第一章:暗中逍遥編

第1話 少女達と闇の森

「うわ……。本当に真っ暗ね……」

「ね、みんとのいったとおりでしょ!」


 森の境目で概念が切り替わると聞いたときは半信半疑だったけれど、実際に目にしてしまうとぐうの音もでない。


 私がいる場所は、目の前に障害物があるかどうかが分かるという程度にしかものが見えない。数歩後ろに下がると、一日中暖かな木漏れ日が降り注ぐ森になるというのに。


 私はミントの「ずっとくらい」という言葉を、勝手に夜だと思っていたけれど間違いだった。


 これは、夜じゃない。これは、闇だ。


 例えるならば、光源を持ち込めない洞窟。もしくは光の届かない深海。自分の体がここにあるということすら疑ってしまうような暗闇。目の前に何かがあるとうっすら分かることが、そもそも奇跡だ。


 私はミントの小さな手を握りしめる。

 少し力が入りすぎたのは、恐怖からか、緊張によるものか。


「ミント……怖くない?」

「あんずがいるから、こわくないよ!」


 表情は分からない。

 でも、ミントの声色からは、決して強がりではないことが理解できた。


「あんずは、こわいの?」

「うん……ちょっとね」

「そうなんだ…………えいっ!」

「わっ、ちょ、ミント!?」


 ミントは声を上げると、勢いよく私の首に抱きついてきた。背中から倒れそうになるのを、かろうじて耐える。


「ミント! 何やって――」

「こうやってくっついてたら、こわくならないよ。ほら、むぎゅー!」


 抗議の声を遮って、ミントは抱きつく腕に力を籠める。そして、肩越しに頬擦りをしてきた。


「もりをでるまで、こうしててあげるね」

「……そうしたら、ミントはずっとご飯を食べられないと思うわよ」

「だいじょうぶ!」


 この体勢だとミントに「ごはん」をあげ辛い。

 暗にそう不満をにじませるが、ミントは意に介す様子もない。

 やっぱり私が「ごはん」をあげなくても大丈夫なのかしら、と少しだけ残念に思っていると耳の後ろを柔らかいものが撫でた。


「ひゃうっ――――!」


 間の抜けた悲鳴を上げて跳び上がってしまう。


「ん……あんずのからだは、どこでもおいしい……ちうぅぅ」

「だ、だめ……。耳の裏吸わないで……」


 体が電気が走ったようにビクンと震える。


「おいしいのに……だめ?」

「歩いてるときはダメ……」

「じゃあ、ねるまえは?」

「寝る前なら、そうね……いいわよ」

「えへへ。ごはん、たのしみ」


 姿が見えなくても楽しみにしているのがはっきりと分かるほど、ミントの声は弾んでいる。

 ミントに対して甘い……というよりも自分の欲望のためにミントを口実にしてしまい、少しばかり罪悪感を覚えてしまう。


 私はミントとのふれあいを楽しみに、しかし心から歓迎することもできず、悶々としたまま歩みを続けるのだった。





「あんず! めのまえ、きだよ!」

「え――――ったあぁ……」


 不意に響いたミントの叫び声。

 私は暗闇の中、煩悩に心を奪われていたせいで、思いっきり額を樹にぶつけてしまった。

 頭を叩き割られたのかと感じる不意打ちの衝撃に、思わずうずくまってしまう。


 襲い来る激痛と嘔吐感。

 もしかしたら脳震盪を起こしてしまったのかもしれない。


「だいじょうぶ!?」

「ごめん……少し、休むわ……」


 樹に手をついて呻くと、背中からミントが降りてきた。体を誘導して樹に背中を預けさせてくれる。

 座っても相変わらず世界が回っているように感じる。それでも、ミントが支えてくれているおかげで、気持ち悪さはだんだんと薄れて行った。


「ありがとう……だいぶ楽になったわ」

「きょうは、ここできゅうけいしよ」

「そうね……」


 視界の効かない闇の中をそろそろと進んできたため、想像以上に体力が奪われている。時間感覚もほとんど無く、どれだけ進んだか考えることすら覚束ない。怪我をした身でこのまま進むのは危険すぎる。


 歩いている間はミントの体重を背中に感じていたため、闇の中を進むということは苦にならなかった。そのせいで妄想が突き進み、醜態を晒してしまった訳だけれど。


「ミント……ちょっと待ってね。少し休んだら……ご飯の準備するから」

「……………………」

「ミント……?」

「ん…………」

「…………あ」


 返事が来ない事を不思議に思っていると、柔らかな感触が唇に触れた。あまりに唐突で、一瞬で離れていったその柔らかさが、ミントのキスだと気付くのに数秒の時間が必要だった。


