第5話 少女達と修羅場
「ミント……おはよう」
「うん、おはよう。……それで、そのこ……だれなの?」
……やっぱり誤魔化されてくれないわよね。
いつもはコロコロと表情を変えるミントが、無表情を貫いて私を見つめてくる。
アリアを抱き寄せていた腕をそっと離す。体が鉛のように重く、思ったように動いてくれない。
何か言わないとと口を開けるが、言葉は出てきてくれない。まるで陸に打ち上げられた魚のように、息苦しさの中でパクパクと口を動かしているだけだ。
「みんとは、はやくあんずとあいたかったの。だから、くもをやっつけて……もりのなかを、さがしまわってたんだよ」
ミントの言葉ひとつひとつが、私の心を抉ってくる。
罪悪感から目を合わせることができず、私は視線を地面に落とした。
「やっと、けはいをかんじて……またあえるって、うれしかったのに……あんずは、なにをやってたの?」
「…………ごめんなさい」
「ちがう! みんとは……みんとはそんなことばが、ききたいんじゃないの!」
拳を握りしめ、激しく頭を振って、ミントは私の言葉を否定する。
後悔、懺悔、絶望、悲嘆……様々な感情が渦巻き、涙となってこぼれ落ちる。
「…………ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
「――――あんずのばかっ!」
乾いた音が響いた。
じんわりと頬が熱を持ち始める。
叩かれた。
その事実をすぐに理解出来なかった。
何が起こったのかは分かっている。体も痛みを訴えてくる。けれども心が拒否しているのだろう。涙目で右腕を振りきっているミントは、現実離れしているようにぼやけて見えた
「あ…………」
その音を漏らしたのは誰なのか。もしくはその場にいた全員が思わずこぼしてしまったのかもしれない。
「――――っ!」
最初に我に返ったのはミントだった。彼女は声にならない悲鳴をあげ、踵を返して走り出した。
その背中を私は呆然と見送る。
大切なものが二度と手の届かないところへ行ってしまう。
――引き留めないと!
――呼び止めないと!
思考は全力で訴えかけてくるが、体が動いてくれない。
罪悪感が体を縛り、諦念が心を蝕む。
程なく水色の小さな背中が見えなくなり、私はその場に崩れ落ちた。後悔は涙となって頬を、身体を、地面を濡らす。
「ごめんなさい……ミント……ごめんなさい……」
壊れたレコードのように同じ言葉を繰り返すことしか出来ない。意味がないと分かっていても、それが唯一の贖罪だというように、口から勝手に言葉が溢れてくる。
――――チクリ。
首筋に微かな痛みが走った。
視線を動かして確認すると、アリアが首筋に歯を立てている。
「私、今……そんな気分じゃ……」
「分かってます。杏はミントが大好きなんですね」
「うん……大、好き……」
アリアの言葉が心地よく響く。泣き疲れた私では抗えず、微睡みの中に落ちていく。
「その言葉、ちゃんとミントに伝えてあげてください――」
その言葉を最後に、私は深い眠りについたのだった。
「あんずのばか……」
ミントは杏達が留まる洞窟の入り口でうずくまっていた。
足元に転がる小石を、当てもなく転がしながら、同じ言葉を独り言ちる。
「あんずのばか……」
やっと見つけたという喜び。
知らない娘と抱き合っていたという驚き。
「あんずのばか……」
こういう日が来ることは、なんとなく予想していた。
杏はとても素敵だから。
杏の愛情はとても甘美だから。
だから、いつか自分と同じように杏の虜になり、杏に寄り添い、杏を求める誰かが出てくると。そして、杏はその誰かを絶対に拒絶しないし、それが彼女の愛なのだと。
本能のままに生きていた自分が、意識を目覚めさせられ、知性を授かり、感情を与えられた。ただそこにあった自分が、初めて生きた存在になれた。
この素晴らしさは独り占めできるものじゃないし、自分と同じ存在が出てきたときには笑顔で迎え入れようと、そう思っていた。
