冬の鍵 裸の月
我らのツーリングは、
私は、再び車上の人となった依津子さんに断りもなく、マナミさんと、再会を誓った。もちろん、姉の意を汲んでの事と、自信がある。如何なる
この道は、どこへ通じているのだろう?……。実の所、私の勘は、彼女を追い駆けるほどに、現実のものへと、形を露わにしてゆくのだった。……湘南の人なら、知らぬ者はいなかろう、相模湾を
冬草の、硬めの緑の
スムーズに、左へ入った。
だんだんと、木洩れ日の隙間を塗り潰してゆく、常緑の潤筆は滴り、私は、いつかの記憶が、彷彿と、アビリティーを主張し出す。短かい左カーブの終わりは一転して、右カーブへ……大きく切り返しては緩やかな登坂を繋き、片側一車線の、山道らしい、小さな半円を描くかのうちに、待ち構える勾配が、きつくなって来た。曲がり切ると、果たして……中盤の長い直線の険し坂、通称「パンダ坂」が、見えない頂上へのびている。野鳥の
そして……たとえ、何度寂しさに敗れようと、夢からは、逃れまいと。嘘の証明なる、不幸を、踏み潰すように。このままの今を、目の前にあるものを、手離さなければ、不安は、消えない……と、私達を、牽引する。招かれざる客は、来る。来るべくして、来るべきものは、来る。クライマー達は、汗を絞れぬ、口先小手先その場
数百メートルの一直線の先ゆきは、
右手に、
難所とも言える場面を、労せずして通り過ぎた私達であった。彼女は、自然さえ
……不安なら、その矛盾を何もかも、忘れてしまいなさい……
海は、隣りに来ている。すぐそばに、いる。一生懸命登らなくても、来るべきものは、来る。風のようなクライマー達が、依津子さんが……いつの間に、家族の声と重なり、歌う……。懐かしいあの頃、離れてしまった昔、ともすると、離してしまった故郷の夢を、語っている、教えてくれている。夢叶わずとも、間違っても、
中ほどへ進み、依津子さんは停まった。私は、すぐ後ろについた。彼女はふり向き、大きな声で、
「上、見て来るね、待ってて!」
あまりの元気さに、私はビクッと違いに気づく。さっきの
……やれやれ……とうとうここまで来たか……でも……依津子さんは本当に……。
「ハァ……。あと三台入れる」
「でも、ここでいいよ。夜景ウォッチャーのみんなの為に」
「うん、そうだね」
「いやあ……
「私は、もう平気よ……。さっきはごめんね」
ヘルメットのシールドの奥の
「ぅ、うん」
「じゃあ、バイクは上だから、レストハウスの前で待ってるね」
「うん」
私達は、ようやく、
……展けゆく……全角度オールフリー、360°の視界と共に、一歩ずつ、体が釘づけられるような、言うまでもない私……へばかりではないアピールが、湘南丸ごと使って畳みかけ、人々の肉眼を呑みに呑む。
永い間……自分の真実に向き合わず、留守をするうちに、いつか……そんな私がいる家にさえ、向き合ってくれなくなってしまった、海が……あの日の海が……私の方から手離したのに、忘れようとしていたのに……。
今しもあれ、時を超え、こんなにも、美醜調和に治める。
このままでは……という不安に支配されている時……寂しさに敗れそうで……そして……わかっているはずだ……。目的とモチベーションは霞む。だから……グレーの自分に、強くあれ!……そうそう、上手くゆくはずがないのだ……。決して懐疑主義ではなく、漫然たる不安に、負けるな! 誰でも普通に出来る、一番大切な、自分を難しくしない事、窮屈にしない事が出来ないなら、その、違和感に。たとえば、こんなふうに、時々、海を眺めたりして……。「あれもイヤ、これもイヤ」を、嫌がらぬ
さて、どうにかこうにか、やっと、ばったり行き合った。ニコニコ弾けつ、私を迎えつ、
「ねえ、展望台へ行こう!」
「うん」
早速やっぱり、彼女の賑わいだって、そこからだ。理解するに、余りあり過ぎる笑顔が、眩しい。
レストハウス館内に入り、エレベーターを待つ間、私は、トイレへ行った。すぐ戻ると、依津子さんは、熱を冷ますように、辺りを流覧している。ここの空気は、オーシャンテイストに包まれた、手づくりの清涼感が、この土地っぽい。ならではの割り切り方が、あちこちから匂いたち、隣りに並んだ私とて、想い出すべくして、想い出すもの全てが、
「私、本当っ、久しぶり」
「二回目だよ」
「へえぇ、来た事あるんだぁ」
「まあね。蘇って来るよ」
「フフ……」
何か、やけにニヤニヤしている。どういう意味? ハァ? そして三階に到着し、開かれた扉から……押され乗り移るは屋外の、南へ惹かれ、歩き出したふたり連れ……
たった今の「フフ……」という、一枚の
依津子さんの横顔を、風任せの髪のアジテーションが、時折ふうっと止まったように諦め、煌めきのシェルターへ閉じ込める。切ない
……
フフ……
あっ、そう。
どうして?
