第7話 どこかの知らない町で
しっかりと周りを固められ、式は滞りなく進む。
高価な指輪をはめた時は、さすがに二人とも緊張して指が震えていた。
「最後に誓いの口づけを」
普段着に、部下が急いで持って来たヴェールを被っていた女性に、エルフの男性が向き直る。
彼のさっきまでの苛立っていた気配が、もう諦めたのか、少し柔らかくなっていた。
「あの」
男性はヴェールを上げながら、彼女だけに聞こえるように小声で話しかける。
「自分はこんな黒髪で、攻撃魔法も得意じゃなくて、あの、それに、実をいうと百歳超えてるんだけど」
彼女は驚いて彼を見る。
エルフにしては小柄で背丈は自分とあまり変わらない。
百歳超えで、こんなに少年ぽいのかと思うと笑いが込み上げてきた。
「ふふ、私もこんな行き遅れで、ちゃんと心の傷に向き合えなかった馬鹿ですけど」
彼は何もかも知っているのだ。彼女にはもう隠すものは何もない。
ぎこちなさは、お互いに相手に嫌われるのを恐れていたためだったのだろう。
「くふっ」
彼も笑った。あの夜の少年ぽい笑顔で。
笑顔で見つめ合い、エルフの男性が彼女を抱き寄せた。
唇が触れると祝福の鐘が鳴り響く。
その煩い音に紛れて、彼女の耳には「ずっと好きだった」と彼の声が聞こえた。
彼女の目から涙がこぼれた。
その夜は、地下にあるエルフの男性の部屋ではあんまりだということで、王宮にある離れが貸し出された。
王宮の離れは病気や、訳アリの客などを隔離するための小さな家屋で、他の建物からはずいぶん離れている。
食事の世話などをしていた使用人たちはそそくさと帰って行く。
ふたりっきりになると、お互いにどうしていいのか分からない。
エルフの男性は離れの戸棚から酒とグラスを持ち出した。
「高そうだから飲んじゃえ」
「はい」
年齢がかなり上と聞いて、魔術師の女性はなんだか安心した。
相手が本当に少年だったら、自分がすべて仕切らなければならなかっただろう。
だが彼には多少のわがままも言えるし、不安な気持ちもきっと理解してくれる。
ゆったりとした椅子に少し離れて座り、ふたりで酒を飲みながら、彼女は彼の顔をちらちらと見ている。
「あー、そういうのは心配しないでね」
その様子に気づいた彼が、少し照れながら口を開いた。
エルフ族は長寿のため、そういう欲求が薄い。
「そっちがその気にならない限り、こっちからは襲ったりしないから。たぶん」
安心させるように彼は笑った。
そうなると女性の方が微妙な気分になる。
自分には女性としての魅力がないんじゃないだろうかと。
沈みこんだ彼女に、夫となったエルフが取り繕うように近寄る。
「とは言っても、ないわけではないので」
実をいうと二年間、ずっと我慢していた、と真顔で呟く。
「君のことは理解しているつもりだ。我慢しなくていい。嫌だったら殴り飛ばしてくれ」
そう言って妻となった女性の手を握る。
「嫌、ではないです」
顔が、身体が熱くなる。
「そう。よかった」
その妻の手に夫が口づけをする。
「目を閉じているといいよ。眠ってしまってもかまわない」
素直に彼女は目を閉じた。
暗闇の中に浮かんでいる感じがした。
誰の気配もない。たったひとり。
そしてゆっくりと身体に触れてくる何かを感じる。
「あ」
「ごめん、感じる?」
「うん」
「嫌だったら言って」
彼女は首を縦に振る。髪に、指先に、足に、柔らかいものが触れる。
「ん」
「声は出していいよ。ここには誰もいない」
きつく目を閉じたまま、感情が高ぶり、流れていくままに声が唇から漏れる。
「もっと聞かせてくれないか。君が他の誰にも聞かせたことのない声を」
耳の奥に彼の低い声が響く。
気が付くとまだ夜の中だった。
あれは夢だったのかと思ったが、指にはあの金色の指輪が光っていた。
でも寝台には一人。
衣服の乱れもない。
寝室を出て、お酒を飲んでいた居間へ行くと、明かりの点いていない部屋の大きな窓の側に夫となったエルフが座っていた。