――でも、できなかった。
杏と抱き合う少女を見て、真っ先に浮かんだのは嫉妬だった。
自分がいるはずだった場所を取られたと、そう思ってしまった。
だからミントは求めた。
自分の居場所がそこにあると、杏に示してほしかった。
新しい仲間だと、これから共に暮らす家族だと、自分のちっぽけな嫉妬を溢れる愛情で吹き飛ばして欲しかった。
しかし、杏の口から出たものは謝罪の言葉だった。
杏は認めてしまったのだ。
新たに生まれた少女に、ミントの居場所を奪わせたと。
ミントの居場所がなくなってしまったと。
「あんずの……ばか……ばかぁ……っ」
独り言に嗚咽が混じり始める。
泣くことしかできなかった。
決定的な決別を、自分の手で突きつけたことから目を背け、杏のせいにするしかできなかった。
今も変わらず大切な、最愛の人を悪く言うことでしか、自分を保たせる術を知らなかった。
杏の頬を打った右手を地面に叩きつける。
尖った石がゼリー状の肌に突き刺さり、水が噴き出す。
指が裂け、掌がつぶれ、拳が砕ける。
自分に罰を与えるかのように、ミントは何度も地面に右手を振り下ろした。
「やめて――っ!」
悲痛な叫びと共に割り込んだ、アリアの白い手がミントの腕を掴んだ。
「とめないで!」
ミントは振りほどこうとするが、原形を留めない程に痛めつけられた右手には、アリアの拘束を解く力は残されていなかった。
「止めます。杏が……悲しむから」
「そんなことない……。みんとは……いなくてもいいの……。あんずには……みんとはいらないの……」
ミントの両目からとめどなく涙が零れる。
自分の居場所を自分で否定する。そんな言葉が絶えず彼女の心を抉り続けた。
「みんとは……もういらないの。だって……あんずには……あなたがいるから……」
「――――っ!」
「あなたが……! みんとのいばしょをとったから! みんとは……みんとは、もういらないの!」
「バカアアアアッ!」
アリアが手を振りぬく。
水面を叩きつけたような音が弾け、ミントの体が仰け反った。
吹き飛ばされたと錯覚するような浮遊感。
しかし、体は浮かぶことなく、掴まれた腕によってアリアに無理矢理引き寄せられる。
再び叩かれることを本能的に察知して歯を食いしばるが、ミントが感じたのは平手ではなかった。
「…………え?」
全身に感じた軽い衝撃、そして優しく身体を包む温もり。
ミントはアリアによって、その身を抱きしめられていた。
「どう……して……」
「いらないとか……いなくていいとか……そんなこと言わないで……ください……」
「でも……」
「お互いに大好きなのに……こんな形で離れちゃうなんて……悲しすぎます……。それに……」
アリアは一度息を吸い、涙で濡れたミントの瞳を見つめた。
「わたしは……これからもずっと一緒にいたいです……。ミントお姉ちゃん……っ」
衝撃がミントの心を震わせた。
アリアの言葉を信じられず、その場に固まってしまう。
「おねえちゃん……? みんとが……?」
「そうです! わたしより先に杏と会って、わたしより先に杏と同じ姿になって……わたしより先に杏に愛された、わたしの大切なお姉ちゃんです! わたしが愛されたからってお姉ちゃんがいなくなるのは嫌です! わたし達はもう、家族なんです!」
アリアの言葉が、自暴自棄で荒んだミントの心を癒していく。
妬みが薄れ、温かな感情が芽生え始める。
「お姉ちゃん、戻ろう? 杏も喜ぶよ」
「でも……みんと、あんずにひどいこと、いっちゃった……」
「それでもお姉ちゃんは、一度も『嫌い』って言わなかったよ。大好きなんだよね」
「うん、だいすき……だいすきなの……あんず……あんずうぅ……」
ミントはアリアにすがりついた。
涙はとどまることを知らず、少女の嗚咽が暗闇の中に木霊する。
胸の中で泣き続ける小柄な姉を、アリアは優しく抱きしめるのだった。
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