それで?
それから?
だけど……
だから、
それなのに……
やっぱり、
嘘でしょう?
それでもいい……
嘘でもいい、嘘であって欲しかった。涙なんか、大切にしている言葉を、奪うだけだから……。まるで嘘のように、美しい海だった。今、「愛してる」と「ありがとう」の陰で、そのひと言が言えなかった「ごめんね……」が、泣いているから、この海を、「美しい……」と言えぬほど、私達は胸を
ありがとう……
その、交換であった、と。
そして、宙を彷徨い、途方に暮れる、
だって……
最後の想いは、風になる。とても繊細だけど、
あの人の声が、聞こえるかい?
それは、誰?
元気?
どこにいるの?
今、何してる?
今すぐ、
逢いたい……
逢いに行くよ。
待っててね。
私達は、いつだって、待っているよ……
涙のあたたかさを、教えてくれた人。
自分を守る為のプライドが、涙になる事も。
天高く、
あの人へ、届け!
どこまでも、飛んでゆけ!
逢いたい人を、愛する人を、連れて来い!
君の「フフ……」の意味が、私の中で、確信にすり寄りたがって困っているのを、当の君は、わかるかい? この、一抹の不安を
真っすぐ口に出して、言える。
最後の想いは風になり、涙になって帰って来るのだから。
……天秤。片や、自分のプライド。
だって……。
折しも、
その声が聞こえる。
その声が泣いている。
マジョリティーを気取り、逃げ腰の
コンプライアンスの弱体化を危惧して置きながら、
いつも犯人を探している。
自分を疑わない。
錆びが喚ぶもの……
光に
……真っすぐな、風。ゆけば、山は、ある。挫折は、来る。立ち止まらず、向き合わず、
真っすぐな風は、風任せのようで、どこも風任せではない。それが、想いやる風の真意なのだ。誰かの為に、誰かの悲しみの為に、逃げ込んで来る、やり場のない虚しさの為に、癒しながら満たすべく、ゆく先を翳すべく。そして尚の事、逃げ続け、
……しんとしている。嘘ではなかった。風の嘘が聞こえなかった。人ひとりを
やり切れない想いの為に、再応の、風立ちぬ。自分に
今ようやく、器を綺麗にしてくれた、光る風に、素直に照れるばかりの私達だった。
「好き……」
彼女は、私を見つめていた。風で隙だらけのそれぞれの
好き? 誰を?……。
私も、君が、君達が、好きだ。
依津子さんと私は、二階の、展望レストランに来ていた。
こちらも、地の食材を豊富に使ったメニューが評判の、湘南
私は、人目、場所柄にかかわらず、想い切って、聞いてみる事にした。隣りは空席、声のトーンを控えめに。
「あの……」
「うん」
「マナミさん……妹さんでしょう?」
「ぅ、ぅん……」
「何があったの? 話せないなら、それでもいい」
「……」
しばし、ふたりの沈黙が流れるも、咄嗟の予約の、即座の履行に過ぎない。来るな? と、来たな! の完成による。真面目と真面目による。されど目は、私の正視と、彼女の、
だが、依津子さんの
「あの
「……」
彼女の目のサインは、正確だったとはいえ、それ以上の衝撃はカバーし切れなかった。致し方のない私は、
「ごめん……無理に言わせて……」
「ううん、いいの、このままで、いい」
「ぅ、ぅん」
「もう……十年ぐらい、前の、話。当時、姉妹で、あの駅ナカの店に勤めていて、私は店長の
