第4話 団長室にて



 あの舞踏会から十日ほど過ぎたある日。


第二魔術師団の副長の女性は、団長に呼ばれた。


呼びに来た部下の女性と共に団長室に入る。


「お呼びでしょうか」


軍式の敬礼をする。


尊敬する上司はかなり高齢の宮廷魔術師である女性だ。


「楽にしてちょうだい」


団員たちからは親しみを込めて『おばあちゃん』と呼ばれている。


「ごめんなさい。この子だけにしてもらえる?」


部下の女性の方に向かって、人払いをお願いする。


副長とおばあちゃん上司はふたりっきりになった。


「あのー、何かまずいことでも?」


高齢である上司はあまり王宮から出ないので、現場での対応は副長である彼女に任されていることが多い。


「そうね。ちょっとまずいかも知れないわ」


いつもは穏やかな笑みを浮かべているおばあちゃんが、今日は真剣な、いや暗い表情をしている。


それだけで重大な事だと予想出来た。




「先日の舞踏会、いい男はいたかえ?」


ふたりっきりになると口調が砕けてくる。


立っていては詳しい話が出来ないと、応接用の席に移動した。


「あー、えー」


いたような、いなかったようなー、と曖昧な返事になるのは仕方なかった。


まるで子供のような、甘酸っぱい思い出。あんな出会いはもう二度とない。


副長をじっと見ていたおばあちゃんは、ふうと大きなため息を吐いた。


「しょうがないねえ」


事前に用意してあったお茶のセットを出し、どうしようもない部下に勧める。


「あのー」


「お前さんにとっては最後の機会だったんじゃが」


「はい?」


何ですかそれ、と詰め寄る部下をおばあちゃんは宥める。


「お前に縁談が来ておってな」


厄介な相手だから、他に愛しい相手がいるなら断れると早急に見繕うために無理矢理舞踏会に送り出したのだと説明された。




 副長の女性は唖然とした。


「そ、そんな」


「お前さんの男嫌いは分かっとる。相手もそんなことは百も承知じゃ」


適齢期といわれる婚期をすでに逃している副長。


第二夫人だの、後添えだのという話はしょっちゅうだ。


それを断れるのは、この国では自由恋愛が奨励されているせいである。


王宮内の軍人であるということは王族の目が近い。


本人の意志が尊重され、上司といえども無理強いは出来ないという建前が守られていた。


 しかしそれは表向きだ。


水面下ではごく普通に上流貴族などは家柄に合う相手を求め、幼いころからすでに婚約者が決まっている者も多かった。


合意であれば愛妾を囲うことも出来る。


それがたとえ虚偽であったとしても。




「お前さんを見初めたと言ってきたのは他国の大使でな」


魔術師の血を欲しがっていた。


「お前さんほど男嫌いなら浮気の心配もないじゃろうし」


その大使はかなり年齢も上で、自国には妻も子もいる、妾もいるという噂である。


「わしらも国も一笑に付してきたが、さすがにお前さんもそろそろいい歳じゃ」


女性の適齢期とは、健やかな子を産む目安でもあった。


「そ、その、だってそもそも子作りなんて」


副長の女性は赤くなったり青くなったりしている。


「あー、向こうは医術大国でな。肉体関係がなくても魔術を併用して子供を作る技術を開発しているらしい」


「へっ」


まるで人体実験である。必要なのは本当に彼女の魔術師としての身体だけなのだ。


承諾して、一緒にこの国を出てしまえば、どんな扱いを受けるか分からない。


「こんな話をぶっちゃけちまったのは、もう待てないと向こうから言ってきておるせいでな」


大使には任期がある。それが終われば自国に戻らねばならない。


下手をするとそれまでに実力行使に出そうな気配があった。


そのために王宮の裏組織が動いていることも団長は知っている。


「お前さんは一人でも生きていけることは分かっとる。老婆心と言われても仕方ないんじゃが」


