とりかえっ子


 ジュエルはもうすぐ五歳になる。

 ぼんやりと夕日を受けて輝く白い村を見つめていた。

 村境を定める川の土手に、膝をかかえて座っていた。

 小さな唇から溜息が漏れた。


 ムテの最高神官が祈りを捧げる神聖な場所・霊山に最も近い一の村。

 華美な建物は存在せず、白い陶製の壁をもつ小さな家が並んでいる。

 質素ではあるが、陽光に輝く村は住人同様に美しい。


 そう、ムテはとても美しい……。


 こんがりと焼けるパンの香。たっぷりの蜂蜜。そしてお茶……。

 けして贅沢な朝食ではないけれど、ジュエルにとっては一番うれしい時間だった。母の笑顔がそばにある。そして一番悲しいのは、食事が終わってしまうということだった。

 今朝も食事を終えると、母はジュエルを一人残して仕事に出かけた。そしてお昼には帰ってきて食事、午後にはまた出かけて夕方に帰る。

 母は、できるだけジュエルを家の中に置いておきたい。

 他の人にはあまり会わせたがらない。

 家から数十歩が、ジュエルが母から許されていた行動範囲だった。

 村の広場に家は面していた。

 ジュエルは時々外に出て、たった一人で遊んだりする。遊びというのは、たいがい絵を書くことだった。

 幼いながらもなかなか上手い絵に、人々の足が止まることもある。

 が、誰もジュエルに声をかけない。

 幼いジュエルは、やさしく笑いかけてもらえない。

 母以外の誰にも……。

 ムテ人は皆、冷たい銀の瞳の色を持っているのだから。


 水面に写る自分の姿は、波に翻弄されてゆらゆらと歪んではいるが、真実の自分であった。

 そこにムテの姿はない。銀の髪も、銀の瞳も、ジュエルにはない。

 いったいどうして人とは違うのか?

 漆黒の髪は、夕日に映っても黒いままであり、瞳の色は闇夜のような群青で、銀の星が輝いているだけである。


 人々の冷たさに、ジュエルは不思議に思ったこともなく、当然なのだと思っていた。

 ムテの銀の瞳は、刃のような輝きを持って、ジュエルを刺し続けていた。

 その痛みに気がついたのは、物心というものが付いてきたからだった。

 今日、初めてジュエルはある言葉を耳にした。

 村の人が、通りすがりに別の誰かに話しかけた。ジュエルのことを話していたのだ。

 意味はよくわからなかったが、それはとても悲しい言葉だったような気がする。


 母が遠くで呼んでいる。


 一人で来てはいけない場所だった。

 このようなところでこのような時間まで過ごしたのは、初めてだった。

 でも、優しい母の心配そうな呼び声に、ジュエルはすぐには答えられなかった。

 やがて水面にゆらゆら母の姿が写り、ふりむかなくても母が背後まできたことに気がついた。

 その姿は背が高く、長い銀の髪を持ち、優しそうに微笑んでみても、瞳は銀色であった。

 自分と一線を引いている他のムテ人と同じ容姿を持っている

 たった一人の味方である母さえも、自分とは違いすぎる。


 泣くまい……泣くまい……。


 しかし、涙をこらえるにはジュエルは幼すぎたのだ。

 ふりむいてしまったら、涙はとめどなく流れるだろう。

 そっとジュエルの肩に手を置く母に、ジュエルはうつむいた。


「母様……」


 か細い声でジュエルは聞いた。

 母は帰宅を促すようにジュエルの手を引こうとした。

 その手を少し拒んで、ジュエルは今日聞いた言葉の意味を母に尋ねた。

 言葉にするのも悲しすぎた。

 意味はわからなくても、言葉の響きが悲しかった。


「とりかえっ子って、どういうこと?」


 夕闇が迫っていた。

 母は何も答えず、ただジュエルを抱きしめただけだった。



 人間の血は魔族のそれに比べると強い。

 過去に多くの魔族と人間が交わった時代があり、魔族は力を失った。多くが魔を持たぬ人間となってしまったのだ。

 魔の島と人の島。互いに互いを恐れて別れ住んだ時代。千年に渡る隔離の時代が、魔族の衰退の歩みを抑えていた。

 しかし、すでに過去の力をもつ純血種は少なく、純血種であっても王族にしか力はなかった。そしてその王族さえも力を失っていったのである。

 そのような中、隔世遺伝で魔を持たぬ子供が、突然魔族に生まれてもおかしくはないのかもしれない。人間との混血種であるリューマ族には、稀ではあるが事例はある。

 だが、そのような例は、今だかつてどの純血種にもありえたことはない。

 ましてや、ムテの最高神官の子供が、魔を持たぬはずはない。


 絶対ありえる話ではないのだ。


 ムテの人々は、日々しずかな時を過ごす。銀の瞳と銀の髪をもつ長命な種族である。

 朝日に夕日に祈りを捧げ、日々のつとめに励む。それがある者は音楽であったり、医学であったり、薬の研究であったりする。中には村を出て、ウーレンやリューで自分の身につけた才能を開花させる者もいるが、強い野心を持たず、外に強い興味も示さないのが一般的なムテである。

 だからあまり噂ごとはしない。

 だが、漆黒の髪を持ち、闇夜のような深い青の瞳をもつジュエルのことに関しては、少し話が違っていた。


 とりかえっ子……。


 ムテの貴重な最高神官の血筋を、どこかで誰かがすりかえた。

 誰もがそのように思っていた。

 母・エリザを除いては……。

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