「ううん」
「仕事仕事で、精一杯だった」
「うん」
「マナミも、頑張っていた。いつも、サポートしてくれた。でも……」
「……」
「力及ばずというか、個人成績は
自身のうなずきから、間投詞を奪われた私を、さっきの彼女の先触れのままの目は、まるで確かめるように熱を帯びている。悲しげな、光が宿っていた。
「そのうち……売り上げが落ち込んで来たの。立地は申し分なく、事実、夏場は飛躍するけど、季節の
「……んん」
「あの頃が、一番大変だった。あの
「……」
話のゆくえが、仄見えていた。依津子さんは私を慮るかの、大きな句点を打ちつけるように、寸時、間合いを取った。私の、鼻から抜ける息が、静かにそれを読んでいる。互いに微動する瞳の、
「そんな中……ある日、マナミは家へ帰って来なかった」
「ぅぅん」
「当時、あの
「ん、ん」
「お父さんお母さんも、私も、あまり……いい顔はしなかったの」
「反対、なさっていた?」
「う、うん……言いにくいけど……」
「そう」
「マナミが言うには、ふたりは、将来を約束していて、彼の実家の仕事を、一緒にやりたいって」
「ぁぁ、まだ正式に、彼から話はないんだ」
「うん、そう。私達は、やっぱり、家業を継いでくれとは言わないまでも、このまま一緒にやってゆくものとばかり想っていたから……」
「ううん、それは、難しい事に……」
「『鎌倉からは離れない!』って、言っていたのに……」
それを、深く残念に想ってしまった後悔が、この
私は、そう考えざるを得なかった。やはり、青春の
「急な事だったから、当然、家族だけでなく、社内でも問題になった。私は、片腕を
「うん」
「世間様への手前、警察の力こそ借りなかったけど、仕事しながら方々探して回った。信じ切っていた大切なものが、一気に崩れてゆくようで……でも、泣いてはいられなくて……」
「……何て言っていいか……」
「そんな生活がしばらく続いて、私、疲れ果ててしまった。あの
「ええっ?!」
「早期の、大腸がん……」
「ああぁ……」
「不幸中の幸いというか、たまたま、会社の健康診断の内視鏡検査で、疑わしい病変が見つかって、後日、切除して頂いて、組織検査の結果でも、やはり……」
「あっ、そう! 予後は?」
「食事や運動はもちろん、ストレスを溜めないように気をつけて、お酒も止めた。頻繁に検査しているけど、今の所、一度も」
「ううん、よかったね」
「ぅん、ありがとう。でも、本社勤務の役員だったんだけど、早期退職して、仕事は引退したの。やはり、心労による衰えには、勝てない、って理由で」
「う、うん」
崖上からは、とてもそういうふうには見えない、私であった。高見家の抱える事情が、勝手な想像を
「お母様は?」
「ぅん、ひと回り小さくなった気がする」
「ぅぅん、皆さん、大変だったね」
「ぅん」
「それで、カウンセリングに?」
「うん。何かを掴みたくて、色んな事を試して来た」
「そうだったんだ」
「私は、善かれとして、何も悪い事をしていないのに、悪者になってしまったような、罪の意識が芽生えた。そして、その私の罪の陰で、マナミの、家を放り出した罪が、見過ごされている、と、どうしても抑えられない。消しても消しても消えないの。消えてくれないの! あの
