#2

――シティ郊外の森、そこに隠された古めかしい屋敷にて。


「おや、随分と早いお帰りで」

 屋敷の片隅にある小屋の掃除を行っていた壮年の執事の男は、開かれた扉の音に振り向く事無く、そう言葉を掛けた。

 入ってきたのは、モスグリーンの改造パーカーと、パーカーよりも更に暗い緑のズボンを穿いた男……というより少年。

「……ただいま」

「はい。お帰りなさいませ、ロクスレイ様」

 暗い印象を受ける若い少年の声に、執事は意に介する事も無く、はたきを手に、朗らかに出迎える。

 ロクスレイと呼ばれた少年は、フードを脱ぎ去ると、右腕に装着していたスリングショットを小屋の作業机に放り投げる。

 執事が掃除をしている最中だった、机の上に。

「……あ。すまない。つい、いつもの癖で……」

「いえいえ、気にはしませぬ。……が、普段から頼りにしている道具を粗雑に扱うのは、いただけませんな」

「整備はちゃんとやってる」

「だとしても、です」

「ヤオヨロズの神々が、だろ? ロングストライド」

「その通り。物を大切にする者は、必ず物に助けられるのです」

 ロクスレイは苦笑しながら、物知り顔で彼に語り掛けてくる執事……ロングストライドにパーカーを渡す。

「では、そんな物を大切にする貴方に、この衣をお任せします。不器用なわたくしめでは、逆にボロボロにしかねませんが故」

「はい、確かに承りました」

 周りが聞けば嫌みったらしくも聞こえるし、ロクスレイが怠けているようにも聞こえるが、これが彼ら主従にとっての当たり前のやり取りであり、互いを信頼しているという証でもあった。









「――人様。ご主人様」


 声が聞こえる。近いようで、遠いような。

 だが、自分を呼んでいるとは到底思えず、再び意識を手放そうとする。


 溜め息が、聞こえたような気がした。


「……ロクスレイ様。起床のお時間です」

 そう言われてようやく、ロクスレイ・ヘリワードは意識を覚醒させた。

「全く、もう少し主人としての自覚を持っていただかないと」

「……悪いね、マリアン。メイドには慣れてないんだ」

 ロクスレイは不機嫌そうに、ソファーの傍らで彼を見つめる無表情の金髪紫眼のメイド――マリアンを、横目で見やった。





******





――『シャーウッドの森』。イングリッチ・シティ郊外にある広大な自然の、本来の名前。しかしその名を知る人間は、今の時代一握りしかいない。

 だが、この森は色んな意味でよく知られている。

 その理由の一つが、シティに住まう者なら一般市民から刑務所の中の悪党まで、誰もが知る緑の義賊の存在だ。


 「貴方は、彼が何処を根城にしているのかご存知ですか?」


 そう問われると、皆こう答える。


「街の郊外にジャングルばりの大きな森があるじゃない? きっとあそこよ」

「前に一度見た時、警察が追っかけてたんだ。その時の彼、森に隠れてさ。結局見つからなかったんだけど……きっとあそこに隠れ家があるんだと思うよ。広すぎてどこにいるのか全く分からないけどさ」

「野郎には色々と借りがあってな……奴をぶっ潰す為に森にゴロツキを何人か送り込んだんだが、しばらくしたら全員返り討ちにあってやがってよ。ご丁寧に紐で巻いてこっちに寄越しやがった。いつかこの礼は必ずしてやる……」


 確信の度合いは人それぞれだが、皆、この森に彼が潜んでいると信じて疑っていない。

 無論、ロクスレイ達は緑の射手の根城は明かしてもいないし、そもそも彼らが住んでいる屋敷の場所も秘密にしている。

 ついでに言えば、高校に通っているロクスレイは仮の住所として街に一軒家を持っており、普段はそこから学校に通っている。

 どうやって行くのかと言えば、屋敷の地下に存在する、今は使われていない地下鉄のトンネルを利用している。

 影の富豪たるヘリワード家に代々受け継がれてきた莫大な資産を利用し、このトンネルを移動する為の車両を用意したのだ。

「ロクスレイ様、寝床とはどこの事か、お判りでしょうか」

「……寝転がれて、寝られるなら、何処も変わらない」

 自動運転で目的の仮住居の地下に向かう大型車両の中で、ロクスレイとマリアンは互いに目を合わせる事も無く、ロクスレイはテーブルでコーヒーに角砂糖を入れ、マリアンは車内に増設された台所で洗い物をしている。

「……貴方の元に来た時から思っていた事ですが、もう少しご自分を大切になさった方がよろしいかと」

「死なない程度には、大切にしている」

「つまり最低限というわけですね。それは大切にしているとは言いません」

 マリアンは相変わらず無表情だが、その語調からどことなく憤りを感じさせる。

 しかし、対するロクスレイは全く気にもせず、砂糖とミルクを大量に入れたコーヒーを飲み、そして新聞を読んでいた。

 と、ある記事が目に入った瞬間、ロクスレイは眉をひそめた。

「……妙だな」

「そうですね。貴方のその生活習慣は、確かに妙としか言いようが――」

「そっちじゃない。昨晩の件について、だ」

 そう言いながら、ロクスレイはその記事が見えるように新聞を折ると、机に滑らせる。

 洗い物を一旦終えたマリアンは、手を布巾で拭いながら、その新聞に目を通す。

「……『J国から送られてきた幻の人面犬、行方不明に』、ですか」

「……それも気にならない事もないが、そっちじゃない」

 下だ、下、とロクスレイが指でジェスチャーしたのを見、マリアンはその記事の下を見る。

「これは……昨晩貴方が夜更かししてまで捕まえたという強盗の話、ですか」

「余計な一言を付け加えるんじゃない。文句なら、悪党に言え」

 そこには、『輸送車、襲撃される』という見出しと共に、盛大に横転した警察の輸送車の写真が載せられている。

 記事によれば、「昨晩午前1時頃、イングリッチ・シティ銀行を襲撃した犯行グループは、何者かにより全員捕縛。その後、警察当局が全員の身柄を確保した後、輸送車に乗せ署へ向かっていたところ、何者かの襲撃に会った模様」とある。

 どうも、横転した際に運転していた警官がどちらも気絶していたらしく、その襲撃犯の姿は見ていないらしい。

「……写真だけでは分かりにくいな。マリアン」

「はい。ロクスレイ様が学校に行っている間に、私が現場を見てくれば良いのでしょう?」

「……理解が早くて助かる」

 そんなやり取りをしていると、車両内にビープ音が3回鳴り、『間もなく目的地です』という自動音声のアナウンスが聞こえてくる。

「……それじゃ、行ってくる」

 ロクスレイはマリアンに一声掛け、開いた自動ドアから出ていく。

「……はい。行ってらっしゃいませ」


 ソファーで彼が起きてから、この車両から降りるまで、ついぞ彼女と彼の視線が交わる事は無かった。

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