女神の頭上には文字が躍る

 いろいろ面倒なことはあったが、何とか買い物を終えた。なゆたんはビールの売り子の格好をしているので、買い物客から「キャンペーンですか?」と3人くらいに声をかけられていた。そのたびに「ムポポオローン星人です」という訳の分からない返事をして相手を凍りつかせていたのは些細な出来事と言えるよね。


 スーパーから家に帰る途中、少しだけ寄り道した。布団を買いたかったんだ。


「何で布団をわざわざ買ったんですか?」

「そりゃ家には布団が1組しか無かったし。今夜から寝るときに困るだろ」

「別に私は1組でも困りませんでしたよ?」

「えっ?!」


 布団が1組でも困らないって。まさか一緒に寝るとか。いやいやいや。そんなわけないだろう。いやでも1組しか無いんだぞ。どういうつもりなんだ。


「ふ・・・布団が1組しかなかったらさあ、その・・・・・・寝るのに、何ていうか・・・」

「何か問題でもありましたか?」

「いやだって、今日から2人で暮らすのに1組しか布団が無いとさ・・・」

「まったく問題ないですよ。私が布団で寝て豪牙ごうがさんが床で寝れば良いんですから」

「布団を買って良かったよ!問題ありまくりだったよ!」


 そんなこんなで家にたどり着いた。しかし落ち着いてもいられない。女神様が所望するつまみを作らなければならないのだ。よっぽどシソが食べたいらしく100枚も買わされてしまった。まあ本マグロと和牛に比べればかわいいもんだけどね。


 俺が料理をしている間、なゆたんは風呂に入っていた。これが漫画やドラマだったらサービスシーンがあるんだろうけど、残念これは小説だ。俺は料理を作っているし、風呂場を覗いてしまうようなハプニングも全く起きなかった。これでは何もお伝えすることはない。うーん残念。


 風呂上がりのなゆたんは、Tシャツに下半身だけスェットという非常にラフな格好をしていた。俺の服を貸したので、ゆるゆるのだぶだぶだ。パーティーを始めるのが待ちきれないといった様子で、ソワソワという文字を頭の上に作っては消し作っては消しながら、片手にグラスを握りしめていた。


「お待たせ。とりあえず何品か作ってみたよ。足りなかったらまた作る」

「待ちくたびれましたよー。ソワソワを138回も作っちゃったじゃないですか」


 さっきからソワソワを作るといっているのは本当の話。なゆたんは漫画の背景に描かれている擬音を物理的に作ってしまう能力があるらしい。人間とは思えない動きもするし、俺はなゆたんが女神だということをほとんど信じていた。いや、こいつと一緒にいるのが大変だから、もうどんな肩書きでも良いやというあきらめの境地なのかもしれない。


 つまみをちゃぶ台に並べ、なゆたんが持ってきたビール樽から冷たいビールをグラスへ注ぐ。それではパーティーのはじまりだ。


「今日からお世話になります。よろしくお願いします」

「こちらこそよろしく」

「じゃあ飲みましょう。かんぱーい」

「かんぱい」


 ブシュー。グラスを顔に近づけた瞬間、もう何回目か数えていられない痛みが目に走った。


「あははははは。グラスにも泡ビームを仕掛けておきました。ビールかけですよ。お祝いのときにはビールかけですよね」

「俺はずっとビールかけられだけどな!」

「もうそんなに警戒しないで大丈夫ですよ。これだけ何度もやるとつまらなくなっちゃいましたから」

「そう思うならやるな!」


 そうはいっても少し警戒しながらビールを口にする。


「うまっ。このビールうまっ!」

「ですよね。私のお気に入りのビールなんです」

「もうこれだけで他の酒がいらないくらいだよ。本当にうまい」

「お口に合って良かったです。いくらでもあるので遠慮しないで飲んでくださいね」


 本当に美味しくてゴクゴク飲めてしまう。気を付けないと飲み過ぎてしまいそうだ。


「このステーキ美味しいですね」

「そりゃ高いだけあったからね。高いだけ・・・」

「いいえ。このソースが美味しさを引き出してます」

「ああ、なゆたんがシソを食べたいって言ってたから、たっぷりの大根おろしと刻んだシソとポン酢を混ぜた和風ソースにしたんだ。すだちの搾り汁も入れて、酸味と風味を足してね。マグロの刺身用のワサビを乗せても美味しいよ。ただ市販のポン酢は少しとがっているから丸みを持たせるために・・・・・・」