「……」
「こんなに頑張っているのに、なぜ、上手くゆかない? 報われない? 後始末はいつも私ばっかり。誰も、私をわかってくれない。みんな、自分勝手! って。本当は、私だって、私だって……」
「誰にも、言えなかった?」
「ぅん……。さっきも、一度手離して、この十年、途切れたままの、マナミの価値観……あれからのゆくえが、怖くて、居た
依津子さんの敗れし悲しみは、窓の外を駆け巡る
「僕も、家族との関係に悩んでいるから……辛いよね……。わかる……」
「……」
「でも、今にして想うんだ。時間の経過って、
「ぅん」
「サークルのお陰で、やっぱり……依津子さん! 君の存在が、どんなにか、僕に、勇気をくれたか……」
「ぇっ……」
「君が、好きだ」
「……」
「こんな男じゃ、しょうがないと想うけど、力になりたい。今度こそ、頑張れそうな気がするんだ。本当に……」
「ぅん」
「僕も、実家との関係を修復する。必ず、する。だから……君も……」
「うん、ありがとう……」
「僕の方こそ、どうもありがとう!」
「フフ……」
私の、人生初の、告白であった。あまり切れないペーパーナイフのような、響きかも知れないにせよ、本気のそれに、彼女の
「私ね、風の便りで、マナミが
「ぅ、ぅん」
「家族なんだから、たったひとりの、可愛い妹なんだから、忘れようなんて、そんな事……永遠に、無理……」
「……」
「妹は、想いを遂げたかっただけ。当時の私には出来やしない、自分で見つけた愛を、貫いた……。私は、目的に縛られるばかりで、忙しさに
「マナミさん……。
「あれから……はぐらかされてばかりだと諦めていた、あの
「うん」
「私に、過去の全てを再び吸い込ませる、あの目の弾力に……敵わない……」
「……」
「泣き
「ぅん」
「遺りものなんかじゃない。遺るべくして遺った、真っすぐに流れる涙で……」
「正しくて、真面目なら、やっぱりどうしたって、強い……。信じる、と、いう事が」
「……」
窓辺の席を、ふたりの無言が
いつかの海が、
「それを誇れるぐらいなら、それは、感謝すべき事よね……」
時に、依津子さんの瞳は、閃く。
「うん、そう……そうなんだ。感謝出来るんだ。僕は、言葉は悪いけど、畜生! この野郎! ばかりだった。そうじゃないんだ。それは違う。拡大解釈の
海の返事は、光だった。
寒空に洗われ、何者とて恨まない、光だった。
黄昏れて、
情熱にしか、見えないように。
自分に正直であれば、
決断も行動も、
早いように。
余計な言葉など、
ただ、ひたすら、日は、ゆく。
ゆける所までゆくはずの、日が、ゆく。
それまで、日は、沈まない。
永遠の日が、ゆく。
ゆくと決めたら、日は、死なない。
ふたつの海が、見えている。
小さな喜びを、ぽつりぽつりと集めた海が、遠い
今だけの喜びを、急いで掻き集めた海が、岸辺で、過去を
先の為にある汗のように、小さな喜びが輝いている。
今に
共に、喜ばしいはずのものだったのに、どうして、違う?
我慢するから小さいものと、我慢出来ずに走ったものは、先のサイズが違うのだ。
頑張ったのか?
そう言えるのか?
集めて来たものが、中身を変えてはいまいか?
今、この時……
縛られてはいまいか?
自由で、あるか?
