第9話
「ところで、一つ気になるんですけれど」
リニックとレイニーは通路を歩いていた。
通路は迷路の如く張り巡らされており、レイニーの指示が無ければ迷子になってしまう程だった。
レイニーが居なかったら、と思うと少しぞっとしてしまうリニックであったが、
「何ですか?」
「名前、教えて貰えませんか?」
「名前? レイニーですけれど」
「だから、それはコードネームですよね?」
ライトニングとレイニー、それにサニーという時点で何らかのコードネームであり本名では無いことは明らかだった。
だからリニックは彼女の名前が気になって仕方が無かったのだ。別に教えてくれないのならばそれで構わないのだが、だからといってずっとコードネームで呼び続けるのもどうかと思っていた。
「マリアです。マリア・アドバリー」
「マリア・アドバリー……」
「覚えていただけましたか?」
こくり、と彼は頷いた。
なら良かった、とマリアは笑みを浮かべた。
そして、部屋のドアの前に到着すると、マリアが右手を差し出す。
右手には小さな鍵がのせられていた。
「それは?」
「この鍵は、この部屋の鍵です。今後あなたはここで生活して貰うことになりますので。ああ、安心してください。あなたの過去の部屋に近いレイアウトと設備をご用意しておりますので」
「えっ、何それ怖い」
「ずっと監視し続けてきた甲斐がありましたよ、まったく。使われなかったらどうなるかと思いました。何かありましたら、私まで連絡ください。電話番号は内線で093です。いいですね? 093ですよ?」
「093ね。了解。……それじゃあ、また明日」
「ええ、また明日」
そう言って、リニックは部屋へと入っていくのだった。
部屋の中は確かに彼女が言っていたとおり、過去に彼が住んでいた部屋そのままのレイアウトとなっていた。廊下を抜けるとキッチンがあり、その脇にトイレ、そして風呂、突き当たりにはリビングがあるレイアウトだ。リビングにはパソコンとテレビが置かれているが、この感じからしてテレビも何が見えるか分かった物では無いし、通信も出来ないだろう。
「そもそも、ここがどこだか分からない以上何も出来ないのは確か、か……」
身体に傷を負っているわけでも無い。精神的なダメージを負っているわけでも無い。金銭面でダメージを負ったわけでも無い(寧ろ、宿泊する場所を提供して貰えている)。はっきり言って今の彼には外部にその状況を連絡する意味が無かったのだった。
「……とは言ったものの。やはり気になるのが、」
救世主という存在。
彼を何故救世主と呼ぶのか。そして、それほどの災厄が今後起きるというのか。
それは、きっと今聞いたところで教えてくれそうにないだろう――彼はそう思っていた。
聞かずに後悔するよりも、聞いて後悔した方が良いのが普通だ。
しかしながら、リニックは冒険をしない性格である。あまり、冒険をしたがらない。あくまで安全牌で行こうとしていくのが彼のスタンスだ。
だから今回のことは完全なる想定外で、彼のスタンスで行くならば拒否するべきだった。
しかし、それ以上に彼の探究心を擽っていたものがあった。
予言の勇者、フル・ヤタクミとともに行動していた一人――メアリー・ホープキンとの謁見。
それによってどのような知識が得られるかは分からない。
しかし、彼女が使っていたと言われている『錬金魔術』、その真意を知ることが出来る。
そうでなくても百年前の出来事について、実際に経験した人間から聞くことが出来る。
それは彼にとって有益なことであるし、きっとアンダーピースにとっても有益なことだ。
「……まあ、詳しい話は明日聞けば良いよな……」
そんなことを思いながら、彼はベッドに横になる。
同時に、テーブルの脇の扉がせり上がり、そこからプレートが出てきた。
「……何だ?」
プレートを見ると、焼き肉の切り身、サラダ、少量のご飯と錠剤が数錠、それに水の入ったコップがのっかっている。
普段の生活じゃあなかなかお目にかかれないものばかりだったので、リニックは本物かどうか疑念を抱いたが、しかし食欲には勝てないものだ。
「一口だけ食べてみて……確認してみよう」
そう思い、彼は焼き肉の切り身を一枚フォークで手に取り、口に入れた。
そのときの衝撃は、まるで電撃が走ったかのようだった。いつもペースト状の食品を食べていた彼にとって、それはあまりにも衝撃的であり、信じられない味だった。
「……美味い!」
ぱくぱく、もぐもぐ。
気づけば彼はそれにがっついていた。お腹が空いていた訳では無い。けれども、ものの数分でそれを完食すると、彼は満足感を得ていた。普段食べているペースト状のそれでは得られない感覚だった。
「これが……食事……!」
食事とは、いかに今まで自分は違った価値観で得ていた物だと言うことを思い知らされる。
「……これ、回収してくれるのかな」
リニックはプレートがやってきた扉を開けて、そこにプレートを仕舞う。
すると機械の動く音がした。どこかにプレートは移動していったようだった。
再度ベッドに横たわる。
考えることはやはり今後のことだ。今後は、アンダーピースと行動を共にすることになるのだろう。
しかし、彼女たちの目的が何であるのか――正直未だに分かっていないのが事実である。
「でも、分かったところで何をすればいいのやら」
結局は彼女たちに従うほかないのだ。
そこに僕の自由意志は存在しない。
そこに僕の意志は存在しない。
ならば僕はいったい――何者なんだ?
ただ彼らに縛られただけの、祭られているだけの、ただ英雄という存在に縋っているだけではないのだろうか?
「まあ、明日もう一度メアリーに聞くしか無いのか……」
そう思って、僕は目を瞑った。ご飯を食べ終えたばかりの睡眠は身体に良くないと聞いたけれど、でも何もやることが無いんだ。致し方ないと言えば仕方ない。
そうしてそのまま意識の中へ微睡んでいった――。
◇◇◇
メアリーが月を眺めながら、ワインを飲んでいた。
「……総帥。あまり飲み過ぎませんよう。身体に差し支えますよ」
レイニーの言葉を聞いて、彼女は笑みを浮かべる。
「そうね。……ついつい救世主が見つかったから飲み過ぎちゃったわ。でも、大丈夫。これで終わりにするから」
「なら良いですけれど。……総帥、あなただって目的はあるのでしょうから、長生きはするべきですよ。もうとっくに人間の寿命は上回っているとは思いますが」
「そうね。私は色々と長く生きすぎた。それで人間の寿命は定められていてこそ輝くのだと思い知らされた。祈祷師の血を今でも恨んでいるわ。長生きをすると、周りが皆早く死んでいくんだもの……。私だけが残されていく、その気持ちは誰にも味わえないでしょう」
「……今日は風が寒いです。窓を閉めた方が宜しいかと」
「ありがとう。もうすぐ閉めるわ。おやすみなさい、レイニー」
「おやすみなさいませ、総帥」
そうして、レイニーは外へ出て行った。
また一人きりになった彼女は、月を眺めてぽつりと呟く。
「もう少しよ、フル。またあなたに会える時が近づいてきているの……」
その言葉は、誰にも聞こえることは無かった。
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