夕方の海、核分裂、三秒巻き戻す

 鎌倉の海を眺めに一人で宿を出た。

 ここ鎌倉で夕暮れ近くの時間帯に眺めるものは海しかない。最寄りのセブンイレブンでビールを一本買い、信号を渡ってから階段を降りて浜辺に降りた。


 夕食までに時間はたっぷりある。

 一人で行動するのも好きだ。

 ハワイや台湾に旅行に行った時も、奥さんを宿に一人残して街へ出た。二人で出歩くのももちろん楽しいが、一人で出歩くのもまた違う楽しみがある。その楽しみは言葉にする事がとても難しい。二人で聴く音楽と、一人で聴くそれとはまた違った趣があるのと似ているかも知れない。


 いい天気で、海は穏やかだった。遠くに江ノ島が霞んで見えた。今回江ノ島に行く予定はない。遠くから鑑賞する江ノ島が一番楽しい。


 海を眺めながら500mlの缶ビールを飲んだ。

 カップルが多い。学校の制服らしきブラウスを着た女子高生二人組がはしゃいでいる。砂浜でカップルがシートを敷いてピクリとも動かないで横たわっている。普段着だったから相当汗をかく筈だ。二十代くらいのちょっと派手な女性二人組が波打際を歩いている。そのうちの一人はスマートフォンを熱心にいじりだして、もう一人は波打ち際を貝を探すようにフラフラと歩いて行ってしまう。


 僕はサングラスで目元を隠しているので、目線を気にせずそうした人達を見ることが出来た。例えば、貝を探すようなそぶりの女性が砂浜に何か落ちてるのを見つけて拾う仕草を観察できた。ふくらはぎから太ももの曲線が半ズボンの裾にまっすぐに消えて行く儚さに初夏と名付けた。おっさんか(おっさんだ)。


 でも、女子高生の二人組はどうしても直視出来なかった。彼女達は自分が青春の真っ只中にいることを知っているだろうし、それをほんの微かに演じているかのような、見覚えのある後ろめたさを感じる事が出来た。そんなのを四十代のおっさんが直視したら目が潰れてしまう。それは核分裂にかざした手の平の骨を透ける類の、一瞬だけの危うい光線である可能性が高い。


 僕は適当な平たい石を見つけてそこに腰を下ろして海を眺めた。

 もうすぐ夕方になる時間帯の海を眺める。

 ビール缶を片手に座って海を眺める(しつこい)。


 突然、気恥ずかしさに見舞われる。居心地の悪さを覚える。

 俺は何をやっているんだ、と思い始める。

 普段しないサングラスを掛けた40代の男が海を眺めてビールを飲んでいる。

 若い女性の太ももに初夏などと名付けている。

 女子高生を直視できない。

 っていうか、女子高生の青春から核融合の光を連想している。

 僕は海が見たくてここに来た筈なのに、目にするものは違うものばかりだ。

 僕は四十代の男性が海を眺めるに値する資格を持っているのだろうか?

 資格ってなんだ、僕には海を見る資格がないのか?


 もっとどうでもいい事を告白すると、三秒巻き戻せる能力を持った人の人生を考えていた。三秒は微妙だ。十三年くらい飼った犬が死ぬところを何度も看取ることは出来るかも知れない。でもそんなのに何の意味が?

 でも、意味があるか無いかはともかくとして、時間を巻き戻し続けてしまうだろう。

 意味なんか知らない。必要不必要もどうでもいい。

 ただその継続性にこそ意義を求めなければならないのではないか。

 どこにも行けないまま、何も始まらないまま。


 LINEの通知があって、奥さんがこれから宿から降りてくるという。

 夕方五時のセブンイレブンで待ち合わせだ。

 立ち上がるとものすごく尻が痛い。

 鎌倉の石はすごく硬いのかも知れない。


「あら、サングラス良いじゃない」

 と日傘をさした奥さんが褒めてくれる。

 ありがとう、と礼を言って、とりあえず横断歩道を渡って砂浜に降りる。

「日傘をさしてる人なんか一人もいないね」

 と奥さんが言う。それはそうだ。


 その少し向こう側で、核分裂女子高生が橋のヘリに座って二人で熱心にヒソヒソ話をしている。初夏の太ももはどこかへ行ってしまった。途中で女性二人のカップルとすれ違った。片方は背が高く、シャープな顔付きにサングラスを掛けており、男性っぽい姿をしている。でも、不思議と僕にはそれが女性だと分かる。普段上空を我が物顔で飛び回っている卑しいトンビは今日は何故か姿を現さないでいる。


 三秒間巻き戻す能力があったら、太陽があの稜線の向こうに暮れていく瞬間を五回くらい繰り返してもいいかも知れない。でも三秒は微妙だ。何も出来ない。どこにも行けない。


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