誇れるものに、
心からの、
ありがとうを……贈れるか?……。
寂しさに負けなかった海が、胸を張り、優しく微笑んでいる。誇るだけならプライドにあらぬような、柔らかな光が、
「大切にされなかった私って、大切にしないからよ……ね。不幸って、みんな、そう……嘘つき……」
君といると、しあわせ過ぎて、私も、そう、想う。過去の自分が、よくわかる。悲しみの涙の、
……恨み心や無力な心は、人間の免疫抵抗、健全な精神と肉体を裏切ろうとする。自分を
私達ふたりは、夢への最短距離に、いる。真っすぐな、道である。海の真ん中に、のびている。せいぜい考え、愉しんだ
私達は、何年かぶりに、背筋を叩かれるように
「私の湘南
「うん、僕もだよ。でも、今日は、月が引き
「フフ」
「そう想わない?」
「そうだね」
「これから、また、何かが起こりそうと言うか」
「うん」
彼女の横顔の向こう、暮れ
「ねえ、陽彦さん」
「ん?」
「今日は、本当に、ごめんね……」
「いやぁ、いいんだ。お互い、よく似ているなって、わかったから」
「うん」
「もう、大丈夫?」
「うん。それでね……」
依津子さんは、くるりと、私に背を向け、胸のジッパーを開けて、中を
彼女は、左手を前に回して、
「これ……」
「ああぁ……」
ほぼ、言葉を、放棄せざるを、得ず、忽ち火照り出す顔を、
「さっき、買ったの」
「ぅ、ぅん」
ここ湘南
依津子さんと私を、沈黙が包み込む、この時間、行客の目は移ろい、ひとつひとつの家が、我が家の夢を見ているような、やはり広く知られる、西湘地方のなだらかな夜景にあった。夢巡りの嬉し涙が、大地のベッドに、遠く、懐かしく、静かな寝息の明滅を
まだ、私達の言葉は、喚ばれるまでもなく、風、いよいよ以て
……ひとつ、ふたつ、三っつ……。
指折り数えて日を繰るうち、幼なき兄弟姉妹はただ
僕という、私という存在は、一体、誰なんだろう?……。
見えない海が見たかった。暗い海でも見たかった。大人の真似をして、美味しいものを美味しいと言った。いけないものをいけないと言った。怒られても笑っていたけれど、笑ってばかりでも怒られたけれど……大人になり、今、こうして、我が
明日は、どんな一日になるんだろう?……。
かつての自分を、今も大切に出来るなら、期待と希望の誕生を、鮮やかに想い出せるだろう。小粒でも、美しいものは美しく、
小さな喜びにこだわり続けると引き換えに、自らの社会参加の説得力は、寂しく泣く。風向きは変わり、集め過ぎた心模様の色合いも移ろい易く、怖れ、背中を見せ、風当たりとて……冷たい。
……いつしか、
風向きを変えてしまった後悔に、心の鏡は正直だった。自分で風を起こすんだ。その風が、順風に変わる時を待つんだ。その機を待て。その機をとらえろ。その機を、
私は、想わず、
「三日月って、衣を脱いだみたいに、
「じゃあ、この夜景は、天から降って来た、衣の名残りかも……」
当意即妙の問答に、間合いは無用であった。私は、
「この夜景を眺めていると……光は、家から始まるんだなあって……」
「うん」
「古い話だけど、亡くなったおばあちゃんが、昔から、よく『唇に歌を……』って、口癖のように言っていて、いつも鼻歌交じりだった。即興で、おもしろい歌を歌っていたよ」
「ハハハ、へえぇ」
ふたり共、グラスの水が溢れるように、声を出して笑いを注いだ。彼女の
「その心が、今、よくわかるんだ」
「うん。やっぱり……」
「……」
「その光は、家に帰るんだよね……」
「……」
ふたり重ねた無言は、わかり切っている、迷えるかつてのクローズのサインだった。無言以上の心が、ざわめく瞳を伏せがちに合わせれば、しっとりと、折り重なっていった。
「私は、その手前で迷っている。帰りたくても、帰れない、そんな……」
「僕だって、そうだよ」
「……」
「でもね、迷うからこそ、その手前で、光を見つけられるんじゃないかな?」
「ぅん」
「どんなに小さくても、光がやっぱり光なら、始まりが途切れていない事、最初から、繋がっている事、ふと、忘れてしまっただけで、小さいだけで、ずっと、
「ぅ、ぅん……」
依津子さんの
「僕達は、今日、小さな光を確かめ合った。ほら、今だって、こんなに……本気で集めたから、夜景は涙のように、どうにもならなくて、美しく見えるんだよ」
「ぅん」
「……ごめんね……言いたい事、言っちゃって……」
「ううん、その通りだと、想う」
「暗くて見えないけれど、海は、一杯の、グラスの水からだよ。君が微笑む時、光が射して、果てしない海になる。同じ、水だから……」
「ぅん」
「ならば、帰って来るさ……君のように、光は、風と共に、海を連れて……。ねえ、覚えてる?」
「ぇっ?」
「今更……」
「ぅん」
「もちろん、後出しジャンケンみたいなものでもない。本気なら、常に、新しい。いつも、始まり。みな、それぞれの中で微笑んでいる、あの日と、
「う、うん……」
「汗と涙も、
「……」
「悲しい歴史を、繰り返さないで欲しい……。君のお陰で、僕は、自分の光に真っすぐでありたいと、想えるようになったんだ。だから……。僕も、必ず、期待に応える。約束する……」
暗い海が、月光の下、私を奏でる。
好き?……そういう自分が、やっぱり君が、好き。
嫌い?……そういう自分が、嫌い。そういう君を、私は、嫌いになれるかな?
