冬の日溜まり
私達は、そのまま、ひたすら真っすぐ、西へと駆け抜けた。国道百三十四号を、藤沢市から
前をゆく、依津子さんの目の先も、東から南へ回り込んでひと
そして、今、北へ走っていた。ジェイアール東海道線のガードを
国道一号、東海道へ、左に曲がった。センターライン沿いの車線を、ゆく。大は小を兼ねる、希望。新年は、もうすぐである。小は大を兼ねるはずもない、今年が、暮れつつあった。遥かなる
ここを曲がれば、市内北部、
わかっている事が出来ない、時間の長さが、音もなく、影のように、時に、風のように、ネガティヴな言動の裏で、必然の不幸……その生産を始めている。
神奈川県央の大自然に、また、巡り逢えそうな予感がしている。見渡す限りの
先ゆく車が流れ出し、後続のまま、
……左側の広大な公園へ、私の視程は
「ここで休憩?」
「……ぅぅん……ここが、終点……」
ヘルメットは
依津子さんは、想い切ったように、ヘルメットを脱ぎながら、公園の
「私、初めて来た……」
いい名前の
私から、入店した。続く彼女を……忽ち、二名の若い女性スタッフの眼差しが貪り、小さな笑い声さえ、すぐ
「……いらっしゃいませ……」
に、添えられた、掌が
……サークル内の話の中で、マスターを除く、何れのメンバーにおいても、家族、加えて、故郷と向き合う立場を、積極的に語ろうとはしない。かかる暗黙の了解事項の上に、関係の成立を
「いっちゃん……」
「ぅん?……」
「大丈夫?」
「ぅん」
彼女がふり向けば、瞳は、触れ合う。ホールからは見えない、奥の厨房が、少し、ざわついている。スタッフさん達の交錯が、のび悩んでいるように感じられる。そうは言っても、そういう誰がしは、
私は、アットホームなメニューを、依津子さんの方へ向け、文字を
「
「私も、お腹が
可愛らしいメニュー POP は、女性のナチュラルな目線を、
……駆けて来た
「私……この、
「じゃあ、僕も。
「ぅん」
依津子さんの目頭に
彼女と、私。いつもその場所に遺り、ふたりして、いよう。笑いながら、いよう。真実が微笑むなら、私達ふたりは……確かに……しあわせなのだ……そばに、隣りに、それぞれがいるだけで、歩いてゆける……あの坂道も、登ってゆける……遥かなる海へと続く、あの、坂道も……。それぞれの、様々な過去が……融けていった……ゆくほどに……融けていった……はたと、煌めくのは……涙にそぼ濡れた……一枚の、風……逃れゆく、風……だったのだろうか……。目を閉じれば、シルバーブルーの輝きが……喋り出す……。
なかなか堕ちてゆかない、女の強さは、ともすると堕ち易い、男の弱さを、見つめている。さりとて……一度、深く嵌り込んでしまえば、抜け切れない、女の弱さは、たとえ、どん底に堕ちようと蘇る、男の強さに……賭けているのかも……知れない。
恋愛の延長線上にある、結婚。やはりの、しあわせ。それが、普通だ。恋愛と結婚は、別物。それもいい。結婚ばかりが、しあわせじゃない。それだって、いい。しあわせのデザインは、フリーハンドだ。さはいえ、その方向性を打ち出せない、及び腰の賭けは、どこまでも自由に駆け巡る風を、窒息させてしまう。風が、風ではなくなってしまう。自由とは、決意なのだ。自由は自由でも、本気しか、許さないだろう。であるから、たとえば、風は、一枚という本気の、自由の形である。本気であれば、一枚だって……砂のひと粒だって……そんな事、どうだっていいじゃないか。本気になれない事が、問題なのだ。そこに、矛盾の根源かあるのだ。
私の、満たされざるメンタリティーは、あの時……あの、夏の夜……絵里子さんの乱気流に、触れてしまった時……創造の主人公という、肯定の波濤に、身を投じた。いわんや、波の反転、
風に、
臆病風など、ない。
男も女も、老いも若きも、ない。
被害者になり済ます睡眼の如きでは、
どうにもならない。
どこまでも、自由に、ゆけ! 駆けて、ゆけ!
