第3話 少女と臆病な娘
まさか、再び目覚めることができるとは考えてもいなかった。
意識を取り戻して最初に見たものは、青白く光る洞窟の天井。
次に、死んだと思っていた自分の体。
目の前に幼女が座っていて「今度の死因は失血死ですねー。随分ただれた第二の人生でしたねー」とか言われたらどうしようかと思った。きっと助走をつけてぶん殴るに違いない。
軽く伸びをして体の調子を確かめる。
倦怠感はすごいが、痛みはほぼ感じない。噛まれた内腿をさすっても牙が突き刺さった痕すら見当たらなかった。
とりもちのように体を拘束していた粘液も、綺麗さっぱりどこかへ行っている。
「そういえば、ミントも最初は私を捕食しに来たんだっけ。この体、防御力や回復力高すぎないかしら」
自身の頑丈さに呆れながらも今回はその頑丈さに感謝する。
「ミント……無事だといいけれど」
そう呟いたものの、ミントは無事でいて、ほどなく合流できるという不思議な予感があった。根拠はないが、この予感は信じるに足りると、何故か信用することができた。
私がゆっくりと立ち上がった瞬間、「ひぅっ……」というか細い声が聞こえた。
振り向くと、何かが岩陰にさっと移動したのが見えた。
「……捕食されかけて、一度寝て、人の声、ね。どこかで聞いたことがある話だわ」
罠かもしれないと考えたけれど、不思議と危険な気はしなかった。むしろ、岩陰の向こうにいる者は私に危害を加えてこないという、漠然とした安心があった。
人影が見えた岩に近づいていく。
一歩進むごとに「ふえぇ……」とか「はうぅ……」とかいう泣きそうな声が聞こえてくる。
――この先にいるのは、きっとあいつよね。
そう考えた瞬間、ふといたずら心が芽生えてきた。
私は岩のすぐそばでワザとらしく溜息をつく。
「こんなところに、誰かいるわけないし、きっと、気のせいね」
ああ、なんという演技力だろう。小学校低学年の学芸会を思い出して涙が出てきてしまう。
こんな演技に引っかかるわけないか……と踏み込もうとした瞬間、ひょこりと少女が顔を出した。
光が少ない洞窟の中でも分かるような、透き通った白い肌。
銀色の美しい髪は頭の後ろで二つ輪っかを作っており、残りを後ろに流している。
額には蜘蛛の目を思わせる六つの複眼が並んでいた。
あどけない顔立ちと染み一つない肌のせいで幼く見えるが、大学生にいてもおかしくない顔立ちのせいで年齢は分からない。もっともミントだって何才か不明だし、私も子供の姿だけど18才まで生きたしね。
「あ………………」
状況を理解したのか、少女の目が驚愕に開かれていく。
開かれた目には涙が溜まっており、些細なきっかけで泣きだすだろうと簡単に理解できた。
「えっと……とりあえず、おはよう?」
「――――っ!」
「あ、ちょっと!」
「――――きゃんっ!」
声をかけてみると、少女は弾け飛んだように後ろに飛びずさった。勢いあまってしりもちをついてしまう。
お尻を抑えて身悶える少女に駆け寄り、助け起こす。
「大丈夫? 痛くない?」
「………………い」
「………………い?」
はっきりと声が聞こえず聞き返すと、限界を超えてしまったらしく、少女は堰を切ったように泣き始めた。
「ごめんなさい! ごめんなさい! 勝手に連れてきて、食べちゃってごめんなさい――!」
あまりに唐突だったので思わずポカンとしてしまう。というか、食べちゃってごめんなさいって初めていわれたよ。二度と言われることなさそうだけど。
「ごめんなさい! 食べないで! 殺さないで! 許して! ごめんなさい!」
「あー、とりあえず落ち着こう」
そう言って抱きしめた途端、少女は手を振り回して暴れだした。
「いやあああああああ! 食べないでええええええ! 許してえええええ!」
落ち着かせるために抱きしめてみたのだが、逆効果だったみたいだ。ミントだとこれで落ち着いてくれるんだけれど。他にミントを落ち着かせる時に何していたかしら。相手を落ち着かせる方法――。
「助け――んぐぅっ!」
「んん……っ!」
暴れる少女の顔を掴み、その口を強引に口で塞ぐ。
押しのけようと少女が引っ掻いてくるが、構わずに舌をねじ込み絡め合う。
口を付けても食べないという意思表示のために。
少女自身の悲鳴でさらにパニックを起こさせないために。
口を塞ぎ、唇を啄み、舌を吸い上げる。
やがて少女の手から力が抜け、唇を閉じようとする抵抗もなくなり、彼女は私のされるがままとなった。
抵抗が無くなったことを確認して、私はゆっくりと口を離す。
少女が悲鳴をあげることはなかったが、目に浮かんでいる涙は絶え間なく目尻からこぼれ落ち、時折小さくしゃくりあげている。
少女が落ち着いたことを確認して立たせようとしたとき、やっと私はすべてを悟った。
「うぅ……ひどいよぉ……」
「ご、ごめん! 配慮が足りてなかった!」
涙声の少女を立たせてその場から離れる。
乾いた洞窟の床。一ヶ所だけ水分を吸って色が変わっている場所が、少女の悲劇の一部始終を物語っていた。
「本当にごめんなさい!」
「ううん、わたしが悪いの。ごめんなさい」
「いえ、今回のは完全に私が悪いわ。ごめんなさい」
少女の服を着替えさせた後、私達は互いに謝罪を続けていた。
でも、今回は私が全面的に悪い。
