1章 その3
アランとリュミエールは、街の一角にある通りを歩いていた。足元は石畳で綺麗に整備されていて、都会の様相を呈していた。そろそろ正午に差し掛かる時間で、それなりに人が多く行き交い、賑わいを見せていた。
「アラン、この柱は何?」
リュミエールは自分の背丈の倍ほどの高さがある、先端にランタンのようなものがついた柱を手でポンポン叩きながら質問した。
「それは街灯だよ。夜になると柱の天辺が明るく光るんだ」
アランは少し面倒くさそうに答えた。
「へえー! すごい! これがガイトーっていうんだ! 初めて見たよ! へえ、もしかして夜景の光ってこのガイトーの光なのかな?」
彼女は素直に感嘆の声を上げた。そして間髪入れずまた続けて質問した。
「ねえ、どうやって光ってるの?」
「えーっとね、電気ってやつを使って……」
「『デンキ』って?」
「ああ、俺はあんまり詳しく知らないよ。もう勘弁して」
アランはリュミエールの質問攻めにタジタジになっていた。彼女はこの街の隅から隅まで全部珍しいらしく、街灯のみならず、道行く人の服装、道路の形、街路樹の本数、橋の欄干に止まっている鳥の種類などなど、何でもかんでも訊いてくる。先程からずっとこの調子なのだから、案内役を買って出たアランも流石に疲れが出てきていた。
「だって、どれも私がいた村にはなかったんだもの!」
リュミエールは綺麗な緑色の目を一層輝かせていた。彼女の好奇心はとどまるところを知らない。
「こんなにしつこいとは思わなかった……」
アランは思わず小声で愚痴った。
「なんか言った?」
どうやらリュミエールは地獄耳のようだ。さらに周りを振り回すタイプの性格であるため、うかつなことを言うとその言動ひとつひとつに反応して興味を持ち、広大なクラーブルをまるまる一周させられるに違いない。アランは彼女の迫力に戦々恐々としていた。
「な、なんでもないよ。気のせいだよ、きっと」
アランは彼女をあまり刺激しないようにごまかした。
「本当に? ふーん、まあいいや」
リュミエールはキョロキョロとあたりを見回し、次の興味の対象を物色し始めた。
「そ、そうだ、リュミエール。今度はこっちから質問していいかな?」
アランは逆に彼女に向けて言った。自分が散々質問を受けているのだから、今度はこっちから質問して、回答する側の気持ちをわかってもらおうと彼は思ったのだ。
「何かしら?」
「君が住んでいた……セプテ村だっけ? そこって、どんなところ?」
リュミエールは一瞬悩んでからおもむろに答えた。
「えーっとね……。どんな、というと……静かな村だよ。昼間でも全然人いないし、ずっと土がむき出しの地面が続いていて歩きにくいし、ガイトーなんていうのもないから夜は真っ暗それから、うーん……」
言い淀む彼女の様子を見て、アランは少し満たされた気になった。どうだ、一つ答えるのにもそれなりの労力が要るのだ、死ぬほど質問される側の気持ちがわかっただろう。これで多少は静かになると彼は期待した。
「でもね、自然が多くて、動物や植物もいっぱい。ちょっと歩けば、すぐにウサギとか、薬草もいっぱい見つかるよ」
「そっか。よく森の中に遊びに行ってたの?」
「そうよ。楽しかったなー」
彼女は懐かしむようにしみじみと答えた。アランはやっと会話らしい会話になってきたことに喜んだ。
「いいなぁ。そういうの。この街にも少し歩けば森があるけど、俺はなかなか行かせてもらえないからな。危ないから、ってすぐ止められちゃうし……」
「もったいないなあ。楽しいのに。でも、森の中が危ないことは本当だね……。オオカミとかイノシシとかいるし」
「オ、オオカミ……!?」
「でも気を付けて行けば大丈夫だよ。もし見つけてもバレないようにこっそり逃げれば平気、平気!」
「ハハ……本当にたくましいんだね、君は」
アランは少し引き気味に呟いた。
「じゃ、今度はあたしが質問する番!」
しまった、とアランが思うのも束の間、リュミエールは強引に会話の主導権を奪い取った。あれだけ質問しておいてまだ質問することがあるのか、とアランは少し
「アランは、さっきあたしに会う前まで何をしていたの?」
「えっ?」
アランは予想外の質問に驚いた。今まではこの街に関しての質問ばかりだったが、急に自分についての質問が飛んできたためだ。
「俺が何してたかって? えーと……あの……そう、外で遊んでたんだ」
「一人で何をして遊んでたの?」
「俺、あんまり答えたくないんだけど……」
