鎌倉グルメ◆とある志るこ店◇

 納言志るこ店は鎌倉駅から入った仲見世通りの最初の通りを右に曲がるとある。志るこ、という表記は、志半ばでこの世を去る人に餡こを贈る、という古式ゆかしい鎌倉独自の習わしに基づいてその漢字が汁粉に付いた。適当に書きました。本当の事は知らない。


 人がぞろぞろと歩く仲見世通りから一本脇に逸れるだけで、人通りはパタっと少なくなる。焼き鳥屋さんや蕎麦屋さんなど、懐かしい昭和を思い出させる店構えが連なる中でも、その志るこ店は一際おじいちゃんちで過ごす夏休みを思い出させる雰囲気だ。


 店内も狭く、テーブルが九卓程でいっぱいだ。よく使い込まれていい味が出ているテーブルと懐かしい椅子が置いてある。入店した時の匂いや光の具合からして、完璧おじいちゃんちだ。思わず「ただいま」と言いたくなってしまう。


 メニューはアイス、かき氷とお志るこ、それと飲み物がある。三百円から八百円程のリーズナブルな価格帯で甘味が楽しめる。それでやっていけるのか心配になるくらいのお値段だ。


「だってここ鎌倉の一等地でしょ?」

 と奥さんが言う。

「全部メニュー頼んでも一万円いかないかも知れないね」

 僕は途中まで暗算して諦めた。もともと計算が得意ではない。計算が得意だったらこういう文章を書いていない。


 僕は宇治金時を、奥さんは粒あんの志るこを注文する。

 外はほとんど夏のように暑い。風鈴の音が恋しくなるような夏の日差しだ。

「こんな日におしるこって……修行なの? 試練なの?」

 と僕は冗談半分で問いかける。

 奥さんは何も答えない。

 そういえばどこかのSNSで「餡こ部」に入会したと聞いた覚えがある。本当に修行なのかも知れない。世界の平和のような部の名前だが、たまにその掲示板が荒らされる事もあるらしい。僕はこの先どんな大人になっても、絶対「餡子を愛でる会」のような平和な集まりの掲示板を荒らすような男にはなりたくないなぁと思う。何をどう間違えたら掲示板を荒らす人生にスイッチするのだろう。


 問いかけた言葉はやがてお餅が焼けるいい匂いとなり、我々の手元に注文した品物として形を変えてやってくる。お店は主婦のような人たちが4名で運営しているようで、その内の誰かがお餅を焼いてくれたのだろう。


 宇治金時はそれはそれは氷に美しい緑のシロップがかかっていて、苦甘くて美味しかった。皿の下の方には餡こがギッシリと敷き詰められていて、ほとんど氷ではなくなってしまった汁と一緒に掬って食べると、たまらなく美味しかった。ちゃんと歯応えのあるつぶ餡、甘いけど呑み込む時にはその甘さが「スカッ」と消えて後味が軽い。清涼感と抹茶の淡い苦味だけを残してその後味も消えていく。何回スプーン山盛りに餡子を載せて口に運んでも全然飽きない。小生、あっちゅうまの完食でござるよ、ニントモカントモ。


「ごちそうさまでした」

 お店を出る時に六十代か七十代のおばあちゃんの10名程の集団が入ってきた。鎌倉が大好きな集まりという趣きである。どこかで食事をした後なのか、後続の二人が店の出入り口を塞いでその会計の話をしているようだった。

「◯◯さんから二千円もらったから…」

「そうなの? じゃあそれをこっちのお土産代に補填して…交通費の云々…」

 大勢で食事をすると大変なのだ。こうして会計を進んでやってくれる人を手厚くもてなすべきだ。所得税を控除するべきだ。毎日ポストに近所のスーパーの10%割引クーポンが入っているべきだ。近所の犬が勝手に懐くべきだ。


「ごめんなさいね」

 狭い店の出入り口を塞いでいる事に気付いた一人がそう言って通りを空けてくれた。全然構わない。あと二時間くらい塞いでいてくれても全然大丈夫です、そう言いたいくらいだった。


 そうして暫定鎌倉のおじいちゃんちを後にした。世界が甘い物に溢れてみんなが幸せになりますように。これ以上、どこかの掲示板が荒らされませんように。宝くじで三億円が当たりますように(どさくさに紛れて一番大切な事を祈った)。


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