ep.22
マリアさん渾身の一撃が角の民を吹き飛ばした。
建物だった瓦礫を突き抜けた後、ようやく勢いが止まったらしく音がしなくなった。奇妙な静寂が場を満たす。
マリアさんが追撃しない。あれで決着がつくほど敵も脆くはないだろうし、事実まだ彼女は警戒を解いていない。拳を振り抜いた体勢のままだが、鋭い視線を殴り飛ばした角の民の方へと向けている。
視界を遮っていた土煙が晴れていく。
「意外だな、らしくないじゃないかユリウス、お前が苦戦とは」
角の民が二人いた。
先ほどまではいなかった年嵩の男が、今まで戦っていた角の民を庇うように前に出ている。
「腕の立つ相手が居ただけだ。目的は既に達している。引くぞガーベイン」
ガーベインと呼ばれた角の民が肩をすくめるが、大人しく従うようだ。
ただでさえ厄介な角の民が二人。一対一なら状況としては五分だが状況が変わってしまった。現状ではいくらマリアさんとはいえ苦戦は免れない。
「ここいらが潮時かしらね。一発はぶん殴れたことだし」
マリアさんが構えを解いた。これ以上戦闘を続けるつもりはないのだろう。英雄級としての働きは十分にしたと言っていい。
角の民を追い詰め、敗走させた。状況だけを見ればそう言えるのだ。このまま相手が退却するのならば、攻めてきた相手を追い返したという実績になる。
「ではこれで失礼させてもらう」
立ち上がり、服の埃を払いながらユーリと呼ばれた角の民が言う。
「そこの姉さん! 次があったら俺の相手をしてくれよな!」
「ねえアトラちゃん、あの変なの次は私に殺されるって言ってるわ」
挑発のためなのだろうが、私の名前を出すのは勘弁してほしい。私たちの距離が少し離れているから、声を届かせる為に大きな声で言うのも駄目だ。やめてくれマリアさん。
幸いにもマリアさんの口撃に言い返すこともなく、角の民が踵を返した。
去っていく。
その場にいる誰も彼もが角の民のいた場所を呆然と眺めていた。
不思議な静けさだった。あれだけ街中に響いていた闘いの音が止んでいる。
皆が動きを止め、呼吸すら忘れたような状況を打ち破ったのは、やはりマリアさんだった。
服についた埃を払い、笑顔を浮かべ、小走りしながらやってくる。
勢いのまま体当たりのようにマリアさんの体がぶつかった。
「あぁ、よかった。本当に無事でよかった、アトラちゃん」
痛いくらいの力で抱きしめられて、頭を撫でられた。
戦っていたからだろう。マリアさんは少し埃っぽい。けれど、そんなことが気にならないくらいにマリアさんは温かくて、なんだかいい匂いがして。
確かに握りしめていたはずの意識の手綱がするりと滑り落ちる。
なんの抵抗もなく瞼が落ちて、同時に私は意識を失った。
「私からの報告は以上です」
目覚めた時、そこにマリアさんは居なかった。
すっかり見慣れてしまった宿屋の一室で目覚めた私は、見計らったかのようなタイミングで現れた商会の人に連れられて、カイさんの執務室へとやってきた。
私が到着した時には既にヴァイスさんとカイさんが部屋の中で待っていて、カイさんから昨日何があったのか報告を求められた。
なるべく覚えている限りを詳細に、しかし冗長にならずに語ったつもりだが、こういう報告は正直不得手だ。
それに、報告中に改めて思ったが今回私がやったことは独断専行に過ぎる。今の私は商会所属。それが指示を仰がず好き勝手やっていたのだから、解雇されたって文句は言えない。なお解雇と私の命の終わりはこの場合ほぼ同じ意味である。
「報告御苦労。色々と言いたいことはあるが、取り敢えず嬢ちゃんが無事でよかった、というのはまず伝えておくべきだろうな」
カイさんの台詞が予想とはあまりにも違うものだったので、思わず目を見開いてしまった。
「意外か?」
珍しく解散の口元が笑みの形に歪んでいる。この人が苦笑だとしても笑っている姿というのは、もしかすると初めてみるかもしれない。
「てっきり、厳しく叱責されるものだとばかり」
まあそうだろうな、と背もたれに体を預けながらカイさんが言う。
「お前が商会所属だというのを触れ回っていたわけでもないしな。事前に緊急時の行動を指示していなかった俺に落ち度が無いとは言えない。結果的に商会……いや、俺の利益になる行動だったことも大きい」
確かに、今まで受けた指示というのは秘密を絶対に漏らさない事くらいだ。後はその場その場で指示された内容を実行していただけで、今回のような指示を受けられない場合の行動についてはまったく話をしていなかった。
「それに嬢ちゃんは既に反省しているだろう。仇の件を知っていて引き込んでいるんだ、多少暴走する程度はこちらが想定しておくべきだった、今後は指示を仰いで行動しろ。立場を忘れるな」
最後こそ語気が強かったが、あまり責められている感じはしない。思っていたよりも過酷な職場ではないようだ。
最初に殺されそうになったので印象が悪かっただけで、もしかしたらカイさんはそこまで冷血冷酷じゃない可能性が出てきてしまった。俺にも落ち度はあるから今回はあまり強く言わないよ、なんてどう考えたって甘過ぎる采配だ。
「嬢ちゃんには後で改めて緊急時の行動指示を出すとして、だ。問題はお前だよヴァイス」
カイさんの眼鏡の下の瞳がすっと細められる。
射抜くような視線を受けて、それまで黙っていたヴァイスさんが溜息を吐いた。
「すまなかった」
意外なことに、ヴァイスさんは真っ先に謝罪した。何が問題だったのか、カイさんが言わんとしていることを理解しているのだろう。
「以前のお前なら角の民の一人くらいは確実に始末出来ただろうに。それが今回は延々と打ち合った挙句に逃げられたとはどういう事だ」
「……え?」
「嬢ちゃんの報告にあった、後から来た方の角の民とこいつは交戦してたんだ。確かに殺せとは言わなかったが、取れる首を取らないでどうする」
「手加減をしたつもりは無かったんだが……」
「当然だ阿呆。言いたくはないがな、ヴァイス。お前昔よりも弱くなってないか?」
カイさんの遠慮のない物言いにヴァイスさんは言い返さない。
それはつまり、指摘が正鵠を射ているという事になる。
「勇者という看板を背負うに値するお前の強さに対して金が発生しているんだ。お前が強いから誰も彼もが金を払う。自分の価値を自ら下げるな」
普段は泰然としているようにも見えるヴァイスさんが、今回はかなり反省しているようだ。
「まあ今回の件については以上で終わりだ。次の街への移動は延期するから、昨日まで使っていた宿を引き続き使うように」
なんとも言えない空気のまま、カイさんからのお説教が終了した。
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