ネガティヴの、ネガティヴたる
モラルハザードの壁さえ突き破り、
一段、上へ。そしてまた、上へ。
風の真実を、微笑ませて欲しい。
私も、そうしよう。
彼女に、そうしてあげたい。
私に、出来る事なら、
本気で。
のんびりとしているようで、ちょっとぎこちない、人の形をした符号が……その合い紋を包んで、私達のテーブルへやって来た。優しい
「お決まりですか……」
私は、
「
「ぅん」
依津子さんの返事は、まだ、少し、湿っぽい。
「かしこまりました」
爽やかな笑顔を書き遺して、戻っていった。しかし……
それにしても、私の考え過ぎかも知れないが、さっきから、ホールの様子を見計らう、スタッフさん達の気配が、なぜか……依津子さんから、離れてゆかないように感じられるのだ。その目線は、それとなく、方々へ流れてはいるものの、彼女の元で、悉く句点を打っている。ひと頻りの流れは、私の目の前に佇まう渦流に、
……依津子さんを、知っている……。
私は、大切なものが、ただ、
『依津子さんは、何を読み取り、泣いていたのだろう……』
想い出は、夢とイコールで繋がれば、しあわせという、饒舌。陰に隠れるなら、悔悟という、無言。針は、どちらに、ふれていようか……。真っすぐであり続けようとする、彼女の事だ。何れにせよ、語ってくれるものと、信じて疑わない、私であった。
……窓から射し込む薄ら日の中で、依津子さんが、ふと……なぜか、どこか、まだ、悲しくなってしまうように、映えている。彼女も自慢の、大きな肉厚の耳から、両の撫で肩の
……働く、若いふたりの女性マティエールの、そっと窓辺に寄り添い、外に駐めたバイクを眺める場面の頻回が、この店の風景画に浮き出し、彷徨える人影のように、空気を描いてまた、流れていった。
家族連れと
そういえば、お腹が
依津子さんも、私も、
……不意に……
銀のトレーに料理を載せた、ひとりの女性のスカート姿が、目の端にかかった。
想い切ったようだった。さりながら……
こっちへ
信じられない……
何という、
何という……
この、
リピートの、
美しき、誤解だろう……
現れた
もしかしたら、あの……いつかの……?……
彼女の、話にもあった、あの……
「お待たせ、致しました……」
「どうも、ありがと、ぅぅ……」
私は、謝辞を空白にしてしまい、黙礼に
瓜ふたつのふたりを、私はどうしても、瞬時ちらと、見比べてしまう。どうにも出来ず、どうにかなった時間の永さが、みなの前で、涙模様の
言葉数少なでも、無言のままでも、よかったのだ。その想念の、夥しいまでのプロットが、
……忘れられない、忘れたくない、そして、忘れないでいて欲しい、いつかの、約束。見失っていた、約束。……ようやく……目覚めたように、今のこの時を見つけ、遠く、遠く、鳴り響いては拾い、
風の
ここまで来いと……喚んでいる。
ふたりの声が、届けとばかりに。
天高く、届けとばかりに……届いた声は、
お互いの懐を、
かけ離れていた、それぞれは……
ぽっかり
今の私なら、断じて、そこには、触れない。たとえ逃げ出しても、砂上の楼閣には、触れたくは、ない。しあわせは、不幸を
人と人は、誠実なる
私の、悪い癖。閉じ込めたい、悪い癖。今は、風の
浮かんでいる同じ
厨房へ逃れゆく分身の、白い横顔を追い
……やっと……再び巡り逢えたのに……なぜ? どうして?……目もくれずに通り過ぎて往くのか。……風のように、流れ去って往くの?……。見ようとする
後ろ髪を引かれる、もうひとりの悲しみは、ふり向いては、くれない……。楚々と隠れゆく、その背中を、もうひとりとて、最早、目で、追えない……。虚しく切れた目の交信の本気が、満たされぬ空間に彷徨う。双葉を愛で、
人知れず、追いつ追われつする、双方向の流通は、
あの坂道を駆け登れば……窓辺に立ち、窓を
人が天秤なら、信頼されたい想いと、自分を守りたい想いを、いつも同時に載せる。
そして、
人が風なら……その
蒼き辛抱の心は、揺さぶられ、何れ、芯を固めよう。揺れるほど、強い芯に、なる。
そばにあって、いつも支えてくれた人のお陰と、知ろう。
継続なる力を、与えてくれた優しさに、心から……ありがとう……
それしか、ない。
こんな自分を、
涙は、決して、忘れない。
夢の中でも、忘れない。
「僕ね、
レモネードの甘ったるい酸味が、私の中へ熱々に差された微量の、喉から鼻へ抜ける
「……ん……フゥゥ……」
涙交じりの、やや甘
「いただきます……」
