コントレイル

花井有人

コントレイル

「おい帰ろうぜ」

「うん……ちょっとまって」

 彼女はそう言って熱心にスマホの画面を見つめていた。

 彼氏は何を見ているのか気になって、彼女の背後からその画面をのぞき込んだ。

 そこに映っていたのは細かい文字の羅列。それは所謂ネット小説に間違いなかった。


「もうちょっとで読み終わるから」

 そう言うと彼女は彼氏に笑顔を見せてまたその瞳をスマホに向けるのだった。


「それ、面白いの?」

「……うん」


 彼氏の質問に、彼女はどこか上の空で返事をする。彼氏は彼女のそんな態度に、少しだけ嫉妬した。

 彼氏のオレより、小説のほうがいいのかよ、なんて子供っぽくやきもちを焼いて、ほんの少し目尻を吊り上げる。

 彼氏は、スマホのネット小説に夢中になっている彼女の顔をまじまじと見つめていた。

 本当に、その小説が面白いのだろう。彼女の瞳は他のものを一切映す事もなく、一途な程に注がれていた。

 悔しいが、そんな彼女の顔がとても愛おしく、彼氏はくすりと笑ってしまう。


「どんな話なんだ?」

「恋愛小説。幼馴染の女の子と男の子がお互い好きなのに、なかなか言い出せなくて、頑張るの。……こういうの、あんまり好きじゃないよね、ゴメン」

「お前と好みが一緒じゃないと、恋人になれないってワケじゃないだろ。オレの好きな漫画、全然読まなかったじゃん」

「ご、ごめんなさい」

「謝んなよ。好きなもんが違うのは、なんにも影響しねーって話」

「ありがとう」


 ふわりと彼女は笑った。彼氏もニッカリと笑顔を見せて二人は夕方の校舎を後にした。


「週末、どこ行く?」

「どこでもいいよ。一緒なら」

「オレも」


 二人はそっと指を絡めて手を繋いだ。体温がゆっくりと伝搬して、それがお互いの心臓を高鳴らせていく。それがどうしようもなく幸せで、二人は空に飛行機雲が出来ているのも気が付かなかった。


「じゃあ、本屋に行かない?」

「漫画も小説もあるしな」

「うん……。さっき読んでた小説ね。書籍化するの」

「へえ、すげえな。オレの好きな漫画も単行本一巻発売するぜ」

「すごいね、偶然!」


 赤みが差した互いの頬はゆるりと持ち上がって、白い歯を見せあった。

 きらきらと夕日が黒い髪の毛を輝かせ、カラメル色の世界に溶けていくと、些細な奇蹟が運命のようにも思える。


「じゃあ、本屋で」

「うん。約束」

「ついに一巻発売かぁ。ヒロインの女の子、マジで可愛いんだよなぁ。この日を待っていたぜ」

「そ、そうなんだ」


 ウェブ漫画で人気を博したその作品は所謂ハーレム物という奴で、冴えない男の子のところに、可愛らしい女の子が押し寄せてくるというちょっぴりエッチな描写がある漫画だった。

 やっぱり男の子ってこういうの、好きだなぁと彼女は視線を足元に落とす。

 影が伸びている。くっついている二つの影が。

 やっぱり彼氏も、私だけじゃなくて、沢山の女の子にチヤホヤされたいのかな、なんて思ってしまう。でも、そんなことを言ったら嫌われちゃうかもしれないなと、彼女はうつむいたまま歩いた。


 駅のホームで二人はいつも別れる。方角が真逆だから。

 一番ホームと、二番ホーム。背中合わせになっているホームで、二人は向き合い手を振りあう。それがなんだか、切なくて、どうしてずっと一緒に居られないのだろうと電車の中で想いを通じ合わせるのだ。


 彼氏は自宅に帰ると、すぐにパソコンを開く。

 彼女も自宅に帰ると、すぐにパソコンを開く。


 彼氏はテキストソフト。

 彼女はペイントソフト。


 彼氏は自身に似つかわしくない少女小説を描き、彼女は不釣り合いなエッチな漫画を描く。

 今週末には書籍化されて本屋に並ぶ。

 それを手に取ってくれる人が互いに想いあっていることを当人は気が付いていない。

 夕方の飛行機雲のように。


 彼氏は、愛する彼女のために小説を描き、彼女は愛する彼氏のために漫画を描く。

 まさか、作者が恋人なんて、結婚するまで気が付けない。


 飛行機雲コントレイルは、線ふたつ。平行線に流れていくから――。

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コントレイル 花井有人 @ALTO

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