「ごちそうさま!」

「え、もういいの?」

「おなかへってないからいいの!」

「でも、あんなに楽しみにしてたのに……」

「いいったらいいの!」


 こちらの世界に来てそれなりに一緒に過ごしているけれど、ミントがここまで強く否定することはなかった。


 呆気にとられていると、額に冷たいものが押し当てられた。

 ひんやりとした温度が、熱をもった打ち身に心地よい。


「あんず……つめたくない?」

「大丈夫……。気持ちいい……」

「えへへ。よかった」


 先程の断定口調とは違う、嬉しさを隠そうとしない声音。

 私はやっと、ミントが私の事を心配してくれてることに気付いた。


 ごめん、と言いかけて口をつぐむ。ミントは私の面倒を見ることを迷惑だなんて思っていない。だったら私が返すべき言葉は謝罪じゃなく――。


「――ありがとう、ミント。おかげで楽になったわ」

「ほんとう!? やった!」


 ミントが歓声を上げて私にくっついてくる。それでも額から手を離さない辺り、真面目に看病してくれているのだろう。

 額に感じる快い冷たさと、体に感じる確かな柔らかさ。幸せを感じながら、私はまどろみに落ちて行った。





「ん…………」


 目覚めはしたが辺りは変わらぬ暗闇。少し前までは夜が来ないことで体の不調を感じていたけれど、今は明りがないことで体を壊しそうだ。人間の体ってなんて贅沢なんだろう。


 ゆっくりと体を伸ばして違和感に気付く。額にミントの手が乗っていない。


「ミント……?」

「あんず……、おき……た?」

「ミント! どうしたの!」


 あまりにも弱々しい声に、怪我をしていたことすら忘れて叫ぶ。

 声がした方向へ、這いながら向かうと、私の手が冷ややかものに触れた。


「ミント……?」

「あんず……げんきになった?」

「うん、元気になったよ! ミントはどうしたの!?」

「あんず、みんとね……」


 力のないミントの言葉の続きを待つ。

 もしかして、私が眠っている間に魔物に襲われたのだろうか。それとも看病で無理をして体を壊したんじゃ――――。


「…………みんと、おなか、すいた」

「…………ばか」

「…………ごめんなさい」


 安堵により、全身から力が抜けていく。

 しかし、呆けてはいられない。ミントの体を撫でながら、彼女の小さな口を探り当てた。


「ミント、口を開けなさい」

「あんず……」


 うわ言のように名前を呼ぶミントの口を、自分の口で塞ぐ。

 舌を差し込んで口の中を動かし、口の中から溢れる液体を休むことなく移していく。


「ん…………ん…………っ」

「ん…………コク……コク……」


 口の中に流し込んだ水分を、ミントは少しずつ嚥下していく。それを感じながら、私は呼吸も忘れて「ごはん」を続ける。


「ん……………………ぷはっ! はぁ、ミント……大丈夫?」

「だいじょうぶ……すこし、うごけるようになった……」


 長めのキスとはいえ、この僅かな「ごはん」で動けるようになったのなら大したものだろう。探り当てたミントの腋に手を入れ、小さな体を持ち上げる。そして、向かい合うように、ミントを膝の上に座らせた。


「ミント、もっとごはんをあげるからね」

「うん、いただきます…………んっ」

「はむっ…………んんっ……」

「んんっ……ちゅるっ…………ぷはっ」


 ミントは一度口を離すと、息を吸って勢いよく口づけてきた。大きく動いたせいか、狙いがズレてミントの口が頬に当たる。

 ズレて当たった唇は頬を滑っていき、ミントはそのまま私の首筋に吸い付いた。


「み、ミント…………そこは…………んんんんんっ!!」

「はむっ……はむっ……ちうぅぅ…………」


 首筋を走る初めての快感に、私は思わず身悶えてしまう。


「ミント、く、くすぐったい――ひゃんっ! んんっ!」

「はむっ……はむぅ…………ここ、おいしい。あんずのあじがする…………」

「そこは汗かく場所だから……ひゃあぁっ!」


 ミントはチロチロと首筋に舌を這わせ、時折唇で挟む様に吸い付いてくる。一方的に吸われている感覚に背徳的な快感を覚えながらも、私は快楽に飲み込まれないよう必死に耐え続けた。


 ミントのごはんが終わって彼女が元気を取り戻したころ、私は精魂尽き果てて再び眠りについたのだった。

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