3.変化

 その、夜のことだった。


 地鳴りに似た大きな音で目を覚ました少年は、驚いて、眠気の残滓ざんしを伴いつつも、周囲を見回した。

 寝場所に間借りしているのは調理場横の小部屋で、元は物置だったのだろうが、何故か、寝室のように整えられていたところだ。

 窓のない部屋だから、ここにいても何が判るわけでもない。

 ようやく完全に目の覚めた少年は、そうと気付くと、上着を手に取って扉を開けた。


「そこにいなさい」


 開けた途端とたんの声に、びくりと身をすくめる。しかし、アウグストの姿はなかった。

 暗闇に目をらすと、向かいの書庫に、あかりがともっているのが目に入った。

 何だか判らないが、とにかく行ってみようと足を踏み出すと、そこをつかむものがあった。


「えっ?!」

「いなさいと、言っているでしょう」

「あ…伝言人形」


 慌てて見た足元には、小さな泥人形があった。それが、少年の足を押さえている。

 言葉をつたえ、相手がその通りに行動するかを見張る人形だ。

 声から推測するまでもなく、アウグストが置いたものだろう。伝言と監視だけならまだしも、動くものを作れる術者は、そうはいない。

 少年は、短く考え込む。


「つまりは、見られたくないことをやってるってことだよな?」

「そこにいなさい」

「やだねっ」


 人形を蹴り飛ばし、少年は、書庫へと駆けて行った。

 伝言人形が壊されたことはアウグストへと伝わってしまっているだろうから、こうなったらはやさ勝負だ。

 すっかり慣れた最短距離を走り、扉を押すと、鍵もかかっていなかった。

 駆け込み、しかし少年が見たものは、全くの予想外だった。


「なんだ…これ…?」


 呆然と、自分が呟いたことにも気付かず、少年は、目を見開いた。

 棚の本が、手荒に引き出される。袋に詰め込まれ、時折ときおり、「お宝なんだから丁寧に扱え」と声が飛ぶ。

 盗賊と思いいたったときには、見咎みとがめられていた。


「なんだ、ちび? なにしてやがる」


 それはこちらの台詞セリフだと言いたいところだが、声も出なかった。

 男たちは、明らかに暴力に慣れている。本も、自分たちが読むのではなく、売りさばくために手に入れるのだ。

 この男たちにとって、本は、物好きから金を引き出す道具でしかないだろう。


 そんなものであっていいはずが、ない。

 全て、貴重な知識の詰まった、大切なものだ。


「な…何、してるんだよ…それをどうするつもりだッ!」

「ああ?」

「それは、お前たちなんかが触れていい物じゃない!」

「あぁん?」


 数人が不機嫌そうに、残りが面白いものを見つけたとでも言うように、少年を見る。獲物をいたぶる、獣の目だ。

 思わず、逃げ出したくなる。背を向けて、逃げ出して、それでも構わないのではないかと、そんな声がささやく。

 アウグストが困るだけで、少年自身は、大体は目を通している。全てを読みきったところで、人を蘇らせる方法など載っていないかもしれない。

 それでなくても、少年が男たちにかなわないのは明白だ。それでは、ただの犬死ではないか。

 それでも、体は動かなかった。

 ここで逃げ出すのは、いやだった。


「ここから出て行け! ここは、アウグスト・メンデルの書庫だ!」


 男たちの、馬鹿にしきった笑い声が聞こえた。

 それでも、少年は逃げようとはせず、それどころか、近くにいた男が本を袋に入れるのを、体当たりして奪い取った。


「ガキが!」


 殴られる、と、目をつぶった。

 ところが衝撃はなく、拍手の音が聞こえた。

 恐る恐る目を開くと、近くに立つのはアウグストで、書庫ではなく、町外れの城の遺跡だった。

 少年の位置は変わっているが、男たちは、書庫にいたのと同じような位置に立っている。


「よくできました」

「なっ…なんだ?!」

「おい、ここは?!」

「本がねぇぞ!」

「はじめからそんなものありませんよ。あそこに押し入ろうとすると、ここに転送されるようにしてありますから。幻覚です」


 にこりと微笑むアウグストは、いつもと同じように、防寒服までが同じ黒一色だった。

 男たちが殺気立って睨み付ける中、アウグストは、涼しげに微笑している。


「いつもは、そこまでしませんけどね。お役目ご苦労様、大人しくしていれば、怪我けがをせずに済みますよ」

「なんだと、この野郎ッ!」

「仕方ありませんね」


 微笑んだまま、すうと目を開く。

 朗々ろうろうとなえた文言もんげんが、炎の幻術を出現させるものだと気付いた少年は、途中で耳をふさいだ。

 そうしてそのまま見ていると、男たちは、どれも怯えたように逃げまどい、絶叫し、次々と倒れていった。

 全て倒れ伏し、少年が恐る恐るアウグストを見上げると、軽く、頭をでられた。どこか嬉しそうな、笑みが浮かんでいる。

 少年は、両手を離した。


「恐い思いをさせてすみませんね。怪我はありませんか?」 

「…何…だったんだ?」

盗人ぬすっとですね。あそこの建物は、鍵なしで二人以上が一度に入ると、ここに転送するようにしてあるんですよ。それよりも、私に弟子入りしませんか?」

「は?」


 予想外の言葉に、ほうけて見上げる。


「正しくは、後継者になってほしいんです。膨大な書物も、管理をおこたればごみになってしまいますからね。アウグスト・メンデルの名をいでもらえませんか」


 言葉の意味を飲み込むまで、少しかかった。その間、アウグストは、穏やかに微笑んで立っていた。

 馬鹿馬鹿しいことに、アウグスト・メンデルという名が代々受け継がれるものであるということに、少年はひどく驚いていた。てっきり、本名と思い込んでいた。


「なんで…俺」

「無謀さと根性と、考え方が気に入りました。君なら、本も大切に扱ってくれるでしょうし。ご両親は、君の意思に任せるということですよ」

「…?!」

「勝手とは思いましたが、誘拐犯にされても困りますしね。そもそも、身元の確認もせずに長く手元に置くのは無用心ですから。調べさせてもらいました。ご両親は、君がここにいることを知っていますよ、ダニエル君」


 全て知られていたということに、腹立ちと、恥ずかしさを覚えた。偽名を使ったことも、意味はなかったのだ。

 そうすると、今日のこれも、偶然ではないのだろうか。あの音も、わざと、立てたものだったのだろうか。

 つまりは、手のひらの上で踊らされていたということか。


「偽名を使う用心深さも、気に入った理由の一つですよ。名前を知られると操られる、という俗信がありますね。まあ、完全に嘘とも言えませんが、人にはあまりきませんよ」

「…楽しいかよ」

「え?」

「楽しいか。そうやって見下して、もてあそんで! それで満足かよ?!」

「弄んだつもりは、なかったんですけどね」


 ふっと、淋しげな表情になる。ダニエルは、怒りが急速にえるのを感じた。

 アウグストは、背を向けた。


「戻りましょう。ここにいては、風邪かぜを引きますよ。それでなくても、一日中本の読み通しで疲れているはずですからね」


 そう言って、一人、足早に去ってしまう。

 ダニエルは、転がる男たちを一瞬だけ見やって、アウグストを追いかけるべきなのかと、思いつつも立ち尽くしていた。

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