ep.16

 騒音が鳴り止まない。

 街を取り囲む外壁の中で音が反響して、街中の空気が好き勝手に振動して耳が痛くなる程だった。

 どこから音がしているのかが分かりづらい。

 住人が不安げに往来に出ているが、状況がつかめていないのだろう。ただ不安げに周囲の人々と言葉を交わすだけのようだった。

「状況は分かっていないんですか?」

 声の通りづらさは、どこかの戦場を彷彿とさせる。不穏な空気も相まって、本当に鉄火場の只中にいるかのような錯覚さえ覚える。

 いや、もしかしたら。脳裏をよぎった考えは、口に出せば現実になりそうだという予感があった。

「中央区でなにかが起こっているのは間違いありません。先程から響いている音も、間違いなくそこからです」

 返答するのは、カイさん直属である諜報部隊の一人だ。

 そこで男は一度言葉を区切り、外壁の方へと視線を移した。

「先程一度だけ別の場所から音がしました。正直手が足りておらず全容はまだ把握出来ていません。……次の目的地までの安全確認に人数を割いたのが裏目に出ましたね」

 初めて見た顔。こちらは知らなくても、向こうは監視の為に知っている一方的だったはずの関係が、非常事態で崩れた。

 さすがに商会の中で待っているわけにもいかずこうして表に出ているのだが、それもどれだけの意味があるのだろう。

 ただ室内でじっと待っていられなくて、立って外に居れば何かをしているような気になれるから。

 きっと、理由としてはその程度。

 つまり私は我慢弱いのだ。心が弱いと言ってもいい。いずれ克服しなければと思いながらも、楽な方へ簡単な方へと逃げてしまう悪癖は、いくつになっても直りやしない。

 ざらざらとした舌触りの自己嫌悪だとしても、同じように道に出て何事かと訝しんでいる大勢の人々を見ていると、ああこんなにも同類がいるのだ、つまり自分一人の弱さではないのだと変な安心感を得てしまうから厄介だ。

 兎に角状況がわからない

 だが、それもそう長くは続かなかった。

 遠くから聞こえてくる、怒号と地響き。どう見ても、避難しているといった風体の人々。目前に迫る脅威から、脇目も振らず逃げてきたというのがよくわかる。そのあまりの形相と勢いに、周囲にいた人たちも息を呑む。

「角の民だ! やつらが攻めてきやがった!」

 息も絶え絶えに、しかし確かな善意で逃げてきた人の中から誰かが叫ぶ。

 一瞬、頭の中が空白で染まった。

 間をおいて言葉の意味を理解して、首筋が急に熱を帯びた。

 角の民。その単語を聞いただけで、こんなにも自分を見失うなんて。

 思うよりも早く、足が動き出していた。前へ。人波に逆らって、騒動の中心へ。

 背後で私を制止する声が聞こえるが知った事ではない。

 心配性で慎重で、だからこそ皆を統率できたリーダーが居た。大雑把でガサツで、だけど他の誰よりも前へ出て傷を負う事を厭わない戦士がいた。

 ――芳ばしい肉の焼ける匂い。家だった木材が焼けて爆ぜる音。

 全部過ぎ去った事だ。全部終わった事だ。

 あまりソリは合わなかったけれど、同性という事で何かと一緒の時間を共にした無口な斥候役がいた。同郷の、昔から馴染みだった、きっと淡い想いを

抱いていた兄貴分たる魔術師がいた。

 ――全てを突き抜けて鼻に刺さる血の臭い。炭になっていく仲間の体。

 全部、全部過去形だ。

 今はもう失われたものだ。二度と戻ってこないものだ。既に記憶の中にしか残っておらず、それすらも徐々に風化していくだけのものだ。

 そんな事は望んでいなかった。こんな日が来るなんて、想像もしていなかった。

 たった数ヶ月前の事。もう数ヶ月も経った事。

 角の民。私の仲間を殺した仇。

 わからない。この人波の先に本当に角の民が居たとして、仲間を殺した張本人が都合よくそこにいるとは限らない。角の民というのはただの種族名で、個人を識別するようなものではない。

 私の知る仇の手がかりはそう多くない。

 だから、もし少しでも可能性があるというのなら。私は立ち止まってなんか居られない。

 人波が途絶える。もう誰も彼もが避難を終えて、活気があるはずの街並みに今は私以外に人影がない。

「きっと、この近くのはず……」

 荒れた息を整えて、杖をぎゅっと握りしめ。周囲を伺いながら足を踏み出す。

 商会の前で立ち尽くしていた時から、不安を紛らわせようと杖を持っていて良かった。街中で武器の携帯は褒められたものではないが、今は非常事態だ。

 それなりに長い期間を共に過ごしてきた杖だ。

 握りしめた手から伝わる固い感触が今は頼もしい。

 音がする。少し遠くから、誰かの声と何かが壊れる音。

 聴き慣れてしまった闘いの音だ。

 歩みの先を変える。歩調を早め、駆け足で。

 悲鳴が聞こえる。非力な普通の人間のものではない。低く重く、そして苦痛に慣れた人間があげた声。戦う者の声だ。

 路地を曲がる。視界に捉える。

 少し離れた場所で、誰かが誰かと戦っている。いや、一方的に襲いかかって返り討ちにあっている。

 道路上に堂々と立っている一人に対し、複数人が周囲を取り囲んでいるが、劣勢なのは人数が多い方だ。

 あぁ、よく見える。

 何憚る事なく超然とそこに立つ男の額に、角がある。

 見たこともない顔の、角の民がそこに居た。

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