第7話 少女達とそれぞれのご飯



「重い……」



 妙な寝苦しさと共に目覚めた。



 左腕はミントの抱き枕になっており、右腕はアリアの頭の下にある。体にかけられているのは絹のように滑らかな純白の布。



 ミントとのふれあった後、そのまま寝てしまったので、恐らく寝ている間にアリアが持ってきてくれたのだろう。そういえば、夢の中でアリアの顔を見た気がする。布をかけてもらった時に一瞬目を覚ましたのかもしれない。



 ――白目とか剥いてなかったでしょうね。



 意識のない間のことは仕方がない。大切なのは現在だ。


 腕枕をしている右腕をそろりと抜こうとすると、アリアはイヤイヤをするようにぐずり、更に顔を押し付けてきた。



 ――これ、ダメなやつだ。



 早々に腕を動かすことを諦め、足で感触を堪能する。感じたことのない肌触りが素足に心地いい。



 左右に美少女、それも人外の少女を侍らせて眠るというこの上ない贅沢。もしかすると永遠に失ってしまったかもしれない少女と、新しく私の元にやってきた少女。


 至福と呼べる時間がここにあった。



 ――このまま、二度寝してしまおうかしら。



 そんなことを考えていると、アリアが少し身動いだ。瞼がゆっくりと持ちあがり、透き通るような瞳が顔を覗かせる。



「杏だぁ……」


「おはよう、アリア」



 寝ぼけて顔をペタペタと触ってくるアリアに苦笑しつつも、挨拶をする。


 焦点の定まっていなかったアリアの目に、徐々に光が灯っていく。呼応するように、彼女の白い肌もみるみる朱に染まっていった。



「あ、杏!? あれ、わたし……わたし――っ!」


「寝ぼけてる顔も可愛かったわよ、アリア」


「あぅ……あぅあぅ…………」



 あからさまに狼狽するも、アリアは私の腕から逃げようとしない。それどころか胸に顔を埋めるように密着してきた。多少自由が聞くようになった手を動かして、柔らかな頬をつつく。