壁に寄りかかり、夜空を見上げている横顔が月明かりに浮かぶ。
静かに近づくと彼の目がこちらを向いた。
「あまり近づかないほうがいいよ。今はまだ興奮してるから君を襲いかねない」
彼女は微笑み、ゆっくりと近づく。
「私は遠慮なく投げ飛ばしますから、貴方も遠慮なく襲ってみたらいいのでは?」
彼の口元が歪んで笑みを作る。
「そうしよう」
彼が腕を広げ、彼女はその中に倒れるように身体を沈めた。
しばらくの間、そのまま森の香りに包まれていたが、彼女は自分が夫のことを何も知らないことに気づいた。
夫の方は二年も自分を観察していたというのに。
知りたいと思った。
「二年間、何を考えていたの?」
「さあ、忘れた」
相変わらずこのエルフの気配は薄い。
こんなに側にいて抱きしめられていても違和感がない。
「でも今は、これからのことを考えていた」
「これから?」
「ああ」
そう言うと、彼はすぐ傍にあった紙を引っ張って来た。
「地図?」
「うん、そう」
赤い印が付いている。王都からかなり離れた森の中だ。
「自分はやられっぱなしなのが気に入らない」
声が少し固い。
「上司を、あいつらを見返してやりたいと思ってる」
妻は少し驚き、そしてクスッと笑った。
「いいわ、それ。私もやりたい」
妻の顔を見てにやりと笑った夫は、地図の印を指さす。
「ここはエルフの森の中だけど、聖域と呼ばれる遺跡がある場所なんだ」
妻はこくんと頷く。
「ここに迷宮がある」
「まあ、それは楽しそうね」
「上司に黙って夫婦で休暇を取るのも楽しいと思わないか?」
顔を見合わせて笑う。
「じゃあ、決まった。すぐ実行だ」
「はい」
ふたりは立ち上がり、準備を始めた。
翌日、王宮の一部で騒ぎが起きる。
「一体あいつらはどこへ行ったんだ!」
「王太子殿下、売店の薬がほとんど無くなってますわ」
「おばあちゃあん、副長から長期休暇願が机の上に届いてますう」
「してやられたな。軍の保存食の一部が持ち出されておる」
「野営用のテントだの、簡易コンロだの、二人だけで遠征にでも行ったっていうの?」
突然の出来事に、関係者たちは一様に首を傾げた。
行方不明となった二人が見つかるのは、それから約三年後。
聖騎士の男性が遠征先の小さな町で、やたらと剣術や体術に優れた女性魔術師の噂を聞いた。
偶然を装い会いに来たが、見間違いかと何度も確かめた。
「まさか、とは思ったが」
「お久しぶりです」
随分と雰囲気が柔らかくなったと驚く。
黒い髪をしたエルフの夫と小さな薬屋を営んでおり、二人の間には幼子までいる。
幸せそうな家庭を築いていた。
「二人とも王宮に戻って来る気はないのか」
聖騎士は二人が姿を消した事情は聞いていた。
騎士団で上司に理不尽にこき使われている彼にすれば、なんとなく理由も察せられた。
だが、軍から手配がかかっているわけではない。
持ち出した物も、結婚祝いの支給品として不問とされていた。
王宮の方では『優秀な者たちへの特別休暇』だとして、ふたりが帰って来るのをずっと待っているという話だ。
「そうね。もう少し子供が大きくなったら、休暇が終わったことにして帰るかもね」
にっこりと微笑んだ魔術師の女性は、口止め料にと大量のお菓子を聖騎士に渡した。
自分が報告しなくても、いつか噂は王宮に届くだろう。
聖騎士は、それまでの安寧かも知れないと、誰にも伝える気はなかった。
「じゃ、またね」
彼女は笑いながら手を振り、夫と子供が待つ自分の家へと戻って行った。
「おい。俺にこれをどうしろってんだー!」
聖騎士は両手にいっぱいのお菓子の袋を抱えて叫んだ。
幸か不幸か、今回の遠征の聖騎士団は子供たちには大人気だった。
~~終わり~~
誰も知らなくてもいい恋の話 さつき けい @satuki_kei
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