第6話 少女達の仲直り



 倦怠感の中で私は目を覚ました。


 無理な体制で眠っていたのだろう、身体の節々が悲鳴をあげている。



 立ち上がろうと力を入れるも、生まれたての小鹿のように脚が震え、真っ直ぐに立つことすらままならない。



 ガクガクと痙攣する身体に鞭打ち、壁伝いにゆっくりと進んで行く。



 目指すはミントが走り去った洞窟の入口。今更ミントに追い付けるとも、追い付いたところで許してもらえるとも思っていないが、歩みは止まらない。止めることが出来ない。



 時折吐き気がこみ上げ、鈍痛が身体を襲う。


 右へ左へと揺れる世界で、ミントへの想いだけを支えに一歩ずつ進んでいく。



 やがて、夜よりも深い闇が私の視界に入り始めた。こちらに向かって駆け寄ってくる人影も見える。



「杏! 何やってるんですか!」


「あ……アリ、ア……。ミントを……追いかけ……ないと……」


「大丈夫です! 大丈夫ですから、動かないで!」



 アリアが叫びながら抱き止めてくる。


 大した勢いもなかったが、私の身体はぐらりと揺らぎ、その場で崩れ落ちた。



「あ、あれ……力が……入らない……」


「当たり前です! あんなにぼろぼろの精神状態で! “力”を体内で暴走させてて! 麻酔で無理矢理休ませたのに……普通なら起き上がることすら出来ないのに、こんなところまで歩いてきて! 倒れたらどうするんですか!」


「でも……ミントが……ミントが……!」


「杏……落ち着いてください……。大丈夫です……」



 アリアが私を支えながら、横へ体をずらす。


 小さな肩越しに、私は彼女を見つけた。



「み……ミン、ト……」


「あんず……あんずっ!」



 駆け寄ってきた小さな身体は、私の胸にスポリと収まった。アリアに体重を預けながら、ミントをしっかりと抱きしめる。



「よかった……。本当に、よかった……っ」


「あんず……あんずぅ……えぐっ……えぐっ」



 涙に濡れ、しゃくりあげるミントの背中をゆっくりと撫でる。


 二度と触れ合うことが出来ないと思っていた、柔らかな少女が腕の中にいる。


 幸せを噛みしめるように、抱きしめる手に力を込める。



「ありがとう……戻って来てくれて。大好きよ……ミント……」


「みんとも……あんずがだいすき……。なのに、たたいちゃって……にげちゃってぇ……ふぇぇ……えぐっ……おかえりって……いってほしかった、だけなのに……」


「私がミントのことを見ていなかったから……。自分のことしか考えてなかったから……。ミントの気持ちを、想いを蔑ろにしていたわ」


「ちがうの。あんずのこと……かんがえてなかったのはみんとなの……。いっしょにいていいって……いってくれてたのに……、かえるばしょだって……わかってたのに……えぐっ……しんじられなかったのはみんとなの……ふえぇぇ……ごめ、ごめんなさい……ひぐっ……」