合図の呼応は、お決まりの、私の後攻である。無言を辞するより早く、彼女の右手は、出し抜けずにいる。いつも
みなが、ここに集う今、それにしてもカラフルな、愛の色合いに、息が詰まりそうで……
さあ……冷めないうちに、早く……あの
溜まり易く、その一方の、どうにも出来なかった、悪しき時の永さが、天秤に……無理矢理、手をかけて、泣き
……聞き届けた依津子さんの右手が……注ぐかのように、木製の
彼女の……ひと
「……ん……スゥッ……」
と、柔らかく出逢った。
融けるかの、落ちるかの、無くなるかの……
「……同じ……
「……」
「もう……あまり、口にする事がなくなってしまったけど……」
私は、ついに敗れ、
愛の色合いは、気
汗の色を、眺めていた。私達の辛抱は、頑張り切れず、人生に価値を与え切れず、時間を虚しくしてしまった、その事実の代償であるのは、言を待たない。しかしながら、時間なる
薄汗の煽るは……逃避という、
あの坂道を駆け登れば、達成の頂きに続くかの、分水嶺に揺れる、巨大なその天秤のように……
一段上がって……そんな、要らない手形を棄ててしまえば、虚構をぶっ壊してしまえば……いつでも復帰流は招き、拒まないのだ……。私達は、裏目逆目に翻りがちの汗を偲び、まだ愁眉を
……私達は、私達のして来た事は……間違ってはいない……。
女になり切れない女と、男になり切れない男の嫉妬が、風に洗われ、もっと、もっと、風に、化身してゆく。時の価値観を
的を射抜いてシンプルな、届けとばかりの
愛されたいと願うより先に、愛していなければ、始まらない。自らの抑止力を、
依津子さんは、自分自身を、
風の歌が聞こえる……風の声が鳴り響く……子供の頃から馴れ親しんだ、生活の匂いを連れて、戻って来た。……声が聞きたい。語って欲しい。語り尽くせなくてもいい。語り尽くすまで、夜通しでもつき合って、聞いていたい……。それは、みな、同じ。誰しも、尽きる事のない想い、願いは、誰かの笑顔と共に、風のサインのようなノックと共に、溢れ出す。その一気呵成を
私は、寂しさを拭えぬうちに……小学生時代の少年に、喚び戻されていた。耳の奥で、寡黙な父の言葉が、
男は、悲しい涙は流すな。
大変だった事を、達成した時に、
嬉しくて、泣け。
笑って、笑いながら、堂々と、泣け。
悲しい涙を、人前で見せるな。
ひとり静かに、涙を殺して、心で泣け……。
私の、座右の銘だったのだ。未だ果たしていない、親不孝な息子の約束だったのだ。いつも、泣いていた。ひとりで、泣いていた。まだ何も出来ていないけれど、ひとりぼっちの涙なら、私にも……。彼女も、そうだったのでは、なかろうか……。もう、ひとりは、いやだ。いやなのだ。いやに決まっているじゃないか。こんなにつまらない事はない。これ以上、残酷な話はないのだ。ひとり以上、平和と隔たる、何がある? 何がある?……。何もない。
「……美味し、ぃ……」
ふり返り、またふり返りながら涙雨
「ん……美味しい、んん……」
健康に良いものは、美味しく感じられるものだ。依津子さんも、自分の
自らの悔悟で、そうなってしまったと、真正面から受け止められなかった、グレー。殻の中で窒息していた貝は、食べられない。成長が滞ったかの、季節外れの、未踏の雲の峰をゆくが如き旅路に、
……届くだろう。わかるだろう。風は、連れて来るだろう……信じているなら、愛しているなら、それしか信じられないなら、こんなに愛していたと気づいたなら……きっと、帰って、来る。帰らなければ、いけない……と、して……人と、して……。大切なものの寸前で、自分が守り通して来た限界で、双方の岸辺を架け渡す、懐かしい伝達物質の交信が、互いに、涙の雨打ち際の旋律に乗せて、声にならないコールを重ね続ける。果たして、慎ましく譲り合っていた。人を人たらしめる、心のミニマムアクセス……家族、あるいは、故郷に贈る、誇り……なるものを。影が、風を演じ切ってこそ、輝ける汗を。であるから、その姿は
かと想えば……それ所ではない、
コツ、コツ、コツ……
と返り咲き、流れていった。爽やかな匂いが、した。
喪失へのプロセスが、彷彿として、
泣きながら、汀の日
「あの……」
「はい……」
「この
「ぁりがとうございます……うっぅっぅ……」
立ったまま、艶の乗った白く透けるような顔が、涙の奔出に持ち
……自分の汗の色を、自ら吹かせる風だけではなく……他者という、社会という、現実という……コントラストが鮮明な風に