「うにゅ……うに……んむ……」



 つつく度アリアが抗議をするように声をあげる。しがみつく手に力を込め、しかし触ってみろと言わんばかりに頬を晒してくる。



 しばらく無防備な頬をつつき回していたが、微かな違和感を感じてその手を止める。



「え……どうして――」



 前触れなく止まった刺激にアリアが不満げな声を漏らす。


 その疑問を最後まで聞かず、私は柔らかいほっぺを引っ張った。



「はうぅぅ……! 杏、酷いです……」


「ごめんね。でも、もうすぐミントが目を覚ますから」


「そうなんですか?」



 アリアが身を起こしてミントの顔を覗いたのと同時、ミントがゆっくりと瞼を開いた。



「本当だ……杏、すごいです!」


「まあ、ミントとは長い……とは言えないかもだけど深い付き合いだしね」



 アリアが思わず離した右手で、これ幸いとミントの頭を撫でる。



「あんずだぁ……んぅ……」


「んんっ……はむ……ちゅるるっ」



 慣れ親しんだ、しかし久しぶりとなる目覚めのキス。


 互いに深く口づけながら、舌で口内をくすぐり、強く吸い付く。



「ひあぁっ! わたしより小さいのに、二人とも大人です……。しかも、起きてすぐなんて……!」



 横目でちらりと見ると、アリアは顔を手で覆い、しかし指の隙間から私達の接吻をしっかりと除いていた。



 そんな彼女に見せつける様に、私達は舌を絡ませ水音を立てる。


 水が跳ねる音が響き、雫が地面を濡らしていく。



「ん……ちぅ……んんっ……ぷはっ」


「あんず、おはよう!」


「おはよう。目、覚めた?」


「うん! ごちそうさまでした!」


「ごちそう……さま?」



 場違いな挨拶に疑問を呈したのはアリアだ。


 ミントは自分の凄さをいまいち分かっていないようなので、代わりに説明する。



「ミントはね、生物の老廃物や有機物なんかを吸収して、完全な真水に変換できるんだよ」


「なんなんですか、その素敵生物は……」


「ありあの、おねえちゃんだよ?」


「そうでした! お姉ちゃん、すごいです!」


「みんと、すごいの?」


「すごいです! 尊敬します!」


「えへへ……、すごいんだ……」



 ミントとアリアは抱きつきあってじゃれ始めた。


 小さな女の子達が和気藹々と絡んでいる姿に、私の心も和んでいく。



「そうだ。アリアも体の掃除してもらえばどう?」


「えぇっ!? わたしもですか!?」


「いいかも! いただきます!」


「お姉ちゃん待って――ひゃうぁっ!」



 アリアの制止も聞かず、ミントはアリアの耳を食み始めた。


 唇で優しく耳を挟み、耳の裏にゆっくり舌を這わせていく。



「ひあぁっ…………ダメ、杏が見てますぅぅ……んんんっ…………ひゃうっ!」


「はむっ……ふむぅ…………あんずとあじがちがうけど、ありあもおいしい……ちゅぅっ!」


「はうぅっ……これすごい……ひゃんっ……力が入らない……ひうっ!」



 耳の後ろを舐められ、アリアが恍惚に身を震わせる。


 身悶えるアリアが愛おしく、ミントが触れていない側の頬をそっと撫でる。



「あ、杏!? 今はダメ……ひゃうんっ!」


「だって目の前でこんなに可愛く鳴いてるんだもの。仕方ないわよね?」


「そんなこと……ひあああぁぁぁっ! 耳の中吸っちゃあああぁぁっ!」



 突如アリアが嬌声のような悲鳴をあげ、私にしがみついてきた。


 ガクガクと痙攣する体の向こうには、満足気な顔のミント。



「ん……おいしかった。きれいになったよ!」


「あ、りがとう……お姉ちゃん……」


「つぎは、はんたいのおみみだね!」


「それは……寝る前にしてください……。今やられると耐えられないです……」


「うん、よるごはんだね!」


「おねえちゃん……やっぱりすごい、です……」



 先のふれあいがよほど気に入ったのか、アリアの言葉に皮肉の響きは感じられない。純粋な称賛にミントも少しこそばゆそうにしている。



「そいういえば、アリアはご飯を食べないのかしら?」


「わ、わたしは大丈夫で――」



 私の問いにアリアが応えた瞬間、そのお腹が可愛らしく鳴いた。


 アリアは真っ赤になって俯いてしまう。



「お腹が減ったなら言えばいいのに。何が食べたいの?」


「えっと……その……杏の……が…………」


「ごめんなさい。よく聞こえないわ」



 問い返すと、アリアは涙目になりながら、意を決して叫んだ。



「杏の……杏の血が飲みたいんです!」






「腕で大丈夫?」


「はい。歯が立つのならどこでも大丈夫です。あの、痛かったらごめんなさい」


「気にしないで。何度か噛まれているし、もう慣れたわ」


「それじゃ……いただきます」



 アリアが私の右腕を取り、前腕部分に噛みついた。アリアの歯が皮膚を破り体内に侵入してくる。


 チクリとした痛みがあったが、注射の延長程度の感覚だったので、声をあげることもなかった。実際噛まれている場所も注射で刺される所に近い。



 ちぅちぅ、と小さな音を立ててアリアが血を飲んでいく。必死で腕を吸い、喉を鳴らす姿はまるで小動物のようだ。



「……んくっ……んくっ……んくっ」



 一心不乱に血を吸うアリアを、ミントが興味深そうに見つめている。


 ミントは元々スライムだったので、その気になれば体中どこからでも養分を吸収できるし、排泄も可能だ。人の姿を取ってからは口から栄養を取ることがメインになっているが、それでも本能が残っているのか体の接触面積を増やそうと抱きついてくることが多い。スライムが獲物を包み込んで消化することも関係しているのかも知れない。


 そんな彼女から見ると、腕だけを抱えて歯を立てるアリアの食事は不思議に映るのだろう。



 右腕をアリアに預け、どれくらい経っただろうか。


 少し痺れを感じ始めた頃にアリアの食事は終わった。



「ごちそうさまでした」


「お粗末様でした。美味しかったかしら?」


「はい。ほっぺが蕩けそうなほどで、思わず吸いすぎたかもしれません。杏、体調は大丈夫ですか?」


「問題ないわよ。前吸われたときみたいに熱も感じてないし、むしろ本当に血を吸われたのかというくらい頭もハッキリしてるわ」



 そう言って右腕に視線を落とし、私は違和感に気付いた。


 アリアが先ほどまで噛みついていた場所。強く圧迫した後のように赤く腫れてはいる。しかし、



 ――傷痕が……ない?



 前回アリアに血を吸われたときは、体中の血がなくなっていく感覚があったし、死すら覚悟した。


 今回、アリアは「吸いすぎた」と言ったにもかかわらず、私は血が足りないとすら感じていない。そもそも吸われた痕さえ残っていない。



 ――私の体に何が起こっているの?



 仲良さげにじゃれあう少女達を見ている私の胸に、漠然とした不安が渦巻くのだった。

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