第6話 神殿にて



 黒髪のエルフの男性は、はっきり言って困っていた。


目の前には上司である妖艶なダークエルフの女性、そして先輩である豊満な胸を持つエルフの女性売り子。


王宮内にある裏組織の休憩室で、見かけだけなら艶やかで色っぽい女性二人に迫られている。


諜報部隊は皆忙しいので、部屋には他に誰もいない。


「あんた、絶対何かやらかしたでしょ」


「客なんだからちゃんと対応しなさいよ」


何だか微妙に違うことで責められているが、要するに男性は魔術師の女性に対する対応を間違えてしまったようだ。


 魔術師の女性に異性を感じさせずに近寄るというのは成功したはずだ。


黒髪の男性エルフにとっても切なく美しい夜だった。


これを機会に彼女が他の男性にも興味を持ってくれればいい。


自分の仕事はそこまでだったはずだ。




 だけど現実はそこでは終わらなかった。


「このまま畳みかけてモノにするのよ」


と、けしかける上司。


「売り上げを伸ばすためには、もう一回くらいあれを買わせましょう」


と、売店を担当している先輩。


男性エルフは無表情のまま縮こまっていた姿勢を伸ばした。


「じゃあ、具体的にはどうすればいいんですか?」


上司と先輩の女性たちが言うことなら間違いはないのだろう、と指示に従う姿勢を見せる。


「そんなの、自分で考えなさい」


「えー」


馬鹿じゃないのと言われた。理不尽である。




 手にお菓子の箱を持たされて、王宮の廊下に放り出された。


やはり、どうしてももう一度彼女に会わなければならないようだ。


ふうっとため息を吐き、肩を落として歩き出す。


 今までも何度も理不尽な目には遭ってきた。嫌なことは早く終わらせたい。


それでもあの女性に会いたいという気持ちと、嫌われる恐怖とが胸に渦巻く。


黒髪のエルフの足取りは重かった。




 部屋の場所は知っている。


この時間は彼女が部屋にいることも知っている。


ただ箱を渡して「お金はいらない」と言えば済む話だ。


「よし」


覚悟を決めて部屋の前に立つ。


「副長様、お届け物です」


「はあい」


男性エルフは何度も肩を上下させて気持ちを落ち着かせる。


渡すだけだ、落ち着け、笑え。


カチャリと扉が開く。




 男性エルフは自分の笑顔がうまくいったかどうかは分からない。


目の前の女性魔術師は呆然としている。


彼女の顔が徐々に赤くなっていく。


黙って見つめ合っていると、あの夜の口づけを思い出して彼は身悶えしそうになる。


「これを」


目を逸らして箱を差し出したエルフの男性は、急いでこの場を離れたかった。


「良かった!、待ってたの」


箱を受け取ったとたん、彼女はそう言ってエルフの男性の腕を掴んだ。


「は?」


「こっちよ」


引きずられるように連れて行かれたのは、第二魔術師団の団長の部屋である。


「おばあちゃん、連れてきたわ」


中にいた団員たちが驚いて振り返る。


行き遅れの副長が、珍しい黒髪のエルフの男性を引きずって来た。


「とうとう男を拐ってきた」


副長はそう呟いた誰かを殴りたかったが、今はそう見えても仕方がない状況だった。




「ほお」


おばあちゃん団長はにやりと笑うと、他の団員たちを退室させた。


ふたりを応接用の席に座らせる。


「よくやった。副長」


「ありがとうございます」


エルフの男性はもうどうにでもなれと大人しく座っていた。


「さて、そこの者」


団長である宮廷魔術師はかなりの高齢で権力もある。


声をかけられてエルフの男性は仕方なく姿勢を正した。


「はい」


「あんた、裏組織の者か」


彼がぐっと言葉に詰まったのは、魔術師の彼女には知られたくなかったからかも知れない。


「ええ」


男性エルフは、ここまで来て否定しても仕方がないと思った。


案の定、副長の女性はかなり驚いた顔をしている。