私は、そんな事を考えていた。女同士の、見えない絆の強さを、その懐かしい色合いを、
「陽彦さん」
「うん」
「聞いて……」
「……」
……私は、ハッとして、息を詰めた。立ち尽くす
私の、彼女に纏わるプレイバックの軸とて、1ミリもぶれない位置で、急停止した。早い情報処理があまりに
『私を、よく見ていて……』
……出逢ったあの日の君が……またしても……いや、いつでも……蘇らざるは、ない……。君を巻き戻せば、君は、いつも先を歩いている。私達ふたりの、まだ浅い、鎌倉の歴史のひとひらが、淡雪のような、ひとひらが……降って来たのか?……。グレーの空模様を担う光が、雪に映えるなら、消えゆく雪の、消えぬうちの、刹那の雪明かりを惜しむに、
自己の表現と、証明。たとえば、想うに任せぬままの、不安な
汗を、愉しめそうである。私は、そんな気がしていた。涙が、日
……言外に伝わり来る、風……立ちぬ。
「……子供の頃……この
「……」
「懐かしいなあ……材料も、味も、全部
「うぅっ、ぅっ、ぅぅ……」
「もう、何年経つかなあ……」
遠ざかる影のような、依津子さん。
「妹と逢えなくなって……」
「……」
もしかして……たぶん……やはりの、妹であった。耐え難いまでの、言葉を切り離した姉の主張は、揺らめく
依津子さんの表白は、
ふたりの魂の慟哭は、最後に遺っていたものに、初めて出逢ったように辿り着いた、その証し。これから手を繋げる、失くしていた、汗の、愛の、涙の、その、色……。決して、遅いという事は、ない。色次第。心、ひとつ……。大仰な話かも知れないが、戦争に敗れた、資源のない日本は、昭和四十三年には、GDP 世界第二位に躍進した。貿易で復活したのだ。仕事で、過去の借りを返したのだ。その汗こそが、日本人の誇り、日本らしさである。真摯な心が息吹くなら、これからを、赴くままに、ゆけばいい。本気を尽くして、ゆけばいい。歴史の遺産は、あまりにも多い。人ひとりのそれであっても、大切なものは、多くの経験を語るのだ。世界は、日本の技術力と、精神性を待望していようか。そう考えるなら、個人が担うべき役割と、そして更なる夢が、どこまでも
……折しも……立ち疲れていよう、そのままの妹が……
「あぁぁぅぅぅ……っ、ぅぅぅっ……」
辛うじてずり落ちぬ、遺りし指節屈曲の五本とて、細々と天を指し、その棄て身の圧が、先
人という人の心の目が、
……過ぎ去りし時……失いしもの……。時代を見つめる目……その向こう側で、
……ゆくりなくも、大昔の、冬の吉村家の晩の食卓が、彷彿とする。我が家でも、鍋の
幾つもの、何人もの、唯一無二の
泣き崩れる妹の、掴めぬ掌の中に、見えないものがある。逢えなかった空白を、今ようやく、
……
さりとて、姿を見せない、セオリーの超越は、初めの一歩を繰り出すが早いか、突と、安心方向への進行を裏切り、期待の
永く……永く……
どこかで借りて来た、自分勝手だった優越が、時と共に、やはり知らぬ間に見つけた、日
最早、姉妹の、心の
……月光に照り映え、
自分は、
家族を超えてはならない。
超えられぬものを、
超えてはならない。
家族は、
あまりにも多くを与えてくれる。
であるから、
心から、ありがとう。
心から、こんな自分の為に、
ごめんね……である。
失うものもあれば、得るものもある。
失った分、得られるものがある。
多くを得ていない、与えられていないと、
嘆くなら、
失うばかりと、
心が、空っぽになるなら、
それは、
自分の手で、確かに、
掴んでいたのだろうか?
掴んだのだろうか?
なぜ、離れてしまったのだろう。
なぜ、掴んでいられなかったのだろう。
どうして?……
掴めなかったのだ。
なぜ?
掴めない……掴めない!
……自分ばかりを……愛してしまったからではないのか?……。
多くを、喜びの多くを……家族へ与えただろうか?……。
喜びを与えなくてもいい。
喜ばせなくてもいい。
喜ばなくても、
喜べなくてもいい。
自分が選んだのだ。
涙が止まらない。
悲しみを、どうする事も出来ない……。
それが、愛だ!
愛というものだ!
諦めてはいけなかったのだ。
自分の手で、
しっかり掴むという事を。
その手を、
離してはいけないという事を。
水には、
違いがあるという事を。
愛を失ってしまったなら、再び、掴むのだ! 得られるはずだ!
偶然と必然、両者の祝福を受ける……汗を、使えば。
波濤
ありがとう……が、
肥やしを、バネを……作る。
姉妹でしょう?
