鎌倉駅

 鎌倉駅は思い出せないくらい何度も利用した。

 でも僕にとっての本当の鎌倉駅は、映画越しの鎌倉駅だ。

 避暑地として鎌倉に訪れている素敵な女性が、男性とお見合いをする為に上京する際に利用した鎌倉駅が、僕にとっての本物だ。デジタルリマスター版で観た。白黒映画だったが、空のモノトーンは恐ろしいくらい、僕にとっての青だった。


 今現在の鎌倉駅は、外国人で溢れている。

 

 ふくらはぎに宮崎アニメ風の、般若の顔の刺青をしているドイツ人っぽい人を北鎌倉の円覚寺で見かけた。そのお寺には奥さんがインターネットで見つけたお気に入りの猫がいるとの事で、今回初めて訪れた場所だった。猫が溢れるお寺と聞いただけでワクワクしてしまう。


 鎌倉駅から横須賀線で一つだけ隣の駅に北鎌倉駅はある。

 汚い狭い短いの三重苦江ノ電に比べると、横須賀線の車両は恐ろしい程巨大である。秋田犬とクジラぐらいの差がある。広い車内、長い車両、何もかもが「THE 電車」で、程よく涼しい空調は「このまま広島県まで連れて行って欲しい」と思わせる程だ。江ノ電が狭くて汚くてしょうもないのだ。しょぼさを味、で済ませていいのは……角が立つから書かない。僕の文章くらいだ!(思いついたように自腹を切る)


 円覚寺の拝観料は一名あたり三百円だった。

 奥さんがそれを支払って入場した。

 その三百円は神様や仏様に支払うものではない、と僕は思い込んだ。戦争で亡くなったモンゴル人の為でもなく、北条家とも一切無関係の三百円であると。だがその金は、やはりしょうもない神社やら鐘やらの保全に使われてしまうのであろう。願わくば、我々の入館料が猫たちの安穏とした生活の向上に使われますように。境内で暮らす猫達が、一本でも多くチュールチュールチュルにありつけます様に。


 残念ながら、猫には一匹も出会えなかった。


 素晴らしい快晴で、気持ちの良い風が山から吹き下す絶好の天候であったが、猫には一匹たりとも出会えなかった。亀が池から出てきて甲羅を乾かしていて、熱心にカメラを向ける観光客がいた。


 広大な境内で、我々は半分程まで進んで引き返した。僕の中にある好奇心が湧き出る泉はサバンナ状態だった。カラッカラのカッスカスだった。教室の片隅に牛乳を拭いたまま半年くらい放置された雑巾を絞るようなものだった。我々は罰当たりなのかも知れない。それについては申し訳ないと思う。教養が無くてすまないと思う。



 猫を出せ、猫を。



 僕と奥さんは、門を見ながらしばらく木陰でグダッと休憩した。その門は文句無しに素晴らしいものだった。日光東照宮の門よりも装飾は少なく、木は剥き出しで大阪あたりの第二次世界大戦を生き延びた平屋の屋根を思わせる程の素っ気なさであったが、そこが逆に気に入った。しっかり作ってある。


「みーちゃん(目当ての猫)いないね」

 と僕は言った。

「死んじゃったのかなぁ」

 と奥さんが日傘の下で言う。

 多分、猫たちは暑いからどこかで休憩しているのだという結論に落ち着いた。もっと奥まで行くには境内は広過ぎたし、日差しも強過ぎた。途中、水が吹き上がる池を眺めながら縁側でゆっくり出来そうな場所があったが、入り口でたむろする坊主の方々を見たら休日翌日の出勤時の朝のようにぐったりした。帰ろう、と思った。


 門を見ながら、僕は猫達が冷房が効いている畳の部屋で思い思いに過ごしているところを想像した。みーちゃんという猫は、猜疑心と目やにに溢れた目をしている。お座りすると尻尾をくるっと後ろから前に掛けて神経を行き渡らせており、「まったく、踏まないでよねもー」という感じで綺麗に座る。かわいい。奥さんが何を考えていたのかはわからない。日傘を新調しようと考えていたのかも知れないし、夜の食事の事を考えていたのかも知れない。


 それにしても、外国人がここに来て楽しかったと思えるというのは到底信じ難いところだ。なぜ、彼らはここにいるのだろうと僕は不思議に思った。知的好奇心が満たされるのか? それはどう言う場所からやってくる好奇心なのだろう?


 わからない。

 僕は外国人観光客の事を心配しすぎているのかも知れない。

 そんな時に、我々の目の前を脹脛ふくらはぎに般若のタトゥーを入れたドイツ人が通り過ぎて行ったのだ。男二人で、リュックのような物を背負って、Eccoの靴を履いて、何かを喋りながら我々の目の前を横切って行った。


「もうこんな糞つまらない寺は用無しだ」

 と僕はその会話を脳内で翻訳した。

「一生この場所には戻らないし、三百円はかつての日独伊同盟のよしみとして支払ってやる。損害賠償は問わないでおいてやる」

「とっとと戻ってザワークラウトで一杯やろう」

「だな、クソ喰らえだ、マジで」


 本当はどういう会話をしていたのかはわからない。でも、決してこのお寺に来て満足という口調ではなかった。そこには不満粒子がダブルニンニク餃子を食べた翌日の体臭のように発せられ、二人を包んでいるように思えた。


「ねぇ見て、あの脹脛ふくらはぎ

 と奥さんが言った。

「外人ってああいうのが好きなのかしらね」

 そこで前述のタトゥーを発見したのだ。宮崎駿風の般若のタトゥーだ。


 僕らはそのベンチでもう少し休憩し、それから鯨のように力強く賢く清潔な横須賀線に乗って鎌倉駅へ戻った。ホームから改札へ向かっている途中で、前を歩く外国人が、偶然そのタトゥーを入れたドイツ人だった。


「あの人だ」

「そうだね、あの人だね」


 鎌倉駅は日本人やら外国人やらで混雑していた。

 僕はすごくホッとした。

 あのお寺に比べれば、ここ鎌倉駅はまだ救いがある。

 いささか観光地に過ぎるかも知れないが、外にでれば大勢人がいるし、お店も山程ある。マクドナルドもある。猫はいないかも知れないが、別に気にはしないだろう。ようこそ日本へ、いや、鎌倉へ! IZA KAMAKURA!


 そう声を掛けたいくらいだったが、その脹脛のタトゥーはさっさと雑踏へ消えていった。もうちょっとカッコよく彫られてれば良かったのになぁと思う。もしかしたらシールなのかも知れない。

 シールだといいなぁ、とぼんやり思っている。
















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