第2話 少女達と襲撃者
「脚が……重い……?」
再び目を覚ますと、ミントが私の体に乗っかって寝息を立てていた。
体重がきれいに右太腿に乗っているせいか、右脚が痺れてしまい、付け根から下の感覚がほとんどない。
「ミント……起きれる?」
「んん…………あんず…………だいすき……」
「……………………」
起こそうと試みたが、寝言を聞いた途端そんな考えは意識の外へ追いやられた。
どうしようかしばらく考えていたが、結局ミントが目を覚ますまで耐えることにした。いい夢を見ているみたいだから、どうせなら最後まで見させてあげたい。
幸せそうなミントの寝顔を見つめながら、彼女の頭を撫でる。と、そこで違和感に気付いた。
「見える……わね……」
流石に、日の下と同じようにはいかない。それでも私の視力は、ミントの寝顔をなんとか認識できる程度に働いてくれている。
右脚の感覚を犠牲にしてミントの寝顔を楽しむこと数分、ミントが身動ぎゆっくりと目を開けた。
「おはよう、ミント」
「あんず……おはよ……んー……」
寝ぼけ眼で口を突き出してくるミントに苦笑しつつ、唇を重ねる。舌が絡み合い、ミントの喉がコクンと鳴る。
ミントの「ごはん」が目的だが、もはや目覚める度に行う儀式になっている。目が覚めたそこに、大切な人がいるという安心感。それを確かめるための儀式に。
目覚のキスが終わる頃には、ミントの意識もしっかりと覚醒している。これもいつものパターン。そして、この後も……。
「あんずは、みず、のむ?」
「そうね……お願いしようかしら」
「はーい」
再び唇を合わせる。
ミントの舌が差し込まれ、それを伝って冷たい水が流し込まれる。春を感じて流れ出した雪融け水のような冷たさが、ゆっくりと私の喉を通っていく。
「……んくっ……んくっ……んんっ…………」
唇を押し付けて終わりを促すと、ミントはゆっくりと唇を離した。
「あんず、おいしかった?」
「ええ。御馳走様」
いつものように行う目覚めの儀式。
しかし、陽の光を浴びて朝露のように輝くミントの笑顔が、今は闇によって阻まれている。
――この森は早く抜けないといけないわね。
安住の地を定めるため。何より、愛するミントの笑顔をはっきりと見るために、私は一刻も早くこの森を抜けることを決意した。
この様子をじっと眺めている沢山の眼があったことに、この時の私達は気付いていなかった。
手を繋ぎ、はぐれないようにしながら暗闇を進む。
うっすら見えるようになったとはいえ、闇は闇。根や枝、場合によっては崖なんていう天然のトラップもあるかもしれない。
私は地面にせり出した太い木の根を跨いで顔をしかめた。
足が痺れたままミントと求めあった弊害か、煩わしい痛みが断続的に右脚を苛んでいる。
「あんず、だいじょうぶ?」
「大丈夫。気にしないで」
目敏く表情の変化を見つけたミントが声をかけてくれる。
その気遣いを嬉しく思いながらも、私の心は妙に晴れない。
――額をぶつけたり脚を痛めていたり……心配させすぎかしら。
脚の痛みには心当たりがある。世界樹に巻き付かれ貫かれた場所。以前ミントと激しく求めあったときに右脚が痛んだように、エネルギーを使い果たしたミントの「ごはん」でも痛んだのだろう。
ただの想像でしかないけれど、気持ちが入ったり、片方が不調だったりすると、普通の「ごはん」以上に体力を持っていかれるのだと思う。それが、世界樹の影響を直接受けた右脚に痛みとして出てきているのではないだろうか。
今回痛みが鋭くないのは慣れたのか、程度が低いのか。恐らくそんなところだと思う。
――どっちにしろ、激しくしすぎないように注意しないとね……。
脚の痛みに気を取られていたせいか、もしくは視界が広がったことに油断があったのか。
私は少し前に犯したミスと同じ事をしてしまった。
「――――わぷっ」
「あんず!」
私は顔面から蜘蛛の巣に突っ込んでしまった。取り除こうともがくが、糸はあり得ない強度で私に貼り付き絡んでくる。
巣を掴んだ手は開くことが困難になり、口に貼り付いた糸は声を出すことさえ阻害する。
ミントが私を呼ぶ声がする。
何とかそちらへ向かおうと体をくねらせたその先に――、
――私を見下ろす八つの眼があった。
暗闇の中でも爛々と輝く紅い複眼。
ガチガチと音を立てて蠢く二本の牙。
私とほぼ同じ大きさの蜘蛛が目の前に佇んでいた。
そいつは私二本の脚で支えると、腹部から粘つく糸をシャワーのように噴射した。糸をかけられた部分がギプスで固められたように動かなくなっていく。
――ミント! 逃げて!