反対側に、心の針が、落ちないように、ふれないように、
さあ、
ほら、
笑顔と傘の、花を添えてあげて……。
やっと逢えたのでしょう?
姉妹の、ごめんね……も、きっと、言える。
そんな汗を、使って欲しい。
汗を、悲しませないで欲しい。
せめて……これ以上……。
愛があるなら、
涙を与えてもいい。
泣かせでもいい。
泣いてもいい、泣かなくてもいい、
そして、泣き止まなくてもいい。
愛しているなら……身を斬られるように、記憶が壊れても……
もう泣かない、もう泣きたくない。
もう泣かせない、もう……泣かせたくない。
姉妹は、一番大切なピースが抜け落ちたまま、人生のパズルを創って来たと言える。最早、泣く事も、泣かせる事も、出来はしない風を、疑うべくもない。信じるという事が、信じられるという事が、真昼の月に集う行客へ、喜びと悲しみの真ん中に、そのピースはあるを、信じさせる風である。本気を垣間見せる風である。汗の弱みを、弱みを見せる汗を、本気と言うのだ。弱みを見せずに生きて来ただろう。泣くまい負けるまいと、歩いて来ただろう。ここに来て、せめて、もっと……弱さを見せなければ、本気とは言えない。尚も弱さを見せるなら、登り坂の本気にしてくれるはずである。隠さず、つけ加えず、我が家の素顔を揃えれば……。上手い下手ではない……荷物をそっと置く時に……丁寧か? 否か?……教えられたままに……それを今でも守っているか? 忘れてしまったか?……そして、家と同じように、よそでもふる舞えるか?……。分け隔てのない、人へ贈る和順な心を、今のこの時とて、求めざるはないはずだ。……そんなに泣かないで。泣かないで。泣かないで……。だって……君が泣くから……海が、泣くから……風が、濡れるから……こんなにも……。
誰かの声が、いよいよ風に乗っては姿なく、されど瞭然と
……空白の……永い
どこにいたの?……何をしていたの?
何を考え、見つけ、手に入れたの?
大切なもの?……大切にしている?……それなら、いいけど……。
頑張ったんだね……よかった……よかった……
しあわせ? 本当に? それなら……それなら……いぃ、いの。
今……今、何が見える? 何を見ているの?
生きて来たんだね。生きているんだね。
あの時見ていたものは……今も見える?
あの時の愛は、今も、生きている?
昔のあの愛と、今のこの愛は、同じかな?
私は、昔のあなたをよく知っているから、それなら……いいの……
昔のように、今を愛してくれるなら、それでいいの……
今を、大切にして欲しい。
あなたのしあわせを、祈っています……。
そして、自分の汗から始まる、正直な色の証明……涙を……温かいものにして欲しい。弱みを見せない冷たい涙が、温かさを求め、誰かを待っているなら、その献身を見届けた涙自身も、いつか、温かくなれる。温かいなら、泣いてもいいけど……泣いたっていいけど……。涙は、己の汗にこそ、問う。己を
……わかってはいる。小さな自由に酔い、小さな喜びのそのままに、どっちつかずの汗は置き去られる。逆風さえない。内観もなく、涙知らずのプライドは、他の汗へ触れようものなら、己の汗の誠を以て、愛の針を、冷たい方へと傾ける。自戒なき汗に、謙譲や憐れみも疎ら、半ばレイシズムの風流れ、ロンリネスの涙流れ雲流れ……。後先を想像させぬ、
それは、私の、家族に対する想いでもあった。
やっと辿り着いた、やがての今。姉の
引き絞る弓は満を忍ぶ。弦の軋みは懐へ落ちる。沈みこそ浮かび、隠してこそ月映えの、幻の仄白き手は、もう……黙ってはいられない、見過ごせない。居た
待てない
コ、ツ……コ、ツ……コ、ツ……と……
ピンと張り抜いた空気圧をまた一歩、更に一歩
瓦解の
壁面さえ反響を諦め、無条件に受け容れれば
せめて波打つ喉の抵抗は、窮屈でも
依津子さんは、妹の手前で立ち止まった。
……被さるように、
「うっ、ぅぅぅぅ、……っ……」
トランジットを告げる、その手は、誰?……。
一瞬、妹の丸めた背中が
どんな汗も、汗は、汗……。遠い予感通りに、全ては、消えてしまう。汗が知り得た温かさも、冷たさも、手離した訳でもないのに、掴みたかった訳でもないのに、かの、心に点した灯の想いは、どこまでも果てしなく、切なく、棚引く。
そして、喜びもまた、喜び。ならば、どんな愛にしても……愛は、愛でしか、ない。そうではないようで、隠れるようで、失くしてしまったようで……忘れがちの我が身を惜しむべく、涙と共に、人の中で小さな灯を宿し、
明かりを点けたのは、誰?