 なゆたんは頭の上に『うまうまー』と浮かばせている。とても美味しそうに食べる子なんだな。見ているこっちも幸せな気分になってくる。でもソースの作り方の説明を続けながら目が合った瞬間、『うまうまー』から『こっち見んな』の文字に変わったのは少しショックだったけどね。


「こっちの料理も美味しいですね。凄くシソシソしいです」


 シソシソしいなんて新語を作りやがった。きっとシソの味が強いって意味なんだろう。気にいってもらえたようで何よりだ。


「これはねえ。拍子木切りにした大根を漬けた後にシソを巻いたやつでね。でも単純な漬物じゃなくて出汁を・・・・・・」


 なゆたんの頭の上の文字が『長文ウザイ』に変わった。リクエストに応えて作ったんだからさ、ちょっとぐらい俺の頑張りを聞いてくれても良いじゃない。目から塩味があふれ出しても知らないよ。


 それでもなゆたんは美味しそうに食べたり飲んだりしているし、普通に会話も進んだ。ふざけた行動も非常に少ない。美味しいものを口にしているときは、そっちに集中するのかもしれない。しかしまあ一緒に住むことになったとはいえ、いきなりやって来られて質問がいくつも頭に浮かんでいる。ちょっと聞いてみた。


「なゆたんは何でここに来たの?」

「本マグロって美味しいですね。他のマグロとは違います」

「なゆたんは何の神様なの?」

「美味しいつまみを食べながらのビールって最高ですね」

「なゆたんは何でビールの売り子の格好をしていたの?」

「初期装備」


 あれ?会話のやりとりがおかしいよね。言葉のキャッチボールのはずが、俺が投げたのと別なボールを投げ返してきてるよね。今まで会話していると思ったのは勘違いだったのかい?

 いや、最後はちゃんと答えてくれた気もする。ここを聞いてみよう。


「ビールの売り子の格好が初期装備なの?」

「真っ裸の要求wwwエロスwwwwさすがヘンタイジャパニーズwwwww」

「ちょ・・・そういうのじゃなくてさ。そんな恰好を普段から人間がしているのもおかしいのに、ましてや神様が」

「ゲームとかであるでしょう。キャラクターの最初の装備。天界から地上に来るときに選べるんですよ。それで私の場合はビールの売り子にしてもらいました」

「とんでもないものを選んだね」

「初期選択リストになかったから特注で頼みました」


 特注で良かった。リストで選択できるようになってたら、少し神様たちに対する考えを改めるところだったよ。


「それにしても他にもっと良い恰好がありそうだけど」

「いやいやいや。めちゃめちゃ役に立ってるじゃないですか。このビール樽は天界に繋がっていて、樽を交換しないでもずっとビールを注ぐことができるんですよ。

「地味にすごい機能だな」

「地味じゃないですよ!いつでも飲み放題ですよ!さあさあもっと飲みましょう」


 見かけによらずなゆたんは酒が強いようだ。しかも普通の人なら酔っぱらって面倒くさくなっていくけれど、なゆたんはふざけた行動が少なくなっていく。酔っぱらうとどんどんまともになるのだろうか。それならばもっと飲んでもらいたい。


「なかなか飲みっぷりが良いね」

「アルコールを飲むと神通力を使えるパワーが回復するんですよ」

「神通力?」

「魔法みたいなものです。人間界では神力とか神通力って呼んでますよね。この浮かんでいる言葉も神通力を使っているんですよ」


 そう言ったなゆたんの頭上には『回復中』の文字が弾んでいる。せっかく回復しているのに、こんなことで使ったらダダ漏れじゃないか。でもまあ本当に女神なんだなあと納得してきた。他の質問にも答えてもらいたい。そう思った矢先、『回復中』が俺に向かって迫ってきた。


「あっ。ミスっちゃいました。ちょっと酔ってるのかもしれないです」


 気がついたら『回復中』の下敷きに。思ったより重たいね。潰されながら見たなゆたんの頭上には『てへぺろ』の文字が浮かんでいたけれど、なゆたんは真顔でこっちを見ながらビールを飲んでいた。そんな文字を出す余裕があるならこっちを早く片づけてよ。

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