好き、という感情を超え、たとえ嫌いになってしまったとしても、離れられないもの、それが、人生を大きく占める、家族、なるものである。離そうにも、離れるはずも、ない。離すだけ、無意味である。今、心に、誰が、いる? 真っすぐで、いよう。真っすぐで……。最大の自由、平和は、愛に始まり、好きも嫌いも、風のように、超えてゆく。海が微笑むように、煌めく。地球は、かくも美しい。永遠なれ……心よ……ありがとう……愛よ……もう、離さない……。憎しみが、憎い。愛が、愛しい。愛を持っているのに、なぜ?……あの時……。
ストレス。恨み辛みのそれは、仕事のそれをひと呑みにする。険し坂を越え、今のその山以上の、裏に
そして今、ふたりのこの至近距離に、手をかけようとしている冬の翼は、必然の勇気を見つけたのかも知れなかった。日
「マナミさんと、和解して欲しい」
「……」
「僕も、君の会社に、お世話になりたい」
「ぅ、ぅん……」
……目覚めては、誰がいる? 誰に起こされた? その少女は、
君と
誰だって、喜びは、しあわせは、いつも隣りにいるんだよ。笑わせてくれるんだよ。いつまでも、想い出に遺るんだよ。大人になっても、ずっと笑っていたいと、何事も、頑張れるんだよ。だから本気で、人を、愛せるんだよ。
もし今、笑えないなら、その小さな始まりを、想い出せばいい。出来る事なら君のそばに、連れて来ればいい。それが難しいなら、また君が逢いにゆけばいい。その始まりは、人の形をした、涙であったと、きっと今日より、わかる。人は元々、心の生きもので、あったと、昔のように、深く……。
涙が涙である為に、誰がどれほど悲しんだろう。悲しみが悲しみである為に、誰がどれだけ泣いただろう。悲しみは、誰の為に泣いたのだろう。悲しみは、誰の為にあったのだろう……誰の為に……。誰の為でもない。誰の為でもない。もう、悲しまなくていい。もう、悲しませなくていい。悲しみが、どこにある? 誰が、泣いている? ほら、笑っているじゃないか。笑えるじゃないか。やれば出来るじゃないか。もっと笑って。もう一度、笑ってみせて。たとえどんなに悲しくたって、笑っていられるじゃないか。やれば出来るんだよ、出来るんだよ。ならば、そこから始めればいい。自分の可能性を信じる事から始めなければ、しあわせとは、巡り逢えない。誰だって、いつでも笑顔を忘れなければ、きっとしあわせは訪れる。自分から微笑みかけるんだよ。君が、招くんだよ。そして……さあ! いやな事は忘れて、これからゆっくり、話をしよう。君の話が聞きたいんだ、聞かせて欲しい。しあわせに相応しい話で、もてなしてくれるよね。でなければ、幕は、上がらない。みんな、帰ってしまうよ。
喜びが、喜びである為に、笑顔は、あるんだよ。涙だって、あるんだよ。素直にもてなして、誰かを、しあわせにしてあげよう。それは誰? どこにいるの? その人が、きっと、君を、しあわせにしてくれる。みんな、寂しいんだ。待っていたよ、って、迎えてくれる。喜びは、素直に。でもね、悲しみは、控えめに。それが、笑顔だろう? 自分を守ってくれる、最も身近だから温かく、柔らかな、目に見えない、本物の、
そう、想うんだ。本気で笑おうとするあまり、涙が流れてしまうのは、君の本心、君の真実、君の信頼、君の希望、君の、愛……。君の最も身近にある本物で、埋め尽くして欲しい。人生は、本気を育てる坂道。君は、よく、知っているよね。一度、本気になったものを、簡単に、諦められるかい? そこだよ、それなんだよ。正に熱中、
