第一章 仮親

小鳥の巣・1


 春がきた。

 長く繭玉に包まれていたような冬が終わり、日々、太陽の光が元気に育ってゆくようだ。木々にも緑が鮮やかに色をつけてゆく。

 夏には鬱蒼と茂って薄暗いくらいの森も、今時期は木々の間から雪を頂いた銀色の霊山の姿が見える。

 なかなか一杯にならない籠を置いて、エリザはふっと息をつき、美しい山を見上げた。


 エリザにとって、霊山は近くて遠いところだ。

 かつて、最高神官の尊い血を残すために巫女姫として選ばれ、霊山に篭り、至らぬながらも、祈りに励んでいた。一度目は失敗し、祈り所に籠るも、二度目で神官の子を産み、任を解かれた今となっては、当時の苦労も忘れている。

 すでに、一般人として霊山は崇拝の対象。今のエリザには程よい距離感だった。

 霊山から遠く離れてしまえば心細く、踏み入れてしまえば、どこか不安な気持ちになる。

 こうして見上げれば、心休まり、また、日々頑張ろうという気持ちになってくる。


 ほんの一休みで、すぐに仕事、薬草を探す。

 まだ幼子であるジュエルが待っているから時間はあまりない。

 ここは一般の人も入れる森なので、薬草を見つけるにはコツがいる。エリザは、得意だ。目もいいのだろうが、それよりも、勘が働くのだ。おそらく、癒しの能力と関係があるのだろう。

 それでもやはり、良い薬草を見つけるのには苦労する。


 ここ数年、エリザは霊山へは上がっていない。

 せっかくの「癒しの巫女」の権利を行使せず、霊山での薬草採取を諦めている。ジュエルを見ていてくれる人がいないからだ。

 霊山での薬草採取は一日がかりになるし、毎年、最高神官の許可が必要だ。薬草の質は比べ物にならないが、時間も手前もかかってしまう。

 エリザは、それよりもジュエルとの時間を大切にした。

 毎朝、村はずれの森に入り、薬の元となる薬草を摘む。午後は薬を売りに出たり、村の若い者たちに調合法を伝授したりする。そして夜は、薬の調合をする。ちょっとした合間に、ジュエルの様子を見る事が出来る。

 魔の力の強い者が薬草を選り分け調合すれば、薬はより強力な効き目を発する物なのだ。癒しの巫女であるエリザの薬は、ムテでも最高級品とされていた。

 親子二人で暮らすには、十分な稼ぎになる。

 一の村の神官は、税収に影響あるとブツブツ文句をいうけれど、それにもすっかり慣れてしまった。


 平和で満ち足りた日々……。

 神官の子供らしからぬジュエルのことで、多少の不安はあるとしても。


 

