ep.17
角の民の姿を視認した瞬間、私の胸を満たしたのは安堵だった。
あぁ、良かった。私はまだこの憎悪を手放さなくて済む。
あれはみんなを殺した仇じゃない。私の復讐はまだ終わらない。
ぐちゃぐちゃでこれっぽっちも整理されていない私の心の中心に、どっかりと居座る湿りと粘りを帯びた赤黒い炎。それが私の復讐心。
たとえ禍々しい忌むべきものだとしても、私の胸の空白を埋めているのはこれなのだ。
失ったものの代わりに煌々と燃える炎は確かな熱を帯びている。その熱が私をかろうじて生かしている。
仇は殺したい。それは本心で、本当に今すぐにだって殺したいのだ。けれど、まだ少しこの復讐心を慈しんでいたい。
随分と我儘だが、どうもそれが私の本心らしい。
なにもこんな状況で気付かなくとも良いのに。本当に人生というやつはままならないらしい。薄々自覚はしていたが、どうも本格的に私の心は壊れているようだ。
「あぁ、どうしよう」
他人事のように言葉が漏れる。
だって脊髄反射で走り出してしまったから、私は何も考えずにこんな鉄火場まで来てしまった。
まるで子供だ。なんだかおかしくなって、自然と顔が笑みの形を作る。
「もしかしたら、知ってるかもしれませんよね」
下手くそな、今思いついたばかりの言い訳だ。
「だって、同じ角の民じゃないですか。大陸中央部に居る角の民なんて、そんな大した数じゃない筈なんです」
角の民は、賽の民にとっては種族単位で仇敵だ。だが、実のところ賽の民が確認した角の民の数は少ない。
彼らは基本的に前線には出てこないし、出てきたとしても一人二人と少数だ。大陸中央部にいる同族は数少ないとなれば、面識があったとしてもおかしくない。
我ながらよく考えついたものである。これは情報収集だ。ただ、ちょっとばかり成功の確率が悪く、どう振ったとしても賽の出目は明らかに悪いのだけれど。
「どうしよう。どうすればいい」
用意など微塵もしていない。角の民。こちらでいう英雄級に匹敵する戦力。どう考えたって正面から問いかけるのは下策だ。
そもそもどうしてこんな場所に角の民がいるのだろう。先程から聞こえている轟音の原因はこいつなのだろうか。では街の中心部から未だに聞こえているの音は何だろう。わからない事が多い。情報が足りない。それでも私は動かねばならない。
「貴女、この前勇者殿と一緒に居た方じゃないですか!?」
突然肩を揺さぶられる。驚いた。心臓に悪い。
何事かと目の焦点を現実に合わせると、なにやら顔面蒼白満身創痍の軍人がそこにいた。せっかくの制服が煤けて破れてひどいことになっている。
「式典の際に一緒に居た人ですよね!? 貴女がいるという事は勇者殿もまだこの街にいるのですか!」
目が血走っている。自分が言いたい事を一方的にまくし立てるだけで、会話になっていない。軍人は私の肩を掴んで離さない。
厄介だ。非常に厄介だ。
少し離れているとはいえ、角の民は目と鼻の先と言っていい。そんな場所で呑気に会話などしている場合ではない。
杖で殴り飛ばせないか考えてみたが無理だろう。足を踏ん張り、力を入れて肩を掴まれたままなんとか路地へと移動する。
この軍人、とにかく五月蝿い。先程から勢い余ってツバが飛んで来ていて殺意すら湧いてくる。
「確かに私はあの場に居た者ですが、勇者はもうこの街にはいません!」
互いの体の間に杖を差し込み、無理矢理距離を取っていたが、私の言葉を聞いて男の手から唐突に力が抜ける。
勇者は既に次の街へ出発したことになっている。口裏を合わせるようカイさんに言われていたが、まさかこんな場面で言う事になるとは思わなかった。
「そんな……じゃあ一体どうしろって言うんだ……あんなの、英雄級じゃなきゃ止められないんだぞ……」
放心し、軍人らしき男はその場に力無く座り込む。
「何があったか知っているんですか?」
男は答えない。ただうわ言のようにぶつぶつと何かを言い続けているだけで、呼びかけに応じない。
ダメだ。今の私は気が立っている。杖を振って男の顔を殴り付ける。
「答えて。一体何があったの」
男は殴られた側の頬を手で抑え、何か信じられないものを見るような目をしている。ここまで放心出来たなら私も楽だっただろうに。
「……軍の駐留地が襲われたんだ。下手人はあの角の民。我らが将軍は戦死なされた……あいつ、この街の戦力が出払ってる事を知ってたんだ。学府の閃光は前線に行っている。勇者殿も既に去られた後。狙ってやがったんだ……」
言い終えると今度は頭を抱えて震え出した。身体つきから見て、おそらくは文官なのだろう。戦場慣れしていないのならば、こうなってもしょうがないのかもしれない。
「これ以上は無駄みたいですね。ここも危ないですから足が動くのならば逃げなさい」
情けとしてはこれで十分だろう。顔を殴った事については申し訳なく思うが、そちらも突然肩を掴んできたのだからお互い様だ。
とりあえず、少し情報を得る事が出来た。街の中央部の騒音とは別に、駐留地への襲撃があった。その下手人はあの角の民で、おそらくは生き残りがまだ戦っている。
多分、ここから逃げ出すのが正解だ。
なぜ私がカイさんの下で働いているのか。脅されているのもそうだが、最も大きな理由はヴァイスさんという戦力をあてにできるからだ。
彼がいれば角の民など恐るるに足らない。だが、今はその戦力がいない。
口惜しいが、私は英雄級の働きなど出来やしない。
しかし、せっかくの機会なのだ。千載一遇と言ってもいい。無駄にはしたくない。何か手はないものか。
答えはなかなか出てこない。
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