第5話
赤ワインを飲み干し、彼女は話を続ける。
クリーム色の髪をした彼女は、長い髪をたなびかせていた。
赤いワンピースに身を包んだ彼女は、彼らがやってきたことを気にも留めず食事をしていた。テーブルの上には、パンと赤ワインとベーコンとブロッコリー。勿論赤ワインはグラスに注がれて、それ以外は皿の上にのせられているのだが、それが普通の食事に見えないということは彼でも分かることだった。
「……あの、いったい何を?」
「見て分からないの? 食事よ、食事。人間、エネルギーが枯渇したら何も出来なくなるから」
食事。
それにしてはとても質素なものだった。普通、パンと赤ワインはまだしもベーコンとブロッコリーだけってどうなのだろう、と思うのが当然だった。それに味付けもされているかどうか危うい。
「あの、それ」
「栄養バランスのことを言いたいのなら、無視して貰って結構よ。……まあ、皆が言ってくることではあるのだけれど」
どうやらもう慣れっこらしい。ならば言う必要も無いだろう。
リニックはそう思いながら、あたりを見渡す。気づけば椅子が一つ座るように後ろにずらされていた。
「どうぞ、お座りください。総帥は、あなたとの対話を希望されています」
「総帥……ねえ」
どうせろくなところの総帥じゃないのだろう、なんてことを考えていたが――。
「ろくなところの総帥、とでも思ったら大間違いよ?」
ワイングラスを傾けながら、彼女は呟く。
それを聞いたリニックは耳を疑った。まさか思考を感じ取ったとでも言うのか。
「思考を感じ取る、とは少し違うわね」
さらに、思考を感じ取った彼女は話を続ける。
「考えていることが耳に入ってくる、ということかしらね。口には封をすることが出来ても、脳には封をすることは出来ないでしょう? つまりそういうことよ。要するに、結局の話、一つの結論を先延ばしにすることは出来なくて、一つの結論を元に戻すことは出来なくて、だからといっても元に戻すことは出来なくて……」
「え、ええと……つまり?」
「つまり、壊れてしまったピースは元には戻せない、ってことよ。ミルクパズルって知ってる?」
「ミルクパズル……。確か全面白のパズルですよね」
「そ。割れ目だけを頼りに元に戻すのだけれど、それの最後のピースが違っていたら、あなたはどうする?」
「え、えーと……多分、別の奴と混じったんだろうな、って思って探しますね。それで、見つかればいいですけれど」
「見つからなかったら?」
「そこで諦めちゃうかもしれませんね」
「液体がどろどろと垂れてきているとしたら?」
「別のもので……うーん、例えば布とかで覆うかもしれません。取りあえず急ごしらえで。だめならそのとき考えます」
「……変なの」
「攫ってこいといったのはあなたではありませんか、総帥」
「そりゃあそうだけれどさあ……。こんな変わり者だとは思わなかったよ。だからといって捨て置くわけにもいかないしね。やっぱり世界を救う存在って変わり者が多いのかな?」
「それだと、百年前のあなたの知り合いをも傷つけることになりますが」
「レイニー……? 言って良いことと悪いことがあるわよ?」
「あ、あのー……僕はいったいどうすれば……?」
すっかり置いてけぼりにされてしまった彼は、二人の間に何とか入ろうとする。
それを聞いた総帥は、残っていたパンを口の中に放り込んで、
「ああ、ごめんなさいね。まったく、使えない部下を持つと困ったものね。……それはそれとして、あなたがリニック・フィナンスで間違いないわね?」
「ええ。もう何度も質問されていますが。それとも、そんなに自分の証明が必要ですか?」
「必要も必要。当然なぐらいにね。あなたは世界の救世主と言われるべき存在なのだから。……ところであなた、歴史の知識は?」
「人並みには。嫌いでは無かったので」
「宜しい。それじゃあ、百年前にあった『世界の亀裂』は知ってるわね?」
「世界の亀裂……この世界と別の世界が一瞬だけ繋がった、次元ホールのことですか」
こくり、と総帥は頷いた。
「それさえ分かれば十分ね。完璧と言っていいぐらい。……んで、その亀裂によって世界にどんな影響が生じたか分かる?」
「どんな影響、って……」
「……残念ながら、特に影響は無かった。だって直ぐ終わってしまったから。強いて言うなら、特異な現象を目の当たりにすることが出来たぐらいかしら。……だからこそ、世界がどうなろうとも私は知ったことではなかったけれど」
「知ったことではない、というかあなたは当事者だったじゃないですか、総帥」
レイニーの言葉を聞いて、小さく舌打ちする総帥。
彼女に対する扱いはいつもそうなのか、レイニーはただ笑うだけだった。
「……確かにその通りだったけれど、でも案外何も変わらなかった。世界は変わることを辞めたと言ってもいいわね。もしかしたらビッグバンでも起きて大きな成長が見込めたかもしれない。もしかしたら百年前にそれを成し遂げた悪はそれを狙っていたかもしれない。けれど、結果は……見ての通り。人間の住居領域を狭めただけに過ぎず、それ以外の空白領域には、メタモルフォーズのなり損ないが蔓延るばかり。……浄化するには何千年もかかると言われているし、ほんと、迷惑しかかけないわよね。ここでガラムドの書でもあれば何か変わったのかもしれないけれど……」
「ガラムドの書?」
「ううん、こっちの話。気にしないで。……ええと、先ずは自己紹介かしらね」
少しずつ、部屋が明るくなっていく。
そして、総帥――彼女の姿が目の当たりになった。
彼女の顔を、リニックは見たことがあった。
「あ、あなたは……」
「はじめまして、で良いわよね。私の名前はメアリー・ホープキン。アンダーピースの総帥にして、百年前予言の勇者とともに世界を救った仲間の一人よ」
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