おばあちゃんは彼女の顔を見て、慈しむように微笑んだ。


「幸せになって欲しいんじゃよ、お前さんには」


まだ十代の頃から人一倍努力家で、傷ついた心を必死に隠している姿を見てきた。


あんな事件がなければ、きっと軍などにも入らず、今頃幸せな家庭を築いていたに違いない。


「おばあちゃん……」


行き遅れの部下は情けなさに顔を赤くして俯いた。




「副長。おばあちゃんの話、何だったんですか?」


にやにや顔の部下が、廊下を歩きながら彼女に聞いて来た。


「何でもない」


「まーたー」


気安い言い合いが出来るのは信頼の証だ。


第二魔術師団は団員同士も仲が良く、個人的なことでも割と平気で話をする。


「この間の舞踏会の話だったんでしょお?」


ばっと部下の顔を見ると、相手もにやりと笑った。


「ふふん、皆そうですよ。参加した団員、一人づつ呼ばれて『どうだ、いい男いたか』って」


「ああ、そうね」


副長は肩の力が抜ける。


自分の部屋の前に到着して、「じゃあね」と手を振って別れた。




 ひとりの部屋の中で副長の女性は落ち込んでいた。


自分は何をやっていたんだろう。


こんな風に追い詰められるまで、男嫌いという言葉に甘えていた。


 あの事件から数年が経ち、あの頃に比べたらずいぶんと自分も強くなったはずだった。


それなのに、自分に同情して甘やかしてくれる周りに頼って、克服するという努力をしてこなかった。


「私、馬鹿だ」


もっと努力すべきだったのだ。


剣術も体術も、強くなれば男性など怖くなくなると思い込んでいた。


間違っているとも知らずに。


「強くなくたって、乗り越えられたはずなのに」


自分から男性に近寄ることもしなかった。


一緒に戦う同僚である男性兵士まで遠ざけた。


「私はきっと男性に対する恐怖の克服より、強くなるほうが楽だったんだ」


今さらながら自分が逃げていたことに気がついた。




「本当にもう何も手が無いの?」


翌朝、眠れなかった赤い目のまま行き遅れの魔術師は起き上がった。


本日は交代制の休日に当たる。


考え事をするにはじっとしているより身体を動かしているほうがいいと、外の空気を吸いに出た。


 王宮の庭園は広い。


ただぼんやりと歩いていて、気がつくと舞踏会のあった別棟の外に立っていた。


大きな噴水の周りには、今日は誰もいない。


今頃は同じ団の皆は訓練の最中だ。


 水の音を聞きながら噴水の縁に座った。


あの夜のことを思い出す。


もう二度とあんな夜は来ない。


「……ううん。それは思い込みかも知れない」


はっと顔を上げた女性は、もう一度考え直す。


「でも私、彼の名前も所属も何も知らない」


焦った。やっぱり自分は馬鹿だと自分で自分を罵る。


「あー、もうそんなことはどうでもいいのよ!」


あの彼を探し出す方法を考えろ、何かあるだろう。


目を閉じれば浮かんでくる、月に照らされた黒い髪のエルフの後ろ姿。


「そうよ、黒い髪のエルフ。そんなの何人もいるはずないわ!」


彼女は走り出す。




 エルフといえば王宮にいるのは弓兵の部隊である。


王宮の中にある弓兵部隊の宿舎へと向かう。


宿舎の門番のエルフに聞いてみる。この者ならば部隊のエルフの顔くらいは覚えているだろう。


「黒い髪?」


薄い金髪に明るい緑の瞳、白い抜けるような肌に尖った耳はエルフ族の特徴だ。


「そんな奴はここにはいません」


エルフ族は容姿の美しさを誇りにしている。


軍人のくせに弓矢の腕前より、その姿が美しいことが重要だと思っているのだ。


「黒い髪なんて、同族の恥だ!」


何故か怒りだしてしまった。


彼女は兵舎から早々に追い出されてしまう。



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