1章 その二

 二人は朝食を済ませた後、出かける用意をしてから家を出た。

 自分たちの家を振り返って見てみると、一戸建ての木造で、三角屋根から突き出る煙突だけレンガでできていることがわかる。家の後ろには木々が立ち並び、ここだけ見ると村にいたときの家と景観が似ていた。ただ、大きさは別で、中にいたときに感じた通り、この家のほうが大きい。家の隣には小さな庭があり、ちょっとした畑が作れそうだった。


 ベルと父に連れられて家から少し歩くと、さらに巨大な屋敷があった。周囲は森に囲まれているが、屋敷のところだけぽっかり穴が空いたように開けており、門があり、大きな庭があり(リュミエールは庭園と言っても差し支えないのではないかと思った)、外壁は赤いレンガでできている。


 リュミエールと父、そして二人に付き添うベルが門までやってきたとき、この屋敷の使用人と思しき女性が彼女らを出迎えた。その女性はザザと名乗り、丁寧にお辞儀をした。ザザはベルと二言三言話したあと、リュミエールと父を屋敷の中へ招き入れ、客間まで案内した。ベルは二人のすぐ後ろを黙って歩いていた。


 客間には長いソファが向い合せに二台置かれており、その間を仕切るように長い机が置かれていた。二人は客間に通され、ザザにソファに座るように言われたので、そこに座って待つことにした。しばらく待っていると、大柄で茶色い口髭を蓄えた、赤ら顔で髪が薄い男が扉を開けて入ってきた。


「おお、バジルか。よく来てくれた。長旅ご苦労だった」


 男は朗らかに言った。


「やあ、アルベール。久しぶりだね」


 父は立ち上がり、片手を上げ、気軽にその男に挨拶を返した。

 男はさらに砕けた笑顔になって父の肩を叩いた。


「助かるよ。お前みたいな優秀な薬草師がいてくれるとな。俺は医者だが、薬草について特別詳しいわけではない。どの病気にどんな薬が効くか、ということは知っているが、その薬の作り方自体はあまり知らないからな。だから、わざわざ比類ない薬草の知識を持つお前を招いたのだ」


 父の話によると、このクラーブルの街へ来た理由は、医者であるアルベール・オランド氏と一緒に仕事をするためだという。そのために、わざわざ住む場所や馬車の手配をしてまでくれたのだった。彼は父の昔からの友人で、一緒にこの街の大学で学んだ仲だった。オランド氏は医学で、父は薬学と少し違う道ではあったが、互いに関連し合う分野だったこともあり、二人はすぐに打ち解けて仲良くなれたそうだ。そのオランド氏の幼馴染がリュミエールの母リュシールで、出会ったのもこの街だった。