心の底から叫んだつもりだったが、糸によって自由を封じられた口から声は出てくれなかった。
そして、その願いを嘲笑うかのように、子蜘蛛がミントに群がっていく様子が目に飛び込んでくる。
絶望が心を塗りつぶしていく。
私の感情などお構いなしに、蜘蛛は念入りに私を回転させて全身を固めていき、やがて私の視界は糸に覆われて見えなくなってしまった。外から見たら何かの繭のようになっているに違いない。
ほどなくして、体を持ち上げられる浮遊感が身を包んだ。続いて乗り物で運ばれているような振動を感じる。
私の知っている蜘蛛は、獲物を捕らえた巣でそのまま食べていたはずだけれど、この蜘蛛はどうやら別に住処を持っているらしい。
額を打ち付けておいて、どうして反省しなかったのか。
後悔が心の中を渦巻く。
不注意で危険にさらしてしまった少女へ、懺悔の想いが溢れていく。
後悔と懺悔の中で過ごした時間は、体感で五分程だろうか。
揺れが止まり、私の体は乱雑に放り出された。
下半身にずしりとした重みを感じる。私を覆っていた繭に亀裂が入ったかと思うと、繭は亀裂からドロリと溶け始めて私の体に降り注いだ。繭は粘性の液体に変化し、引き続き体の自由を奪い続ける。
しかし、顔を覆っていた繭がなくなったことで、いくらかの視界が取り戻せた。
眩しい。
視界が開けると同時に、光が網膜に突き刺さった。
「――――っ!」
急に飛び込んできた光に目がくらむ。目をしょぼつかせながら周囲を見回す。
目に入るのは岩盤と青白く瞬く鉱石。そして、幽霊のように浮かび上がる白色の蜘蛛。
闇の中、鉱石の輝きを受けて姿を見せる蜘蛛にどこか神秘的なものさえ感じてしまう。
これから食べられるという状況にも関わらず、私は蜘蛛に見入ってしまった。心のどこかで諦めが生まれてしまったのかもしれない。
「……痛くしないでよ」
そんな言葉が口から洩れる。
通じることを期待したわけではなかったけれど、心なしか蜘蛛が頷いたように見えた。
蜘蛛が牙で私の脚を撫でる。
時折ちくりとした痛みが走るのは、皮膚の柔らかさを確かめているのだろうか。
蜘蛛は足を撫でながら牙を立てる場所を探して上へと移動してくる。
ふくらはぎを撫で、膝の裏を撫で、太腿を撫でる。
いつしか蜘蛛の頭が、完全にスカートの中に入っている。
私の視界からは蜘蛛がスカートの中に頭を突っ込んでモゾモゾしているようにしか見えない。
「……いい加減にしてくれるかしら。ここから見てるとただの変態――っっ!」
文句を独り言ちた瞬間、牙が皮膚を突き破り右の内腿に侵入してきた。
鮮血が飛び散り、私の服と蜘蛛の体を深紅に染めていく。
「っつぅ――っ!? う、あ……ああああああ――っ!」
初めは痛みを堪えていたが、突如右脚が猛烈な熱を帯び、口から悲鳴が迸った。
雷に打たれたかのように体が痙攣し、心臓が破れそうなほど激しく鼓動する。
「ミ……ント……」
涙にゆがむ視界の中で、愛する少女の名前を呼びながら、私の意識は闇に飲み込まれた。
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