと、抱きしめてあげたかったあぁぁぁ!!……」
ありのままの、大きな大きな、愛おしく噛み砕いた涙が、痛い。さぞ、そうしてあげたかっただろう。そして言ってあげたかっただろう。その君の腕の中で、そっと折り畳まれていた、待ち続けていた愛が、泣いていた。叶わぬ想いに、崩れ落ちて泣いていた。何もしてくれないまま、去っていったあの日のように、君の腕をふり
……時代の波に揉まれるほどに、世風に晒されるうちに……
誰かの無理解を意地でも越えようとすれば、自分の理解を
もう、大切なものが、わかるでしょう? 愛するという事が、見えるでしょう? 守るべき、愛するべき、大切な人が、いるでしょう?……。その人が泣いているなら……自分と同じでしょう? そうでしょう? もう、自分に嘘を
君は、悲しみの
鎌倉が、悲しい。鎌倉に、寂しく、笑って欲しい。誰もいない、誰も見ていない。しかし、僕達だけ、孤独なしあわせを夢見ているのだろうか? その心は
何もしてくれないその人は、
何もしてあげられない君と、同じ。
君なら、どうする?
その人は、何を想うだろう?
わかってあげられない度に、
わかってくれなくなってゆく。
わかろうとする前に、
わからせようとするから。
知る前に、知らせるから。
学びかなければ、
何も教えてはくれない。
重ねた年月が、熟してくれなくては困る。
腐ってもまた、困る。
土台を軽んじれば、特化した理屈は、当然、
脆い。
自分を、騙し続ける事は、出来ない。
空白は、余白に見せられるものでは、ない。
内なる火を、穏やかさに変換出来る事、
それを知ろうとする優しさに、心の花は、
ふと……自然に。
人と、いうのならば。
……私達ふたりは、坂道の上で、ただ、風のように揺らめいていた。堂々巡りの罪悪感を超え、卑屈と頽廃に流されない、強かな自由の風に。その偶然を、謙虚に感謝出来るなら、差しのべる手は、放っては置かないような。
きっと、依津子さんは、死ぬより辛い想いをして来たのだ。一番大切にしなければいけない人、あまりに巨大な存在を失い、泣き続けて来たと想う。裏切るという罪悪感は、そのままの形で自分の身を斬り、心が潰れるような、重苦しい荷を背負わざるを得なかったはずなのだ。その上、
生きてゆく資格さえ、虚しさに流されるかの悪しき夢なら、しかし、だからこそ、君は……君であるだけに……。他者への許しが、そのまま、その形なりに、自らがゆくべき道の選択肢の展がりへ、導いてくれそうな、そんな気がしているような、君の瞳は、何かを静かに読んでいた。
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