2.勉強

 それから少年の日々は、書庫へこもり、本を読みあさることについやされた。

 書庫に飲食物、水気のあるものを持ち込むことは厳禁で、夜間に灯火をともすのはアウグストが同席している場合のみなので、水を持ち込むこともせずにぺーじをめくり、日が昇るまでと日が暮れてからは締め出される。

 食事は、日の沈んでいる間の朝と夜の二回。


 アウグストが宿を提供してくれたのは、意外ながらも嬉しい誤算だった。食事も、少年が二人分作るならということで、食べさせてもらっている。

 路銀が尽きかけたところだった身としては、いぶかしみながらも、突っぱねるわけにもいかない。

 ただ本を読むだけだとも言えるが、極限まで頭を働かせ、こんを詰めて、膨大な文字列を追うのだ。食べ、休まなければやっていけない。


 そうして、秋も終わろうとする頃には、少年はすっかりこの生活に慣れ、たくわえられた書物の、実に、九割方を読破していた。

 家から持参した羊皮紙には、覚え書きやメモが、びっしりと書きつけられている。

 残りは、ほとんどが、アウグストが同席していなければ手を出すなと言われたものだった。そこには、黒革の禁書も含まれていた。

 

「なあ、あんた」

「年長者はうやまうように。何か疑問でも?」


 アウグストは羊皮紙のたばをめくり、少年からは少し離れたところに椅子を持ち込み、見掛けだけは優雅に作業を進めていた。

 少年はその中身を知らない。当たり前と言えば当たり前のことだ。


 それにしても、アウグストには謎が多い。

 まず年齢不詳で、二十歳そこそこにも、三十や四十にも見える。下手をすると、五十にも。

 しかしおそらくは、三十程度だろうと少年は見ていた。

 生業なりわいも判り難い。

 少年は当初、奇人で賢者、世界最高峰の書庫の管理人、禁呪の使い手、といった情報を耳にしていた。

 しかし、ただそれだけで金が入ってくるわけもなく、その上、蔵書は保管することが目的であって、閲覧者はごくごく限られている。

 もっとも、法外な料金を取って閲覧を許しているのかもしれない。


 禁呪によって、何らかの仕事をこなしているようだと、少年にも知れた。


「…ただ年上ってだけで敬えねーよ」

「時として、知識は経験にかなわないものですよ。まあ、年月をれば必ずしも成長する、というものでもありませんがね」

「あんたは、ここの本を全部読んだのか?」


 忠言めいた言葉を無視した少年に、アウグストは、ただ軽く肩をすくめ、書類をひざに置いた。


「読みましたよ」

「だから、あんたは死人をよみがえらせれるのか?」

「何故、今頃になってそんなことを問うのです?」

「…」

「禁書に目を通して、蘇生法のないことに失望しましたか? 折角、基礎のおさらいからはじめて、関係のなさそうな書も読みきって、ようやく秘密保持の必要な書を読むまでに到達したのだから、そのまま進めればよいでしょう」


 見かされているかのようだった。


 黒革の本を開き、読み進め、得られたのは、死人が蘇ったかのように見せられる術だけだった。

 人の体に、動力の元になるようなものを入れて動かすという、術。それなら、載っていた。

 道は閉ざされたのかと、そう、思ってしまった。だから、他人の出した答えを、聞きたくなった。


「…あんたは。手に入れられたのか…?」

「君が答えを出したら、私も答えましょう。先入観をれたくはありませんからね。好きに判断なさい」


 そう言って、アウグストは立ち上がった。片手には、羊皮紙の束をつかんでいる。


「閉めますよ」


 少年は、無言で、のろのろと本を渡した。アウグストは、受け取ると丁寧に、書棚へと戻した。

 少年を先に立たせて部屋を出る。

 アウグストが鍵を閉めるのを、いつもは見たりしないのだが、このときは、ぼうっと、見つめていた。

 鍵をかけながら、アウグストは、振り返ることもなく言った。


「ここを出るつもりなら、忘れ物はないようにしてくださいね」

「馬鹿にするな…ッ」


 それが逃げ出すことを示唆しさしていると気付くまで、疲れた頭には、少しの間が必要だった。

 睨み付けると、すずやかな瞳が見返す。相変わらず、超然としている。揺れてしまう、小さな自分とは違って。


「馬鹿にはしていませんよ。期待を抱いて撤退するのも、生きるためには必要な場合がありますからね」

「俺は、逃げない。使えない期待なんて持ってどうするんだ。本当のことを確かめて、何もないなら、とことんまで絶望して、地獄の底からでも、偽物じゃない光を見つけ出してやる」  

「いい心意気です」


 にこりと微笑むと、アウグストは、軽く少年の肩を叩いた。


「ここは冷えますよ。それに、おなかも空いてるんですよね」


 とらえどころのない男だと、思う。

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