1.入口
そろりと、手を伸ばす。
目指すは、黒革の本だ。銀でいかめしい
装丁だけの値もそれなりだろうが、中身は、それどころではない。
今となっては記憶の奥底、歴史の彼方に
禁呪ばかりを載せた、見る者が見れば目の色を変える書だ。
慎重に伸ばされた手は、まだ発展途上のものだが、小さいとも言い切れなかった。
その指先が、かすかに届く。
「ここの本を盗もうだなんて、ずいぶんと思い切った泥棒ですね」
穏やかな声なのだが冷たく、あとわずかのところまで伸ばされた手は、そこで止まってしまった。
「とりあえず、名前と住処を訊きましょうか。ここではなんですから、あちらへ」
「まったく、一度死んだら生き返るはずがない、という大前提をあっさりと無視してくれる
「…だけどあんたは、死人を
アウグスト・メンデルは、唇を
「やれやれ。私も、随分と有名になったものです」
即座に役所へ突き出されず、実のところ、少年は、いぶかしみつつも怯えていた。
アウグスト・メンデルは貴人で賢者との評があり、禁呪の使い手でもある。そうして、狂人とも名高い。どんな人体実験をされるのか、考えたくもない。
しかし話は、予想外の方向へと転がって行くのだった。
「その言いようでは、誰か生き返らせたい人がいるようですね。まあ、ここに来るのは、九割方そんなところですが。誰です?」
「…兄ちゃん」
「お兄さんを。それは兄思いなことで。しかし残念ながら、子供の自己満足で扱えるような物は、ここには何一つありませんよ。大人しく帰ることですね」
突き放した言いように、少年の頭に血が上った。
兄にかえってきてほしい。それしか、少年に出来ることはないのだ。自分のために兄は死に、そのせいで、母は廃人のようになった。
だから、必死に調べて、
「何がッ、あんたに、何がわかるんだよッ…!」
激昂しすぎて、ろくに言葉が出ない。もっと
睨み付けられているかさえも、視界が怒りに白く染まり、判然としない。
「ふむ」
落ち着いた声は、わずかに意外そうに、息のような音を伝えた。
「わかりました。ここの閲覧許可を与えましょう。
「い――や。いいや、ない!」
「それなら、改めて名前を
ごくりと、少年は、知らずにつばを飲み込んでいた。集められるだけの書物が集められているという、この場所の管理者が、少年に許可を与えるというのだ。
少年は、平静ではいられなかったが、どうにか理性を保つことには成功した。
「俺は――ハイン」
「ありふれた名ですね。ではハイン、今から言うことを忘れずにいるように。ひとつでも破れば、即刻出て行ってもらいますよ」
少年が、目的への鍵を手に入れた、と感じた瞬間だった。
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