食べられることを恐れている子に口を付けるだなんて、勘違いさせても仕方がないことだ。ましてやそれが口へのキスだなんて、相手は女の子なのに。
どうやらミントと過ごすうちに、貞操観念にズレが生じているらしい。私だって初めて口を吸われたときはものすごく慌てたのだから、それを別の子にしてしまうなんてもっての他だ。
しかしいくら謝っても、彼女は自分に非があると言って譲らない。私は嘆息して彼女に一つの提案をした。
「じゃあ、お互いに悪かったってことで手を打たない?」
「それで、いいの?」
「ええ。これ以上やってても話が進まないしね」
少女は渋々といった様子だったが、それでもコクリと頷いた。
やっと話が進められる、と安堵の息を吐く。
「一つ確認なんだけど……あなた、私を拐った蜘蛛よね?」
「はい……。ごめんなさい……」
「あー、責めてる訳じゃないの。姿がすごく変わったなって」
ミントも人型になっているとはいえ、元は不定形な生物だ。体の形を人型に変形させることにそこまで違和感は感じない。
ところが、この少女は蜘蛛だ。形が定まっている生き物が人間になるのにはどうも違和感を覚えてしまう。
「えっと……あなたの血を飲んだときに、今まで飲んだどんな血液よりも美味しく感じたの。それで思わずむさぼりりついちゃったんだけど、そうしたら、あなたからとてつもなく大きな力が流れ込んできて……その、凄かったの」
「凄かったってどういう風に?」
「快感とか快楽とか……キモチイイって感じる感情を全部ひっくるめて何百倍にもしたような感じだったの。思考が麻痺して、体が痙攣して、まともに立てなくなって……それでも口を離したくなくて……」
「えっと……それでどうなったのかしら?」
彼女は当時の感覚を思い出したのか、次第にと恍惚とした表情を浮かべ始めた。話がそれては敵わないと、彼女の言葉に思わず口を挟む。
「あ、はい。それからずっと飲んでいたいって思いながら血を飲んでたんだけど、だんだん怖くなってきちゃって」
「怖く?」
「うん。このまま吸い尽くしたら二度と飲めなくなっちゃうんだなって考えと、この人を殺しちゃダメって想いが体の中で生まれて……。その後、段々この人と一緒にいたいって想いが生まれてきて……。気が付いたらこうなってたの」
「じゃあ、人間の姿になったのは無意識?」
私の問いに少女はコクンと首肯した。
ミントも今の姿になる前に髪を食べさせたし、私の体を一部でも食べれば魔物の意思とは関係なく擬人化するのかもしれない。しかも、この少女の言い分だと、敵意や害意がなくなり愛情が生まれてくるみたいだ。
ただ一点、腑に落ちないことがあるとすれば――。
「でも、一緒にいたいって思ってくれたなら、どうして逃げたのかしら?」
「そ、それは……」
少女の体がピクンと震える。
私は少女の肩に腕を回して抱き寄せる。
「あ…………」
「大丈夫よ。怒ってないから。思ったままに言ってちょうだい」
「その……本当に死なせちゃうかもしれないくらい血を吸ったから、きっと嫌われたと思って。この世界で共存相手に嫌われるって言うのは、食べられるのと同じだから……」
「なるほど。自然の摂理だからそうなると思い込んじゃったのね」
「うん。だから、きっとスライムの娘を追いかけて行った蜘蛛達が戻ってきたら、わたし食べられちゃう……」
「あれ、あなたの子供じゃなかったんだ……」
「気付いたら一緒になって狩りを手伝ってくれてたの……でも、この姿だし、今まで見たいな狩りはできないし……。たぶん、餌としてしか見られないと思う……」
「大丈夫よ。そういうことなら私があなたを護るわ」
「うん…………うん…………!」
彼女は嬉しそうに私に頭を預けてきた。サラサラの髪をゆっくり撫でると、彼女は嬉しそうに目を細める。
「そういえば……あなた名前ってあるの?」
「ない……。今まで必要なかったから……」
「でも、これからはないと不便よね。ずっとあなたじゃ味気ないし……」
私は頭の中で色々と考える。
――スパイダー、蜘蛛……この発想は可愛くないわ。
――アラクネ……蜘蛛の本体が残ってないとしっくりこないかしら。
――蜘蛛の巣……糸……糸って何かあったような……。
「アリア。どうかしら?」
ギリシャ神話、アリアドネーの糸から発想した名前。蜘蛛関係なくなっちゃったけど、ミントもスライム関係ないから大丈夫よね?
「アリア……アリア……。わたしの名前。わたしはアリア……」
反芻するように何度も名前を繰り返した後、彼女は満面の笑みで応えてくれた。
「嫌われてもおかしくないのに……こんな素敵な名前をもらっちゃっていいのかな……」
「私があなたを嫌う訳ないでしょう。そんなに信じられないのなら――」
私はアリアの唇に人差し指を押し当てた。
「――あなたのこと、食べちゃおうかしら」
アリアは体を一瞬硬直させたが、私を見つめると覚悟を決めたように頷いた。
「あまり……痛くしないでください……」
そう言ってぎゅっと目を瞑ると、アリアは可愛らしい唇を突き出してくる。
本能のままにむさぼりたくなるのを堪え、私はゆっくりと唇を重ねたのだった。
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