第13話 風呂ではゆっくり休みたい

 俺とフェリスは食事を終え食堂で他の者達に惜しまれつつ部屋に戻る。

 当然だ、酒のつまみ――要は今回のドラゴン討伐の立役者であるフェリスがいなくなるのだから。

 部屋に戻りベッドに腰かけ、バッグから煙草を取り出す。


「煙草臭いのん! 臭いのん!」

「わかったわかった」


 俺のベッドで横たわるフェリスの注意ともとれる罵声に仕方なく窓の方へ行き煙草に火を点ける。


「この後もう寝るのん?」

「いや、風呂に入ってからかな」

「お風呂行くのん!」

「机にあるタオル持って行けよ。たぶんそれで体洗えって事だから」

「わかったのん! 早く行くのん」


 俺はフェリスに急かされ煙草の煙を一気に肺に浸透させていく。

 「ああ、美味い」と言葉をこぼし、取り出した携帯灰皿で消火する。


「それじゃ行くか?」

「行くのん!」


 机の上に残されていた最後の一つのタオルに手を伸ばし肩に無造作にかける。

 まーちゃんのタオルは嘔吐物を洗い落としたもののまだ濡れているので窓の枠に掛けてある。

 当分乾くとは思えないが……。

 俺は受付嬢から貰った報奨金の入った革袋をベッドの下に隠す。もしものためだ――

 それに風呂上りのジュースくらいならまだ小袋の中身で事足りる。

 風呂に行くには食堂を通らなくてはならない。

 まーちゃんはまだ飲んでいるのだろうか? そんな事を考え部屋を出る。

 フェリスもタオルを片手に持ちパタパタと後をついてくる。

 食堂を見るとまだ人が多い。

 そんな中、一つのテーブルには誰も近づかない――よく見るとさっき自分達が座っていたテーブルだ。

 まさかと思い受付嬢の所に行く前に横を通るとやはりと言うべきかまーちゃんが机に突っ伏している。

 そして見えない顔の所から、またか! と思わせる嘔吐物が流れ出している。

 状況を考えるとたらふく食い、そして飲んだ後、眠くなり机に突っ伏したのであろう……。

 ただ問題があり、まーちゃんの腹が丸い爆弾の様になっていた事だ。

 その状態で机に突っ伏すとどうなるか? 簡単だ――爆発したのだ。

 その結果机一面に胃に押し込んだ食料全般が逆流したのだろう。


「この人また吐いてるん。しかもまるで滝のようになってるん」


 絶賛逆流中なのか机の端から滝の様に液体が流れている。

 俺は忠告したはずなんだけどな……こいつは学習能力がないのか? と思いつつ受付嬢の所まで行く。


「すいません」

「はい、なんでしょうか?」

「お風呂に入りたいのですが――」

「はい、少々お待ちください。扉を空けますね」


 ガチャリと重い鍵が開く音がし、受付の横にある扉が開かれる。

 「こちらです」という言葉に誘われるがまま中に入る。


「あの――あそこで吐いてるテーブルの片付けは……」

「はい、こちらでやっておきますので――」

「これを……」


 俺は金貨三枚を取り出し受付嬢に渡す。

 金貨三枚……三万円のチップと考えると高い気はするが、机や床に当分臭いが残る迷惑料と考えた結果の値段だ。

 「いえ、貰えません」と言われたが受付嬢の片手に無理やり握らせた。

 受け取ってもらえないと俺が罪悪感に苛まれる。

 その後フェリスと受付の奥、左の通路をまっすぐに行く。

 突き当たった所で右には男、左には女と書かれた垂れ幕があった。


「風呂で今日の疲れを抜いてこい。後で食堂で合流な」

「わかったのん」


 俺はフェリスに風呂上がりの飲み物用に銀貨一枚を手渡し別れる。

 扉を開けると脱衣所があり入り口には少し深めの籠、そして周りを見渡すと縦に三列横に五列ほど籠が置いてあり適当に自分の服を入れる所を探す。

 バスタオルらしき大きい布はどの籠にも入っていたので自由に使えという事だろう。

 使い終わったら恐らく入り口の深めの籠に入れておくと後で職員が回収するシステムだろうか?

