1章 その4
リュミエールたちは周辺をもう少し探索し、日が暮れそうになる頃にオランド邸に帰った。屋敷の入り口ではまたオランドさんの使用人ザザが出迎えた。
ザザは二人の服を見て少し驚いた顔をした。結構な量の土が付いていたためだ。
「坊ちゃん、どうしたのです、その服は」
「ああ、うん……ちょっとね」
アランはごまかすようにはにかんで言った。
「ちょっと? 土まみれではないですか。まるで畑仕事をした後の農家のようですよ」
「いや、ホントに何でもないんだよ。ちょっと転んだだけ」
「転んだということは、どこかお怪我をされているのではないですか? 少し見せてください。私は旦那様のように大怪我を診ることはできませんが、ちょっとした怪我であれば応急手当くらいはできるのですよ」
「だから、大丈夫だって!」
アランがザザに対して怒鳴るように叫んだ。その横から、リュミエールがボソッと小声で口を挟んだ。
「本当に何でもないんだし、別に隠す必要ないじゃない」
「馬鹿っ、世の中には人にバレちゃいけないことがあるんだよ! 言っただろ、危険なところへは行かせてもらえないって。心配されるし、怒られる。だからさっきのことは黙ってて」
服が汚れたのは、リュミエールは屋敷へ帰る道中、怪しい小道を見つけたときのことだ。その小道が気になって仕方がないリュミエール。アランはそこは危険だから駄目だと一生懸命彼女を引き止めた。しかし説得の甲斐なく、リュミエールは渋るアランを無理やり引っ張ってその小道を進んでいく。
すると、人気のないさびれた区画に出た。アランはこの先は危険だから絶対ダメだと彼女を再度必死に説得して引き返そうとしたが、それで引き下がるほど彼女はおとなしくない。逆に興味をますます強くして先に進もうとする。
本当に危ないからやめろ、と言ってアランは全力でリュミエールの手を引っ張った。リュミエールはあり余るほどの体力を持つ元気な女の子だが、男の子に敵うほど腕力は強くない。彼女は彼の力に負け、勢い余って二人とも後ろに倒れた。そのときに、土が服についてしまったのだ。
「ああ、あのとき服汚しちゃったからかな。それは怒られるね。村にいるとき、友達がよく服を泥だらけにして怒られてたなあ。あたしの家だとこれくらいじゃ怒られなかったけど、家によってはすごく怒られるよね、アレ。それにしてもあそこ、土埃がすごかったよね」
リュミエールは平然とした顔で言った。服をポンポン叩いて服の汚れを落とそうとしていたが、手も汚れているので逆に手の跡が付く。
「お願いだからそんな冗談言ってないでこっちに合わせてくれ……後々面倒なんだよ。頼む。ただ走ったときに転んだんだって君からも言っておいてくれ」
アランは懇願した。またもやリュミエールに振り回される彼の姿がそこにあった。
「うーん、納得いかないけど……まあいいか。そういうことにしておいてあげる」
リュミエールは渋々了承し、口裏を合わせることにした。
「というわけで大丈夫です、ザザさん!」
リュミエールはザザに向かって元気な声で言った。つまりどういうことですか、とザザは意味不明そうに眉をひそめ、余計に問い詰められる結果になった。
「ごめん、君に頼んだ俺の方が馬鹿だったよ」
アランはものの数秒で約束を
「……つまり、二人はあの貧民窟へ足を運んだのですね。あれほど危険だと言ったのに」
「……ごめんなさい。でも俺は行くつもりはなかったんだ」
アランは正直にあのさびれた場所に行ったことを白状した。
「まったく、嘆かわしい。旦那様に知られればどんなことになるか。万が一何か起こったら誰が責任を取ると思っているのです」
「……」
アランは押し黙った。彼女のせいだとは言え、彼は父の言いつけを守れなかったことへの罪悪感があり、言い返す言葉もなかった。
「まあ、いいでしょう。今回だけは大目に見ます。服の汚れの理由はこちらで適当に繕っておきましょう。さ、家の中へ入りなさい。まだ旦那様とお客人は話しておられます。少し待つことになりますから、その隙にお着替えをなさってください」
「なんか、嫌な感じだね」
リュミエールはアランの耳元でささやいた。
「君のおかげでね……」