 足元にきらりと光るものをみつけて、エリザは立ち止まった。拾い上げると、瑠璃色の美しい欠片だった。木漏れ日にキラキラと輝いている。

 エリザは顔をしかめた。小鳥の卵だった。おそらく巣から落ちて割れたのだろう。

 小さな命は、この世界を見ることなく尽きてしまったのだ。


 チチチ……。


 鳥の鳴き声が頭上から聞こえた。

 見上げると、エリザのすぐ頭上にそれらしき小鳥の巣があった。卵はここから落ちたのだ。背伸びしてみると、孵ったばかりのヒナが動き回っていた。

 弱々しくたよりない命だった。羽毛のない羽を一生懸命震わせていた。

 自分の兄弟が不幸にも死んでしまったことなど、ヒナにはわからないに違いない。

「おまえは強く生きてね」

 エリザは小さな命を励ました。




 家に戻ると、机の上に手紙。

 ジュエルは言われた通りに、きちんと手紙を机の上に置いてくれる。

 出来すぎたくらい、よく出来た良い子だ。ただ……魔の力がなく、神官の子供らしくないだけで。

 手紙は、かなり久しぶりの霊山からのものだ。

 エリザは、ドキドキしながら、封を開けた。おそらく、ジュエルを学び舎にあげよ、との命令だろう。

 誰もが気持ちよくなる季節であるが、エリザは気が重くなってきてしまう。

 この冬、ジュエルは五歳になった。

 神官の子供は、五歳になると学び舎に入り、神官としての教育を受けることとなる。しかし、おそらくジュエルにとって習得不可能なものばかりだ。

 学び舎は、学ぶだけではなく、神官としての素養を計るところでもあり、過酷な競争の場でもあった。

 最高神官の子供であるジュエルに、真っ先に落ちこぼれることは許されない。しかし、素質がないということは、努力で成せるほど甘いことではなかった。


 ジュエルを、手元に置いて普通の子供として育てるわけにはいかないだろうか?

 ムテでも、普通の母親がそうであるように、普通の親子であってはいけないだろうか? 

 エリザの頭の中はそればかりで埋まり、時に憂鬱になったりした。


 手紙は「ジュエルのことで話がある」という霊山への呼び出しだった。

 ジュエルが能力不足で『神官の子供』の肩書を外してもいい、という話は、何回か出ている。ただ、ギリギリまで、神官の子供として育てよ、というのが、最高神官の命令でもあった。

 心苦しいことだが、霊山もジュエルの特殊性を十分に把握している。そのことについて、エリザもジュエルも、最も傷のつかない方法で……と、最高神官は考えてくれているのだろう。


 他にも最高神官の子供はたくさんいるのに。

 至らないジュエルのことで、こんなに親身になってくださるなんて……本当に勿体無いことだわ。


 エリザは、ふと、最高神官サリサ・メルの顔を思い浮かべた。

 古の時代の血が濃いのだろう。切れ長の目と薄めの唇、人形師が作り上げたような理想的なムテ人の顔立ちで、整いすぎて逆に印象に薄く、最初は仕え人たちと見分けがつかなかった。

 だが、最高神官という肩書きを持ち、霊山に篭って人の目を避けるようにして生活する身ではあっても、サリサ・メルは、前最高神官マサ・メルのような、人をまったく受け入れないような、孤高な純血種とは趣が違った。


 優しく、親切で……そして……。


 頼りすぎてはいけないと思いつつ、反面、久しぶりにお会いできるのだ……と思うと、少女のように胸が踊る。最高神官は、滅多に人前に出ることがないから。

 つい、鏡の前で着て行く服を迷うのは……。

「サリサ・メル様にお会いするのよ? だらしない格好で失礼があったら困るわ。どれを着ようかしら?」

 と独り言を言いながらも、選んだのは若干春の山には寒いだろう首が広めの服だった。寒さをどうにかするために、ストールも羽織ることにした。

 どこかで昔「首のラインが美しいのですから」と褒められたことを思い出していた。



 時期は春だ。

 霊山に採石や薬草採りの許可を得にくる人々が、山を登るエリザとは反対に、下ってくる。

 許可を得られた人、まだ得られなかった人、嬉しそうだったり、がっかりしていたり……。本来ならば、エリザもその中の一人だったはずだ。

 能力不足の子供をもってしまったために……気にしないつもりでも、この差を見せつけられると、ひしひしと後ろめさを感じてしまう。

 癒しの巫女の権利を利用せずに、列に加わることもなく、その代わり、こうして至らぬ子供のために呼び出されている。


 時間が遅いので、もう門は閉ざされている。

 だが、書類の仕え人が、エリザの姿を見て、門を開け、待っていましたとばかりに、微笑んだ。

 エリザは少し戸惑った。

 霊山の仕え人たちは、皆、個を捨てて最高神官に仕えている。そのためだけに、この世に存在している。決められたことを淡々とこなすだけで、彼のように微笑んだりはしない。

 霊山も、雰囲気が変わったわ……と呆れるばかりだった。

「サリサ・メル様は、マール・ヴェールの祠で昼の祈りの最中です。ですが、エリザ様がお越しになられたら、いつでも案内するよう、いいつかっております」

「そこまで……一般人である私が立ち入ってもいいのでしょうか?」

「もちろんです」

 恐る恐る聞くエリザに、書類の仕え人は微笑んだ。

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