依津子さんの、瞳を灯す月光の涙それこそ、
「私も……約束する。ごめんなさい、心配かけて……」
「それは気にしないで。それでね、あとひとつ、頼みがあるんだ」
「うん」
「どうしても、その前に、やりたい事がある。もう少し、時間を下さい」
「わかった。どんな事?」
「
「う、うん」
「お願いします」
「……」
いや、依津子さんは、数えているのではない、読んでいる。このままでは……の憂いのサインを、もしかしたら、
突と、
「私、気づいた。最後の大きな自由、本当のしあわせは、本気をこよなく愛する事に……。初めの、小さな自由ばかりにこだわっていると、大きな愛の体力は奪われる、逃げてゆく……。人を傷つけた分だけ、風向きは変わるように、人を、ありっ丈の大きな愛で包んだ歴史もまた、同じ事を、繰り返す……」
「……何かを想い立っても、支えに成長してくれるものが、永く存在しない想いや、大切な何かを失くしてしまった想い、その空っぽな心に、ひと摘みでも、愛があるなら、救われる。受容という地平に、静かに着地する。運命も、過ちも、ブーメランも、人だから、人を、許せる……」
「……」
「人は、憎しみの中で生きてはいけない。僕は、最期に、折り鶴を拵えるように、愛する家族へ感謝しながら……生涯を終えたい……」
「何かにつけ、そんな事、やれば誰だって出来るんでしょう? 自分はそういう事はしない、やっても意味がない、やる気がない……それじゃあ、何も動かない。それじゃあ、今の自分に何が出来るの? 何をすればいいの?……わかっているくせに、ズルイよね、私」
小さな事など気にしない、最後の自由を本気で集めているような、いつもの彼女が、いた。
「今日の話は、他の誰かに、言った事はない?」
私だけのシナリオが、男の翼の表面に、驚きを映させない。一から十まで、この
「うん」
「そう……」
美しい
妹は、どう想っているのだろう?
そして、
今、見つめ合う、君が……。
もう、辺り構ってはいられない、重ね合う
私達ふたりのに纏わりつく、悉くの誤解が、ひとひら、また、ひとひら……見届け
「ねえ」
「う、うん」
彼女が切り出すを、待ちあぐねている訳ではない、私の
「マナミとの約束を祈って、私達の鍵、かけよう?」
「うん」
彼女が、赤い南京錠を開けようとするより早く、ひとめくりの風は、その手を
銀のループの手すり二本を立て、等間隔に並べ置いた、鉄道の車輪のような鍵かけモニュメントが、恋人達を待ちながら煌めいている。尚も喜びの銀盃に見立てるに、無数にかかる鍵は、波々と
赤い鍵が、彼女の掌の中、冬の月色の仕業で
ふたり並んでモニュメントへ歩み寄り、彼女は、
「それ、貸して」
と貰い受け、想いっ切り、南の方角の暗夜目がけて投げつけた。銀の粒の閃きは何度か翻りながら、
動輪の如きが回り始めていた。助走に嘘があってはならない。もう、そんなものは要らない。見えなくなってもいいんだ! 何かを、誰かを、本気で愛するが故の盲目だけが、それだけが、求められ、選ばれし翼となるんだ!……。
準備を怠れば創りようがない。それをそのままにして来たから、飛べなかったんだよ、悲しいんだよ。そのひとつひとつが、今こうして、翳らせていたんだよ……。
不作を続けた無念と、
想像して欲しい。そんな世界が、どんなに素晴らしいか。
今ここで、ふたり一緒なら、わかるだろう?