アランはリュミエールから目を逸らした。しかし、そんなことは露知らず、気まずそうにしている彼をリュミエールは容赦なく問い詰めた。
「え、何で? あたしのことはちゃんと答えたじゃない。ずるいよー! 聞かせて!」
「ずっと俺が質問に答えているのにその言葉が出るのか……君こそ何でそんなに聞きたいんだ?」
「興味があるからだよ!」
やれやれ、彼女には勝てそうもない、とアランは敗北感を味わった。彼は少し沈黙してから、恥ずかしそうにおずおずと答えた。
「わかった……言うよ。絶対に笑うなよ」
「笑わないよ」
「眺めていたんだよ。ア、アリの行列を……」
「アリ?」
「おかしいだろ。もう十一歳、小学校ももうすぐ卒業の俺がそんな子供っぽいことしてるなんて。馬鹿みたいだろ?」
彼は吐き捨てるように言ったが、その様子をリュミエールは不思議そうに見ていた。
「おかしい? そうかな? アリの行列見てるの、あたしも好きだよ?」
「えっ、君は俺を笑わないのか?」
「笑わないって言ったじゃない。アリの観察のどこがおかしいのよ。あたしにとってそこが一番不思議よ」
リュミエールは若干不機嫌そうに言った。アランは目を大きく見開いて彼女を見つめた。
「だって、父上やザザはそんなことはみっともないからやめなさいって言うんだ。だからこれはおかしいことなんだ」
「みっともなくないよ。アリが皆で力を合わせて大きな虫の死骸とか運んでるところ、わくわくするよ。アリたちは巣にごちそうを持ち帰るでしょう? それってアリたちにとってすごくうれしいことなんじゃないかなって思う。そのごちそうの一番おいしいところは女王様に献上して、残りはみんなで分け合うの。たまに大物が獲れたら、パーティなんか開いちゃって、歌って踊って大騒ぎ。そういうところ想像するのって、すごく楽しいよね!」
「……ハハ、流石にそこまで考えてなかったな」
アランはリュミエールの想像力にただただ驚くばかりだった。彼が思っている楽しさとは違うが、こんな見方あるのだと彼は気づかされた。
「こんな楽しいことがみっともないだなんて、絶対変だよ。あたしのお父さんはそんなこと言わないけど、大人って変な人が多いのね」
リュミエールはツンとした顔をして言った。
「でも、虫を見るのが好きな女の子も珍しいと思うな」
アランは少し表情を柔らかくして言った。
「そんなことないよ。セプテの村にはもっとすごい人がいたんだから。蛇の抜け殻集めをしてる人とか、おいしいクモの調理法を研究してる人とか。それに比べたらアリなんて普通過ぎるって」
リュミエールは眉を寄せながら、同時にやや自慢げに話した。
「クモ……ね」
アランは話を聞いてオエッと少し吐き気がしてきた。
それにしても、この女の子は自分とは全く違うな、とアランは思った。大人って変、普通過ぎる……。彼女の言葉を反芻し、その言葉の意味を噛み砕いた。変わっているって、何だろう。普通って、何だろう。彼女は彼の発想とは全く違う発想を持っている。彼女の思っている普通は、彼にとっての普通ではない。ずっと彼が変だと思っていた趣味を、彼女は変じゃないと言い切り、受け入れてくれた。きっと彼がそんなことをしている人を見ても、彼女のように受け入れることなく、ただ「変な奴だ」という印象しか持たなかっただろう。
彼女の前では、大人も子供も関係ない。ただ好奇心の赴くままに行動し、それを阻む障壁は彼女の中には存在しないようだった。好奇心を満たす行動に、変だの異常だのという余計な思考を挟まないのだ。それは彼自身が持っている「普通」という常識とは異なっていた。あれをやってはいけない、これをしてはいけない、と躾けられ続け、いつの間にか作られていた「普通」という名の鎖にがんじがらめにされていた彼だった。その鎖によって行動が制限されるのが常だったため、その状態にずっと違和感を持つことなく過ごしていた。しかし、何にも縛られない自由奔放な彼女の姿を見て、自分とは違う別の常識があるのだということをたった今理解した。そして、この瞬間、彼はそれを持つ彼女に興味を持った。
「リュミエール、やっぱり君は本当にたくましいよ」
アランはしみじみと言った。
「それ、女の子に言うようなことかしら?」
リュミエールは目を細めて言った。
「今更それ言うのかよ!」
二人は同時にプッと吹き出し、その後大笑いした。
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