そばに、誰がいる?
笑い声が、聞こえる?
みんな、家族。
素直にみんなの真似をしてしまう、
見習って笑う、自分がいるでしょう?
取り戻したいなら、
また、
そうすれば、いい。
そうすれば、いいの。
悔しくない。
嫉妬しない。
自分が置かれている環境への、問題の責任転嫁も、
その環境を選んだのは、自分、と……
悉くを妨げず、満たすはず。
妹の、預けてくれない瞳を求めて、ひたすら優しく見つめる、依津子さんの手の温もりは、そう、伝えているに、違いなかった。
かつての過ちを、必要とされた、嘘や無言の、あり得ない軽さ……で……
その肩を支えに、かつての姉は、高見家は、どれほど……しあわせであったろう……。誰もが、そう信じて疑わない目で、息を凝らして見つめる中、やる瀬ない撫で肩の仕事は、終わらない。依津子さんの手は、願いを塗抹して
姉の温かな両手が、妹の双肩を包んだ。甲の筋は立ちゆき、
「……大丈夫?……」
依津子さんは、沈黙を
「はぁぁっ、ぁっ、ぅっ、ぅっ、ぅぅ……」
妹は、渦流を抑え切れず、その遠心へと尚、強いて半分の想いを託すような、
そうではないだろう? そんなはずじゃないだろう? 待ちに待った、千載一遇たる、今、その時である。鈍い怒りとの深いつき合いからの、コペルニクス的転回の、一大事である。姉は小さく笑ってはいても、ひと言、
……今の自分を愛すな。
金は、今の自分の為に使うな。
未来の自分の為に、貯金しろ。
未来の自分を愛せ。
未来の自分を愛するように、
汗と、涙を、未来の為に使って、
愛を、守れ。
それが、人というものだ……。
私達は、本気を見せ合わなければいけないと、強く、想った。
今の、この愛を、全ては、
未来の為に。
君の為に。
古き良き誇りを持って。
……どこかへ失くしてしまっていた、パズルのふたつのピース。今、探り合えば、一緒に見つけた、やって出て来た、最後のピース。持ち寄る涙は、故郷の小川の如くこそあれ、注ぎ込む誓いは、蒼海に満たされざるはない。海の隙間は、月の涙滴に埋め尽くされ、
依津子さんは見つめたまま、動かない……まだ、動かない。裏側で動いているのに、届いていない、先へゆかない。目と目は、巡り逢わない。扉のチャイムに触れているのに、寂しくてノックしているのに、押し切っていない、力がまだ足りなくて、拳を、掴み切っていない、握りしめていない、涙のゆくえが……見えてはいない。やり場を探しあぐねる瞳の微動、渦のまま舞い上がりそうな、不安を見兼ねた
ここまで来た……掴みかけた……あとは……あとひとつで……間に合う……わかっているだろう? ……君だって、君なら、よく知っているはずだ。宙ぶらりんの想い出そのものを、目の前に息づく悲しみを、切なさを、ジェラシーを、憎しみを……そして、愛の塊まり全てを……本気で、強く、抱きしめればいいんだ! ……潰れるぐらい、砕けるぐらい、吞み込めるぐらい、
汗の塊まりが、涙を知った時、黄昏れの月光がこぼれた
君の本気を見せてくれ!!