「ハハ、プレッシャーをかけるなあ、アルベール。そこまで優秀でもないさ。買いかぶりかもしれないよ?」


 父はおどけた感じで言った。オランド氏もそれに対してワハハと笑った。


「バジル、お前の腕はこの街にもよく伝わっているよ。ただの薬草師であればそこまで有名なんかならんさ」

「そんなものかねえ。まあ、まずは住む場所を与えてくれたことには感謝するよ。ありがとう」

「なに、礼には及ばんさ。私が呼んだのだからな。このくらいのもてなしはさせてくれ」

「助かるよ。お言葉に甘えて、有効に使わせてもらおう」


 父はそのあとリュミエールに向き直り、彼に紹介するように手をやった。


「リュミエール、彼がオランドさんだ。挨拶をしなさい」


 彼女は立ち上がり、背筋をピンと立てて大きな声で挨拶をした。


「あの、あたし、リュミエールと言います。よ、よろしくお願いします」

「ワハハ、そんな緊張しなくていいよ、お嬢ちゃん。俺の名前はアルベール・オランドだ。よろしく」


 オランドさんはリュミエールの前に手を差し出して握手を求めてきた。リュミエールもそれに応じて握手した。


「俺にも同じくらいの年の子供がいる。気楽にしたまえ。今すぐにでも会わせたいところだが、あいにく今は出かけていてな……」


 彼が言いかけたとき、玄関の方でガチャっと音がした。


「おお、いいタイミングで帰ってきたな。おい、ザザ。アランが今帰ってきたようだ。ちょっとここへ連れてきてくれんかね?」


 彼は近くで待機していたザザにそう命じた。ザザは無言で一礼してから玄関に向かった。

 リュミエールと父はソファに再び腰かけ、その後でオランドさんも向かい側のソファに腰かけた。

 オランドさんはリュミエールをまじまじと眺めたあと、父に向って言った。


「それにしても、バジル、お前の娘はリュシールにそっくりだな。赤毛は君に似たようだが、眼は澄んだ緑色で、顔立ちもよく似ている。そのまっすぐで短い髪も、伸ばせばリュシールと瓜二つだ」


「そうだね、リュミエールは母親似だ。でも、性格は僕に似たところも多いと思うよ。忘れっぽいところとかね」


「ちょっと、お父さん!」


 リュミエールは少しムッとして立ち上がった。その様子が微笑ましかったためか、父とオランドさんはまた笑い、部屋は和やかな空気に包まれた。その空気のおかげで、リュミエールも緊張が解けていた。


 少し経って、部屋の扉をノックする音が聞こえた。オランドさんが入れ、と短く言うと、ザザが一人の少年を連れて部屋に入った。少年は茶髪で、同年代の子供と比べてスラっとしていて、少し背が高く見える。


「何でしょう、父上?」


 少年は声変わりしかけの、高いとも低いともつかない中間の高さの声で言った。


「来客だ、アラン。ここにおられるのが、セプテ村から来られたベルジェ氏だ。ほら、挨拶をするんだ」


 少年はそこで初めて二人の存在に気付いたようで、ハッとしたように姿勢を正して二人に向き直った。


「アラン・オランドです」


 そう言ってぺこりとお辞儀をした。


 父はニッコリと笑顔になって、自己紹介をした。


「はじめまして、アランくん。僕はバジル・ベルジェ。薬草師で、君の父上の友人だ。こちらは娘の——」


「あたしはリュミエール・ベルジェ! よろしくね、アラン」


 リュミエールは父の声を遮って、笑顔で名乗った。


「よろしく、リュミエール」


 アランも笑顔になり、二人で握手を交わした。

「さてアラン、俺とバジルはこれから仕事の話をしなければならない。リュミエールお嬢ちゃんはクラーブルに来るのは初めてだ。ならばその間、仲良くなるついでに街でも案内してやったらどうだ?」


 オランドさんがアランに顔を向け、そのような提案をした。アランはその言葉に二つ返事で答えた。


「はい、わかりました、父上! 俺が街を案内します。俺にとってこの街は庭同然です。どこでも案内できるよ。じゃあ行こう、リュミエール!」


 彼はリュミエールの手を引いて、部屋を出ようとした。

「気を付けて行くんだぞ、アラン! 決して危ないところへは近寄るな。間違っても、『白蝋はくろうの魔女』を探そうだなんて思ってはいけないぞ」


 オランドさんは今にも走り出そうとしているアランたちを引き留めるように後ろから声をかけた。


「わかってますよ、父上! さ、行こう」


 アランは嬉しそうに彼女の手を引いて駆けだした。リュミエールはその勢いで一瞬姿勢を崩しそうになったが、すぐに体勢を整えて彼のペースについていった。彼女はこう見えても体力に自信がある方なのだ。


 リュミエールは一瞬二人の会話の中に出た『白蝋の魔女』という言葉が気になったが、そのうちわかるだろうとすぐには考えないようにした。そんなことより、彼女はこの街に興味があった。昨夜丘の上から見下ろした、あらゆる光が集まるこの街のことをもっと知りたかった。だから、今は彼の案内を楽しみにしながら一緒に走った。

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