読ませていただきました。
嵐のような理不尽の一幕。荒らされる日常と心の平穏、そして衝撃的な幕切れ。単体で見れば何も起こっていないに等しい話でしたが、吹き抜ける暴力それ自体を目的に書かれた話だと感じたので、その点はしっかり達成されていたように思います。
ただ、これは承知の上で書いたのだろうと思う、そのうえで気になった点として指摘させていただくと、夫婦の描写、その葛藤そのものがいささか戯画的・類型的に過ぎたように思いました。息子との温かい思い出がある、息子のことは信じたい、いや自分たちが信じないでどうするのだ、しかし捜査の過程で自分らの知らない息子の一面を見せられどうしても疑惑が芽生える……「描写A」に対する「夫婦の感情の動きA’」の一対一の対応がものすごく露骨というか。うまく説明できないんですけど。もしかしたら男の思考はものすごく平均的な倫理観に則っているのかもしれませんが、でも子供って自分の人生の人質だし、ここまで分かりやすい思考をしてくれるんだろうか?という引っ掛かりはずっとありました。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
はい、そうですね。4年前のことなのでよく覚えてないのですが、「個」としての掘り下げは考えておらず、類型化によるデフォルメが第一義だった気がします。名前がイニシャル表記になってるのもそのためでしょう。たぶんですけど。
なるほどなるほど、息子さんの部屋から色々出てきたけど、その息子さんも生首だけ・・・
謎が残りますけど、あれだけ色々出てきたら親御さんも揺らぎますしね。
騒いでいたマスゴミや近所の奴らはだんまりなんだろうなー