 私は泣きじゃくるミントに頬を寄せる。


 肌に吸い付くような、ぷるぷると震える頬を堪能しながら、ミントの耳元で囁く。



「ミント……ごめんなさいは無しにしましょう? 私も言って欲しい言葉があるの」


「あんず……」



 ミントが可愛らしい目をあんずに向けてくる。涙を湛えたその目に浮かぶのは、悲しみではなく喜びの色。


 ミントはぐしぐしと袖で涙を拭うと、泣き出しそうな、それでいて満面の笑みを私に向けた。



「あんず……ただいま! だいすき!」


「お帰りなさい。私も大好きよ……」


「あんず――はむっ……んっ……」


「んんっ…………ぷはっ……ん……」



 洞窟のぼんやりとした灯りの中で、私達は唇を重ねあい、互いを求めあった。


 肌を触れあわせ、キスの雨を降らせ、深く愛しあう。



「ん……ちゅる……ぷはっ、あんず……あんず……!」


「ミント……もっと強くしても、いい……?」


「いいよ……もっと、あんずを……かんじたいの……」



 その言葉を聞いて鎖骨のあたりに吸い付いた。


 歯を軽く立て、私自身を刻み込むかのように強く吸い上げる。



 ミントの身体がビクンッと跳ね上がった。


 歓声とも嬌声ともとれる歓喜の声が洞窟に響く。


 体内を熱いうねりが駆け巡り、高揚を愛情に変えようと何度もミントの口を塞いで、舌を絡める。



 夢か現かも分からぬ幸福の中、私達はお互いの意識がなくなるまで愛しあったのだった。






 声が途切れてしばらくしてから、アリアは二人の傍に近づいた。その腕には大きな白い布が抱えられている。



 眼下で二人が幸せそうに眠っている。


 絡め合った指はしっかりと結ばれており、絶対に離れまいとするように身体を密着させている。



「あんず……ずっと……いっしょ……えへへ」


「ミント……離さないわ……んん……」



 軽やかな寝息と共に聞こえてくる寝言に、胸がチクリと痛む。



「わかってましたが……今見てる夢にわたしはいないんですよね……」



 仕方ないと思う。


 この世界に落とされた杏の、最初の拠り所になったのがミントだ。



 勢いでこの小さな少女を姉と呼んでしまったが、そのことについて後悔はしていない。



 知識も知性もある今のアリアやミントに“生まれ変わらせて”くれたのは紛れもなく杏だ。


 そういう意味で杏はアリア達にとって紛れもない母である。そして、先に生まれたミントが姉で、アリアが妹なのは明白だ。



 それだけならば、アリアも胸は痛まなかっただろう。これからも増えていくだろう家族と共に暮らしていけばいい。これは、胸にもやもやを抱えた今でも確かに言い切ることができる。



 今、アリアの心を締め付けているのは、杏の愛だった。



 杏は一方的に襲ってきたアリアを、いとも容易く許し、愛した。杏は愛を知識として教えるのではなく、その尊さを、甘美さを、アリア達の心に直接刻み込んだ。



 故に、アリア達には杏しかいないのだ。


 アリア達にとって、愛とは杏が与えてくれるもの。例え、アリアが杏を愛さなくても、杏はアリアを愛してくれるだろう。抱き合ったり、キスしたりといった関係はなくなるだろうけど、アリアに対しての愛がなくなることはないと直感的に感じることができる。



「お姉ちゃんに嫉妬してる……のかなぁ」



 あどけない寝顔を見ながらそんなことを呟く。


 最愛の人と抱き合い、寄り添うその姿はとても幸せそうで。



 ――羨ましい。



 思わず浮かんだ感情を、アリアは首を振って追いやった。


 眠る二人にそっと布をかける。



「アリアも……こっちへ……」


「――――っ!」



 呼ばれるはずがない名前を呼ばれ、アリアは思わず硬直した。


 ゆっくりと顔を巡らせると、杏がうっすらと目を開けてアリアを見ている。


 焦点が定まっていないので、恐らく寝ぼけているのだろう。



「アリア……」



 ミントを抱きしめていた腕を離し、アリアを受け入れる場所を作ってくれる。とろんとした瞳は、すでに瞼に遮られているが、それでも杏はアリアを受け入れようとしてくれている。



「今日はお姉ちゃんに独り占めしてもらうつもりだったのに……こんなことされたら、離れられないです……」



 ミントがいる方と反対側にしゃがみこみ、伸ばされた腕にちょこんと頭を乗せる。


 最愛の人の香りが鼻腔をくすぐり、心が段々安らいでいく。



「あんず……ありあ……みんないっしょだよ……」


「……お姉ちゃん……ズルいよ……」



 頬を伝う涙を誤魔化すように、杏にきゅっとしがみつく。


 心を幸せで満たして、アリアもまた眠りに落ちていくのだった。

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