 そんな事を考えながら服を脱ぎ風呂場の入り口を開ける。

 室内風呂と思っていたが、予想がいい方に外れ露天風呂だった。

 職員に聞いた話によると今は七月初めらしい。

 なので裸でもそこまで暑くなく森林の匂いを纏った風が丁度いい具合に吹いて気持ちいい。

 湯気の出ている風呂に向かう途中、ふと鼻に意識を集中すると少し硫黄の臭いがした。

 恐らくこの風呂は天然温泉なのだろう――

 風呂場の所に置いてあった桶で体を一回、二回と流し汚れを落とす。

 そして一気に肩まで浸かる。

 天然風呂という予想は当たっていたようで湯は茶色に濁っていた。


「ふ~極楽、極楽……」


 周りには誰もおらず、虫の鳴き声が静かに響き渡る――

 空はとても澄んでおり星が数えきれない程見える。

 元の世界でも四百年前なら珍しくもなかったが近代化により光がまぶしく夜の公園に散歩に行ってもこんなに星は見えた事がなかった。


「なんだか四百年前が恋しいな――」


 俺はボソリと一人露天風呂で呟く。


「何が恋しいん?」

「四百年前の世界がだよ」

「ホームシックなん?」

「いや、四百年前の世界がな――ってなんでフェリスはここにいるんだ?」


 俺は驚き、声がした方向に首を回す。

 そこにはフェリスが平然と座っていた。


「何してんの? 女風呂は横だって言ったじゃん!」

「いいのん! ゆーくんと入るのん!」

「よくねぇよ! 淑女たるものちゃんと礼儀をわきまえて――」


 言おうとした途端フェリスがこっちに寄って来る。


「いいのん。将来ゆーくんの事養うから一緒に入ってもいいのん」

「養ってくれるのはありがたい。だがな、乙女としてだな……一般的な恥じらいというか――」


 俺はしどろもどろになる。

 目が俺の意思とは関係なくフェリスと空の星を交互に行き来する。

 フェリスのショートカットヘアはこういう時とても卑怯だ――汗と湯気で髪が少し濡れその水滴が短い髪先へと集約しポチャンと風呂に滴り落ちる。

 そしてなにより短いが故、風呂から少し出ている透き通るようなきめ細かいきれいな肌が、鎖骨から肩へのラインを見事に演出し俺を刺激する。

 髪が長ければ隠れたであろうこの美しいラインがまだ幼さを残しているが「女」であると俺の脳に認識させる。


「ああ、もういい。体洗う」


 こんな幼い子供になんて感情を抱いているんだと我に返り、その場から離れるように体を洗う場所へと向かう。

 もちろん前はタオルで隠している、子供に見せる物でもないからだ。

 ふぅとため息を吐き椅子に座り、タオルを石鹸で泡立たせる。

 ついでに髪にも泡をつけておく。

 身体を一通り洗い終え、次は頭につけた泡で髪を洗おうとすると俺の指とは違う感触が頭皮に伝わる。


「洗ってあげるのん!」

「おま――ほんと何してるの?」

「洗いっこするのん!」


 フェリスは鼻歌交じりに無造作に俺の頭をわしゃわしゃと洗い出す。

 元の世界ではフェリスはここまで積極的ではなかった。

 確かに俺に懐いていたがここまでの事はしなかった。

 むしろこんな事をされていれば母親に殺されていただろう、もちろん俺が……。


「気持ちいいのん?」

「ああ……お前酒のんだのか?」

「ジュースしか飲んでないん」

「――そっか」


 どうやら酒のせいではないらしい。

 もしかして異世界に転移して、はしゃいでいるとかか? 何にせよ乙女たるもの男とこういう事をするのはそれ相応の年になってからだという事を教えなくてはならない。

 なぜならこの異世界において俺がフェリスの保護者なのだから――


「なぁフェリス。その――なんだ」

「痒いとこあるのん?」

「いや……ない、気持ちいいよ」


 何をどう言えばいいのか――

 子供なんていた事もないし元の世界では子供と接する機会はフェリスしかなかった。

 母親や爺さんならこんな時なんて言うだろうと想像する。

 きっと母親は俺に「出ていけ!」と言い、爺さんは「勇者様なら仕方ありませんな」と言うだろう。


「大体洗い終わったのん」

「ああ……ありがとう」


 俺は風呂の湯を入れてあった桶を頭からかぶる。

 頭と体に付着していた泡が流れ落ちるが、まだ少し残っているのでもう二回ほど頭から風呂の湯をかぶり泡を流す。


「次は背中なのん」

「いやいや――背中はもう洗ったから!」

「大丈夫なのん! 爺ちゃんにこういう時どうするか教わっているのん!」

「何を教わっているのか知らんがそれは間違いだ! やめなさい!」


 俺が渋々振り返るとフェリスはタオルを横に置き体――特に胸の辺り――に泡が立っている。

 爺さん近代化で何を学んだんだ? 俺はそんな疑問を頭に浮かべると共に、自分の子孫でありまだ子供でもあるフェリスに何て事を教え込んでいるんだと爺さんの顔を思い浮かべる。


「うちの胸で極楽浄土に行かせてあげるのん!」

「いや――いいです。本当にやめろ。それにその行為は胸の大きい人じゃないと効果がないぞ」

「試してみるのん!」

「やめろって」


 ぶーと頬を膨らませフェリスは俺の横の椅子に座る。

 そしてこちらに背中を向ける。


「何してんの?」

「洗いっこするのん! 次はゆーくんの番なのん」

「ああ、そういう事か……。背中だけだぞ? 前は自分で洗えよ」

「わかってるのん」


 俺は渋々タオルを泡立たせてフェリスの背中を洗う。

 小さく華奢な背中は俺の手だと上下に三往復すれば洗い終わる。

 ゆっくりタオルを離そうとするがフェリスがこちらに顔を向ける。


「まだなのん! まだ洗ってほしいのん!」

「はいはい」


 仕方なくもう少しだけ洗ってやるかと思いタオルをまた上下に滑らせる。

 すると入り口から勢いよくドアを開ける音がする。


「あー! ゆーくん何してるの? 幼女に何してるの? さすが変態穀潰し! こんな子供にまで手を出すなんてさすがゆーくん!」

「うぜぇ、お前吐いて寝てたんじゃないのかよ」

「は? 吐いてませんし。それに寝てませんし」

「嘘こけよ、いびきかいてたじゃん」

「それは机が軋む音よ。きっと――」

「つうかここ男湯なんだけど?」

「は? 何言ってんの? 女湯誰もいなかったんだけど! 私を一人にする気? また吐くわよ!」

「吐いたの認めるんだ」

「あっ、何かが出そう。胃から何かが――」

「こっちくんな! まじやめろ!」

「この人汚いのん! 汚いのん!」


 どうやら風呂場でも俺はゆっくりと休む事ができないようだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る