黒髪のエルフは顔を強張らせた。


「何かご用でしょうか」


暗に早く開放しろと要求する。


「ふむ、そっちの上官に人選を任せたが、案外いい物件が釣れて良かったの」


おばあちゃんがにんまりと笑っている。


「まあ、そんなことだろうとは思ってました」


不敬とも取れるエルフの男性の態度だが、もう彼女には嫌われてしまっただろうと思うと、彼にはどうでもよくなった。


開き直った男性は、遠慮なく椅子の背もたれに身体を預け、足を組んだ。




「得意魔法はなんじゃ」


「精霊魔法の属性は土なので、得意魔法は防御結界。あとは闇に親和性があるので影や暗い所に紛れて気配を消すのが得意」


「なるほどの。それでずっと監視しておったということか」


「まあ、仕事だから」


微妙に顔を背けたまま、団長と男性が会話を重ねる。


副長の女性は、その中で彼がずっと自分を監視していたということを知った。


「わ、わたし、ずっと見られて、た?」


男性の代わりにおばあちゃんが答えた。


「そういうことじゃ。お前さんを守るためにな」


エルフは顔を背けたままで、女性魔術師を見ようともしなかった。


肩までのぼさぼさの黒髪は、あの夜のきちんとした髪型とは違うが、その印象はあまり変わらない。


黒髪のエルフの拗ねている姿は、まるで異性に慣れていない少年のようだ。




 くすり、と副長の女性から笑みがこぼれた。


「それで。彼は合格ですか?、おばあちゃん」


「ああ、上等さね」


男性エルフは嫌そうな顔になったが、二人の女性はそれに気づかないふりをした。


「それじゃあ」


「あっちは断る口実が出来たな」


嬉しそうな女性部下におばあちゃんはもう一言付け加えた。


「じゃが、すぐに見破られんように、しばらくはちゃんと仲良くしておれよ」


「はい!」


異種族の伴侶というのはあまり喜ばれない。子供が出来にくいからだ。


それでも自由恋愛を謳うこの国では結婚も認められている。


「それじゃあ、行こうか」


「へ?」


訝しがる二人の若者を連れて、おばあちゃん団長は部屋を出た。


「ちゃんとついて来いよ。魔法で縛るなんてかわいい部下にやりとうはないからな」


第二魔術師団の団員が数名、護衛という形で付いて来た。


「うへえ」


うんざりした声を上げたエルフの男性の前に、神殿の扉が開かれた。




 王宮内にある小さいが豪華な神殿。


そこで待っていたのはダークエルフの女性と、先輩の売り子のエルフ。


そして、裏組織の元締めである王族の男性。


「いやあ、よくやった!」


「王太子殿下……」


エルフの男性は腹黒王太子の笑顔に顔を引きつらせた。




 いつの間にか神官も現れ、着々と準備が進んでいく。


黒髪のエルフの男性と、行き遅れと言われた魔術師の女性の結婚式の準備が。


「ほうら、これが上流貴族用の婚姻の指輪だよー」


豪華すぎる金の指輪を目の前に出され、男性はくらくらと眩暈を覚える。


「これさ、一回指にはめるとどっちかが死ぬまで外れないんだよね」


王太子はこっそり二人だけに囁く。


そんなたいそうなものを下賜するつもりらしい。


「なんでそんなものを」


「わ、私もやり過ぎなんじゃないかと思いますけど」


これは他国の大使を諦めさせるための偽装のはずだ。


魔術師の女性が顔を赤らめながら、チラチラとエルフの男性を見る。


そして彼のぶすっとした横顔にしょんぼりする。


 エルフの男性がさらに抗議しようとするが、いつの間にか後ろに来ていた上司に尻を蹴られた。


「これくらいやらんとあの馬鹿大使が諦めてくれんからだよ」


わははと笑う王太子が一歩下がり、神官に二人の正面を譲る。


「これも仕事だと諦めたまえ」


王太子の囁きを残し、小さな式が始まる。


 

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