家の中に通されたあと、アランは自分の部屋に戻り、リュミエールは別室で着替えることになった。リュミエールは着替えを持ってきていなかったが、ここで借りることができた。リュミエールと同い年くらいの娘がいたという女性が使用人の中におり、その人から借りてきた服だという。
リュミエールは着替えて玄関ホールまで戻った。屋敷の中は広いので、うかつに動くと迷子になりそうだった。そのため、一人で動くとすぐにどこかわからなくなるので、ザザについてもらいながら戻った。もっとも、彼女にとっては屋敷の中を探検して歩くのもやぶさかではないが。
玄関ホールには、一枚の絵が飾られているのに気付いた。来たときは緊張していて気が付かなかったが、リュミエールはそれを綺麗な絵だと思った。その絵には白い花が描かれていた。薬草師の娘であるリュミエールは、植物について少し知識を持っていた。彼女はこの花の名前が「キョウチクトウ」だということがわかった。これは汚れた環境でも育つ、強い植物だ。その五枚の一重咲きの花弁は、可憐さや美しさよりも、強さ、たくましさを感じさせるようだった。
リュミエールが絵に見とれていると、後ろから声がした。
「おや、その絵がお気に召したかな?」
振り返るとオランドさんが立っていた。その後ろに、ベルと父がいた。
「それは私もお気に入りの絵でね。数年前に買ったものなんだが……」
オランドさんは絵に近づいて自慢するように額縁を触って言った。
「リュミエールは花が好きなんだ。村にいた頃はよく野山で採ってきてくれたんだよ」
今度は父が娘を自慢するように言った。
「ワハハ、流石は薬草師の娘ですな。すでにその素質が現れているようだ」
「えへへ……」
リュミエールは褒められるのが好きだったので、素直に喜んだ。オランドさんはいつも一言多い父とは褒め方が違う。
「おまたせ、ザザ、リュミエール。父上もお戻りになられていたのですね」
そこへ着替え終わったアランが戻ってきた。
「アラン、お帰り。どうだったね、街の観光案内は」
オランドさんは朗らかに訊ねた。
「それは……ええ、楽しかったですよ。ハハ……」
アランは思わず目を逸らして言った。
「楽しそうでなによりだ。ところで、二人とも服が変わっているが、どうして着替えたのかね?」
オランドさんは怪訝そうな顔をして訊ねた。
「あっ、あの、それは……」
アランは急に訊かれて言い淀んでしまった。彼は後ろめたい気持ちを隠し切れなかった。
ザザがフォローを入れようとピクリと動いたが、その前に父が会話に割って入った。
「まあ、大方リュミエールが無理やり連れまわして、そのときに汚れたんでしょう。昔から毎日泥んこになって家に帰ってきてましたからね」
「ええ、そうよ。お父さんだって遊んで泥んこになることは子供の特権だ、だからどんどん泥だらけになりなさい、って言ってたじゃない」
リュミエールがそう言うと、オランドさんがワハハと声を上げて笑った。
「性格までリュシールにそっくりだな、お嬢ちゃんは!」
「明るい性格は、本当に彼女に似たね。……もっと僕に似たところもあるとよかったんだけど」
そう言った父はこころなしか少し残念そうな表情をしていた。その後父は気を取り直したように明るい表情に戻って言った。
「さ、帰ろうか、リュミエール。オランドさんとの話は済んだし、明日から大変だから、早く寝なきゃね。僕は仕事を始めるし、君も学校に通うんだ」
「えっ、学校? 明日からなの?」
「そうだよ。もしかして嫌かい?」
「ううん、とっても楽しみ! 早く明日にならないかなあ!」
「そうか。それはよかった。楽しみで眠れないかもしれないけど、今夜はちゃんと目を瞑ってベッドで寝るんだよ」
「わかったよ、お父さん!」
リュミエールはにこやかに答えた。
「さて、僕らは失礼するよ。明日からよろしく頼む、アルベール」
父はオランドさんに向けて言った。
「ああ、こちらこそよろしく頼む、バジル。期待しているぞ」
二人はオランドさんたちに別れを告げ、屋敷を後にした。また新しい生活が始まる。リュミエールはそのことに心を躍らせ、やはり父の予想通りその晩はワクワクして眠れなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます