ep.19
「2番!」
合図の後に魔術による炎が角の民に向かって疾る。
前衛組は私の声が聞こえた瞬間に巻き込まれぬよう敵から距離をとっている。即席とはいえ、それなりの連携と言っていいだろう。
何度か分からない魔術攻撃の直撃。普通ならとっくに死んでいなければおかしいだけの攻撃を受けて無傷。角の民というべきか、英雄級と言うべきか。とにかく、規格外のやつらを相手にするのは本当に馬鹿馬鹿しいというのが実体験出来た。
「移動します。退避したグループを回復してから次の指示を出します」
「了解だ、アトラさん」
同じ回復術士の、線の細い男性が応じる。同じように数人が頷いて、私達は移動を開始した。どう見ても年上の男性に敬称付きで呼ばれるのは慣れない。しかし文句を言っている場合でもなく、しょうがないから言わせるがままになっている。
今現場では先程まで斬り合っていたグループとは別の者達が入れ替わり、角の民と交戦している。その間に私を含む回復術式の使い手が負傷者を癒し、再び戦闘可能な状態まで持っていく。
要はローテーションだ。
今この場にいる冒険者達の中に英雄級の戦力はいない。一人一人は瞬殺される程度の力しか持っていないが、数人掛かりで一斉に挑めばしばらくの間は戦闘になる。酷く単純で何のひねりも独創性もない地味な手。
この方法だって万能ではない。さっきから危ない場面は何度も起こっているし、その度にジリジリと戦力になる頭数が減っていく。
それでもなお持ちこたえているのは、命知らずの馬鹿が少しずつ補充されるからだ。実力も技能のバラバラの寄せ集め集団。欠けた役割をそのまま補填というわけにはいかず、何処かに必ず歪みはある。けれどそれが致命の出血に至っていないのは、まあ私の尽力のお陰だと少しは自惚れてもいいだろう。
一番代えが効かないのは、実のところ真正面から切った張ったをしている面々だ。ある程度の実力が無いと瞬殺されるから、後から来た前衛系の冒険者の中には実力不足で伝令に走ってもらった者も存在する。彼らが最も死に近い場所に立っているから精神的な損耗も激しいのに、彼らを頻繁に入れ替えて酷使しないと後衛が壊滅する。なんて理不尽。
この場で最も理不尽なのは、なんと言っても角の民だ。
いや、この場合は英雄級と範囲を広げてもいいかもしれない。
冒険者をやっていた時にも思ったが、肌身で知った分今の方がより実感が強くなっている。奴らは理不尽の塊だ。
見た目はさして変わらないのに、なぜこんなに一個人としての戦闘能力が違うのだろう。何故あれだけの攻撃を受けて今尚無傷で立ち、疲労などという言葉は存在しないかのように動き続けていられるのだ。
理不尽だ。理不尽だ。理不尽だ。何度でも言おう、理不尽だ。
知ってはいたけどここまでだとは思わなかった。
「4番と5番!」
派手な攻撃魔法が放たれている間に何度目になるか分からない回復術式を使う。神の御力の大安売り。それ自体は問題ないのだが、この場合は私の残存魔力が問題だ。
私が使える魔力の量は恵まれている方だ。だが、あの理不尽極まる存在達のように底無しではない。回復術式というのは術者の魔力で対象の傷を治しているのではなく、魔力を使って神に願いを繋げる術式だ。願いが届いた結果として、神の力が地上に顕れ対象が癒されるのだ。だから神へ願いを効率良く届けられる術者ならば、小さな魔力で重傷者も癒せるという。そんな便利がやつがいたら今すぐ連れてこい。私の代わりに目の前の重傷者を癒して戦える状態にまで持って行ってくれ。
体から魔力とそれ以外のものが抜けていく。意思の力とでも言うのだろうか、何か形のないものが抜けていく気持ち悪さの後には、頭の奥に重い疲労感が居座り続ける。
神さま。理屈とかどうでもいいのでとにかく目の前の重傷者を治せ。
謎の発光現象。理屈は知らないが、とにかくこの光が発すれば成功だ。肩から腹まで走っていた赤黒い傷は見事に塞がった。しかし彼の体力と血は失われ、砕け散った鎧は戻らない。彼はもう戦えない。
「補給人員は」
「無しだお嬢。おかわりが止まったな」
何故この大楯を持った男性は私の付き人のような事をやっているのか。分かっている。今この場では、私が倒れた時点で角の民に対する組織だった攻勢は終わる。だってしょうがない。私しかこの場で指揮を執れる人間が居なかったのだ。演説の際、私が勇者の従者として近くに居た事を知っている者が居た。私もその事を否定せず、むしろいいように利用した。だからこそ私のような小娘の指示に皆が従う体制が即席とはいえ出来上がったのだ。竜の威を借るなんとやらだ。もちろん一悶着あったが、今はそれはいい。
「いよいよ進退窮まってきたな。どうすんだ」
どこか気楽な調子で大楯の男が言う。明るく言うのは私の気を楽にする為。気遣いだと分かっていても苛立ちが募る。そんな気休めよりも今は馬鹿げていてもいいから案を出せ意見を言えお前があいつを張り倒せ。
「一部の人員を入れ替えます。補助に回した前衛系の方にも戦って貰いますが、切り替えまでの戦闘時間を短くします。後衛組の負担が増えますから、術師組は一旦次のローテーションでは休んでください。その代わりに弓で攻撃。石だろうがレンガだろうが何でもいいので投げて手数を増やしましょう」
私の指示を聞いて、足の速い者が連絡に走る。
角の民が通った道筋はわかりやすい。私達の足止めの所為もあるが、顔kうが壊され瓦礫の山が増えていく。誰かが住んでいた場所が次々と失われている。それをしているのは角の民だが、助長させているのは私達だ。メンツだなんだと言わず、ここで攻撃を止めればおそらくやつはこの街から去っていく。いや、今となってはどうだろう。散々嫌がらせをしたのだ。怒って破壊の限りを尽くすかもしれない。
「次の場所へ移動します。まだ術式は使えますか?」
私以外の回復術式の使い手達に確認する。私を含めてたった三人の回復術師。そう年齢の違わない男の子と、顎髭の男性。顎髭の顔色が白い。限界だろう。休むように指示して次の負傷者がいる場所へと走り出す。
「お嬢!」
いや、走り出そうとした。その瞬間、大楯の男に腕を掴まれ引っ張られた。文句を言おうと思う前に音が一瞬消え、遅れて大音量が私の体を通り抜けていく。
「防いだな? まだ残ってるじゃないか、手応えのあるヤツが」
初めて聴く声だった。今日はそんなのばっかりだ。初めて見た顔。初めて見た場所。初めて執った指揮。名も顔も知らなかった誰かに言葉一つで私は死ぬかもしれない場所へと行かせた。それがこんなに怖いんだって初めて知った。その結果として幾人かが犠牲になった。
「俺はソレが本職でね。他のとはちっとばかし歯応えが違うぜ」
「悪いが楽しんでいる場合でもない。そこの少女が司令塔だろう? よく耐えたがこれで終いだ」
背中が見える。大楯の裏側が見える。その向こうから声がする。
衝撃。訳も分からず吹っ飛ばされる。
顔を上げる。前を見る。大楯の男が立っている。その向こうに敵が居た。
角の民。
それなりにあったはずの距離を、障害物として民家もあったのに、一気に詰めて襲撃してきた。それも一番の急所である私を狙って。
浅黒い肌。彫りの深い顔。涼しげな瞳。嫌味なくらい絵になる男だ。あれだけ必死に戦っていたのに汗一つかいていない。右側頭部から生えている角をへし折って粉々にしてやりたい。
「少しは保たせるが長くはない。逃げろ嬢ちゃん」
大楯の男が鞘から剣を抜く。
「これで終いだと言った」
鈍い金属音の連打。大きな、私一人くらいは余裕で覆い隠せるような楯が、滅多打ちにされて歪に形を変えていく。
あぁ、あんなのと正面切って戦っていたのか。今更、私が何を指示していたのかを理解した。
大楯が破壊される。目にも留まらぬ速度で刃が振るわれ男が倒れる。
そうして、角の民が私の前に立つ。
「あの状況でしっかり防護術式をあの男に貼る、か。歳は若いが腕は確かだ。なるほど、予想外に手古摺ったのも納得だ」
杖を握る。胸を張る。倒れそうでも踏ん張って立つ。例え荷が勝ちすぎていたとしても、私はこの一団の頭だ。無様な姿は見せられない。
かつての仲間がそうだった。ならば、私もそうせねばならない。
私に直接戦う力はない。一緒に居た回復術師二人とは、先程吹っ飛ばされた際に離れてしまった。周囲に冒険者は居ない。前衛組は間に合わない。遠距離攻撃も私が離脱できない以上期待できない。
つまり、ここで終わりだ。
ちくしょう、こんなところで終わりたくない。死にたくない。私はまだ復讐を遂げていない。諦めたくなんてない。
目は閉じない。せめてもの矜持として、最後まで目を見開いて打開の機会を伺ってやる。伺うだけで終わるのだろうけど。
睨みつける私の視線など無いかのように、片角の男が剣を持って無造作に近付いてくる。何か。何か手は無いのか。何も考え付かず動けない。
白刃が横薙ぎに迫る。きっとすぱっと首が切られて頭と胴がお別れするのだろう。
風が吹く。
刃が弾き飛ばされる。角の民が距離を取る。
銀色の長髪が風に舞う。
陽光を受けきらきらと、後光のように眩く煌めいて、本当に銀で出来ているかのような輝きだった。
「よく頑張ったね。おまたせ、アトラちゃん」
明るく陽気な声。ここ数日でよく聞いた、でも聞いたことのない声音。穏やかで、でも力強くて、聴くだけで心から安心してしまうような声。
宝石みたいに透き通った翠の瞳。白磁の様に白く透明な肌。
本当に女神みたいな美しさで、でもそんな事を全て吹き飛ばすほどの暖かく朗らかな笑顔で笑う女性。
傭兵国家アマルティアの英雄。
私の数少ない友人。
「……マリアさん!」
その二つ名を体現するかのように、閃光のマリアが現れた。
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