人生における、
創意工夫の痕跡を刻むべく、
もっと言葉と態度を切り取り、
滞りつつある空気に貼りつけ、
願わくは、
出来る事なら、
ヴェールのように……
その、 ふたつの腕を畳み込むだけで……
地上の月のランデヴーは、
あの岬から、
海の
ひとつの顔を揺らし、
笑うように昇ろうか。
泣き笑いで昇ろうか。
そして、姉の両掌は、肩口から二の腕へと……滑り、救いを求めて、上腕を掴んだ。瞳にさえ及んだ力で、優しいだけではない、強い姉の目と化し、妹を見つめた。見届け人然とした私達も、鷲掴みされ、想い出帰りの
……やっとこさ乗り継いだ江ノ電が、極楽寺手前のトンネルにて、減速しながら駅へ近づくかの、最後の暗中模索、光の
あなたに逢いたい……あなたに逢いたい……あの頃のあなたに……もう、逢えないなら……あの頃は、二度と帰って来ないなら……せめて……いっそ……やっぱり……だから……それだから……それでも、いいから……いいんだから!……再び、昔のように、かけがえのない、新しくかけかえた日々を、創りたい……。
私は想う。
たとえ全ての証しを失おうと、忘れ去るように消えようと、
ならば……同じ心を、語らなければ、いけないのではないか?……。それが、筋道だ。本気の汗がなかったであろう、昔。私と同じ、昔。今、あるのは、本気の、悲しみだろう?……。中途半端な汗が、
懐深く
触れて欲しくないのに……
触れてしまう。
そっとして置いて欲しいのに……
そっとして置けない。
好きなのに……
素直になれない。
そして、
愛せなくなっていった、
愛されていないと……勝手に閉じ込めた、虚ろな日々。
心の目は、いつも挑戦的であるべき必要に、迫られているようだった。
それでも……笑顔だった、
家族……。
依津子さんの手に、今日一番の大きな力が籠もった。掴みし人は、掴まれし人を見つめている。誰であろうと、その手の中に、大切な人がいた。掴まれしその人は、掴みしその人を、人知れず見つめている。誰であろうと、その手の中にあるなら、大切にされていると、わかる。愛されている。そう想えるしあわせが、不可能を、諦めを、握り潰すような力だった。考え過ぎという事も、もう遅いという事も、誰の想いからも、吹き飛んでいるだろう。
……姉の背は、更に一段丸まって沈み、疲れを隠せない
姉の
言葉がない……言葉が出ない……
求めた時が……求められた時と重なっている。求められる言葉を、求める以外、何もない。降り頻る雨が、悲哀の雨なら、そして衆望は
自分の敗北を認めたくない証しの、グレーであったはずだ。時に、何かが悉く塞がれゆく、始まりの色でもあったはずだ。併せるかのように、突然……私へ……涙の
……ただの連れではない……と、いう……。もしかしたら……こんな男を、知っている……と、いう……私を、覚えている……と、いう……。
妹は、私をも、同じ記憶世界に巻き込み、彷徨い出しているのか? あまつさえ、私の
「マナミ……」
やっとの想いで姉が絞り出してくれた名前に、妹の一瞬……抱える分厚い本……永きに亘り、表題を忘れかけていた、黙読の一冊は……優しくタイトルを書き込まれ、いよいよ……諭されの、泣きっ
疾走する姉の目がある。男勝りの黒一色の麗装に守られた、その目は、さればこそ、優しくなれたのだ。自ずと引き寄せられる想いとて、正直者に違いなかった。……想い出のエピソードの数々……泣いたり笑ったりの、一日一日……は呼応して、眼前にぶら下がっていよう。かの塞ぎし関門を
「ありがとう……久しぶりの
「……」
……妹は……黙ったまま、走り回る姉を追い駆けていた。どこまでも、追い駆けていた。その幼なき小さな手と、喚び声……
……そういう姿に居た
創りたいという、概念だけがあった。サブに回ってはいられない、と、強く意識していた。その想いが蘇るものなら、その心を蘇らせる事が出来るなら、その何かが、以前と同じものでも、違うものでも、人でさえなくても、この世から消えてしまったように失くした、小さくても大切なものであっても……必ず、必ず……仄かな明かりのように、いつかまた、巡り逢ったように……灯る。生きられるのだ。生きてゆけるのだ! 無言さえ、
……小舟が
帰る港がわからない……帰る港を失くてしまったなら……その、辛うじて繋がっている綱を、引き寄せてごらん?……どこに繋がっている?……それはどこ?……昔? それとも今の場所?……。もっともっと巻き戻して、昔の場所が見えたなら……いや、今の場所しか見えなかったとしても……私達は、互いに、帰る港になればいい。帰る港になってあげなければいけない。見つからなかった大切なものを、見つけたなら、逢えない時間の辛さがわかるなら、見つけた者の優しさを以て、今、まだ迷いの中にいる小舟を、誰よりも一番早く見つけたように、その綱を掴み、手を引くように、今も昔も変わらない我が家を約束する、稲村ヶ崎の、幻のボラードへ、連れてゆくんだ……繋ぎ留めるんだ……。
それで終わりじゃない。それだけじゃ足りない。続け
しかし……いつかは、妄想は覚める。起き抜けの寝
私の
……
あの時は、確か……誰なのか?……想い出せなかったのだ。後日、大人になった依津子さんであった、と、わかったのだが……。そうだ!……彼女なら、あの時間、会社へ行っているはずだ!……。ならば……私が見たあの
……あの
絞り込めない怒りを、時間は、絞らせない虚しさに変えてしまう。戻れなかった、この道を、帰れなかった、故郷の家を、時を経て、懐かしさと愛おしさが、狂おしいほどの
「それじゃあ……」
依津子さんにとって、今となっては、事の成否の問題ではないはずだった。
「また、来るね……」
私達の無音、反射の「えっ?」。言下の「それから?……」。
姉は
「陽彦さん……」
「ぅん」
「帰ろう?……」
「だ、だって……」
どうして?! 坂を駆け上がってはくれない、登らない? せめて、想いの丈のひと
共有を望むなら、絆が要る。かの愛が求めない、絆は
……あの
……やはり……過去を訪ねざるはない……あの
この期に及んで、疑うべくもなかった。私は、身
ふり
……あの時……マナミさんは……私の姿を見ている……あまり日も経っていない……覚えている……ならば……私は……高見家の崖上の家へ帰る……隣人である事も……おそらく……。彼女の、子供の頃の記憶に遺る、見上げる隣家から我が家を見下ろす、少年の面影と……今、正に
……私は、依津子さんに、何て言えばいい?……その事を……今、話すべきじゃないのか?!……きっと、そのはずの……マナミさんだって……君に、家族に逢う為に……極楽寺の……岬への坂道の家の、近くまで……来ていた事を……。火成岩塊のようなスティグマを、閉じ込めるには、忘れるには……この今の……今あるままの、君達の愛しか、ないんだ!!
私の体は微動している。私の魂は叩かれている。私の
「陽彦さん、行きましょう」
「……」
私の心胆を読んだかの、やや朱を帯びた才媛の横顔が、
コ、ツ……コ、ツ……コ、ツ……。
ただ、見送るしかない、全会一致の衆目さえ背中で
ひとりの女性スタッフが、靴音を消して現れ、依津子さんと私の退店業務を請い、
「……」
私が透かさず財布から、合計金額ちょうどを払い渡した、レジ周りのトレーを、黙視決済するも淀みはない。音もなく、視程も塞ぎがち、一礼だけが際立った。
「どうもありがとう……」
誰にとはなく、黒尽くめのライダーは、小声の謝辞を向け、私も黙礼を供した。彼女は、ホールへふり返るが早いか、流覧するに任せ……と想わせるものの、すぐに、果てた。尽きるだけの理由が、来た甲斐があった理由が、そこに、涙を差し出す……。共に突き当たり、立ち止まらざるを得ない。全ての
ありがとう……。それから、何?……何?……。悉くを隔てた、恩讐を、今こそ、私達の中から、追い出す……。この再会は、目に見えない、明日に繋がる、最期の後ろ暗き、
……成就させたい……本当は、本当は……やっぱり、抱きしめたい!……。焦点を、絞れなかった訳じゃない! まだ……これから……これから……。
想い満つる故に、一致を免れんとする、
そういう私は、私へ向けられがちの、代わりに聞いて欲しそうな、マナミさんの目を、気づいて気づかぬふりをした。されど、吸い寄せられてしまう……
そして依津子さんは、
「フッ」
と、小さく微笑み、軽い一礼を贈り、急に前を向いて早足で、ひとり、店を出て行った。ドアか、微動している。向こう側の風が、小さく叩いている。マナミさんは、後ろ影さえ追わない。虚を衝かれ、笑みも礼も無作法なまま、すぐ
「あの……」
初めて、今頃……マナミさんが……
「……姉を、よろしくお願いします……」
その瞬間より早いぐらい、同時に頭
溢れる言葉を……もっと早く……本人に、直接……。今にして、今なれど。でも、私だって、この今は……何も……してあげられない……
私は、そうしなければいけない事が、わかっている。私にしか、出来ない事が。過去という領域の
「近いうちに、必ず、また来ます。今日はどうもありがとうございました。ご馳走様……」
「……」
寂しい顔同士の一礼は、浅くても充分だった。あまり腰を折れば、このコンタクトは、姉妹の久しぶりの懐かしさに敗れ、そのまま倒れ込んでしまうかも知れない、と、初めてのコンセンサスを咄嗟に完成させた。あとは
そうして
ド、ド、ド、ドドドドド……
「もう少し、つき合ってね」
「うん」
誤魔化しようもない想いは、辺りに届かぬはずもないエンジン音に急かされ、私をあえなく黙らせる。車に乗り込み、スタートボタンを押した。二台のアイドリング音が、腹の底に響く。彼女は左のウインカーを焚き、私も併せると、けたたましく道を砕きながら、前の幹線市道へ右旋回で進入し、西へゆく。私も、続く。富士山のでっ
これまでの成りゆきを、先送りした、再会であった。小さな喜びの中に、虚しさが入り込めば、
ひとり店の外で、私達を見送り、深々と頭を下げている、マナミさんの姿があった。自らの現実に、フィットしない領域のプライドが、終わりを告げるように。薄汗が脚色した悲劇を、脱稿するべく。私は、前部の座席の窓を、全開にした。
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