再出発を宣し、誓う一投であった。違う風に委ね、違う時間識に乗り換え、新しいタームが始まったのだ。ふたりの前段のレジームが、革命的に打倒され、一新が兆しつつ、ある。過去帳に
「私……今日、来てよかった」
「ああ」
闇は、正直な平和を塗抹する。夜は大人しく、その声を聞き容れてさえいれば、何ら問題はない。繋がる掌は熱く、汗さえ湿らせ、私へ転じた体温は、拒絶なき驚きを以て、既に喜びが
選ばれてしまった
求められた極楽寺の街外れから
飛び出した君の翼が
雨になる
君の想いが
誰かの元へ馳せる時
僕の空は
あの日と同じ色で降り出す
僕だけじゃなく
同じ想いが
無限に続いて来た歴史が
鎌倉を
ふと
寂しくしている
あの坂道を
もっと登れば
僕の家は
悲しくなる
遠くに霞むあの海に
君と同じ顔をした少女が
現れる
『どうして泣いているの?』
冬の
意地悪
僕から
嘘の言い訳と
本当の言葉を
奪ってしまった
お節介な季節が
嫌いになりそうだ
僕も
ちょっかいを出したくなる
そうすれば
許されるような気がする
……依津子さんの本当の心を知った、その責任が、私を、妨げない。夜は、奥まるばかりである。朝が来るまで、どうにもならない。朝を引き連れる事が、私に、出来るだろうか?
一日の終わりへ、時が
今から連なるもの悉くを内包している、予感させる、壮大な夜の
何かをしたい本気を誤魔化そうとするから、大切な何かが遠ざかる代わりに、
私は、今、激しく、そう想う。依津子さんを見て、そう想う。心のままに憎み、泣いて来たなら、同じように心のままに許し、また愛し、涙涸れるまで、もう離すまいと、泣けばいい……出来るはずだ……。
笑うんだよ。
僕も笑うから、
それだけ、考えて欲しい。
涙次第で、純度が上がる事を、君が教えてくれたんだから。
その為に流した涙を、忘れないで。
想い出が辛いだなんて、そんな事……。
やれば誰だって出来る。
想いっ切り泣く事ぐらい、
本気で笑う事ぐらい、
もちろん、君にも。
そのひと言が言えなかった、自分の背中が追い駆ける姿を、去っていった誰かの後ろ影と共に、想い描くなら。
今でも、
塞がれているなら。
何かを言いたそうな、その顔を、その、瞳を。
それが……
涙なんだよ。
たとえそれが見えなかったとしても、
見せなかった心に、今こそ、
花束を。
家族であるが故に始まった悲劇を、そのまま終わらせてよいはずなど、どこにも、ない。
君の心の目が、今、鷲掴みしているものを、根
故郷の家という、本気の原点を語れ。
それを離してはいけないと言う事は、
そういう事だと、
強く、想う。
自分の事を棚に上げて、きつい事を言うようだが、他者へ向ける受容尊重、
依津子さんの瞳が、ある。
君は、何の為に、泣いていたのですか?
君は、笑顔の為に、泣いていますか?
君は、誰を、想っているのですか?
そこに、嘘は、ありませんか?
本気は、挫折の悔しさを曲げようとしない。
その気次第で、笑顔を見せる。
その人の心が、見えますか?
坂道を、一生懸命、汗して登って、緩やかに、降りていますか?
しあわせですか?
君とふたりなら、僕は……。
共感を超えた、理解。同情を超えた、理性。それは、この坂の彼方の
私は、
「本気を見せ合おう?」
「……」
依津子さんの、
必要と淘汰の天秤は、質量の均衡を休まず、正比例の関係に秩序立てる。理解すべき、主張すべきそれであるなら、同時に、不適な思考や言葉もまた、大きさを等しくする。よって、たとえば……とある愛の成就の為に、嘘を必要とするからには、言ってはいけない言葉が、生まれてしまう事……それは本来、使ってはいけない、取り去らねばならない事……たから、悲しくなってしまう事……想い出さえ、周りの大人達の
この、平塚市、みどり公園・水辺課管理のモニュメントを、
〝AINOWA〟
と、言う。
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