ep.14

 領主の館というだけあって、それなりに広い敷地を有しているらしい。

 無駄に広くて長い廊下を進んでいるが、はて領主とやらはどんな顔だったかと記憶を探る。

 正直、印象が薄いのだ。この街は駐留軍の方が権力が強い。領主は基本的にお飾りだ。それでも挨拶に行くのは、勇者という格別の札を持っているが故だ。俺達が掲げている勇者という看板は様々な意味で重い。ここで領主に面会せず蔑ろにしたとあっては、この街での駐留軍の立場がさらに強固なものになってしまう。それはおそらく、あの将軍も望んではいないだろう。

 体裁やら体面というのは実のところそれなりに重要だ。

 要するに、そういう手続きを踏むことで同じ人種であると周囲に示しているのだ。場に合わせた言動をするというのは、そのコミュニティを尊重しているというアピールである。それをしないということは喧嘩を売っているのも同然で、そんな奴を相手にするほどの暇人は滅多にいない。

 だから面倒だが、そういう手続きを無視はできない。

 今すぐにでも次の目的地へと移動したいのだが、それを我慢してわざわざ顔も覚えていない領主へ会いに来ているのだ。

 前を歩く案内役の執事らしき人物は黙ったままで面白味がない。年齢は自分よりも上だろう。可もなく不可もない顔だが、まあそれなりに有能そうだった。

 今日は天気が良い。ここの所商会に篭りきりだったから、馬車の中とはいえ気分転換にはなるだろう。

 少しだけ立ち止まって今後の予定に思いを馳せていたが、それがどうやら生死の明暗を分けたようだった。

 突如として轟音と振動が体を叩く。

「なんだぁ!?」

 振動のあまり立っていられずその場に座り込む、盛大に埃が舞い上がり、頭の上にパラパラと何かが落ちて来ていた。室内だというのに急に風を感じる。これはつまり、

「カイ様!」

 叫び声と硬質な金属音が同時に響く。

 白刃が頭のすぐそこに迫っていた。それがすんでの所で受け止められて、今も押し込んで頭をかち割ろうと耳障りな音を鳴らしている。

「貴様が、カイ・オールダムか」

 埃が室内に舞い込む風で晴れていく。

 なるほど。何者かが屋根をぶち壊して降って来たようだ。前を歩いていた執事は即死だろう。

「この場は私が。少し離れた場所で待っていてください」

 護衛としてこの女を残しておいてよかった。普段のように目的地の斥候を任せていたら、命は無かっただろう。護衛の中ではこいつが一番強い。

 座り込んだままでは格好がつかない。

 後ろへ下がりながら立ち上がり、襲撃者と視線を合わせた。

「ほう、俺に何か用かな? 角の民さんよ」

 額から天を衝くように伸びた角が、襲撃者の出自を端的に表していた。

 角の民。血で血を洗う闘争の相手であり、我らが賽の民の宿敵だ。

「貴殿に少々尋ねたいことがあってな。そう手間は取らせぬから、大人しく同行してもらいたいのだがね」

 言葉を発しながらの片手間で護衛の女が弾き飛ばされる。

 なるほど、こいつではこの場を切り抜けられない。

「生憎と用事があるんでね。アンタの誘いに乗れない程度には忙しいんだ」

「心配要らぬ。この後の予定はすべて変更となるだろう。存分に付き合ってもらう」

「おいおい、用事があるってわりにはさっき俺を殺しそうになってた気がするんだがな」

 護衛が何度も斬りかかるが、全く相手になっていない。

 腕の一振りで冗談のように人間が吹っ飛んでいる。なるほど、これが英雄級と相対した一般兵の気持ちなのかもしれない。貴重だが二度とはしたくない体験だ。

「あれで死ぬならそれでも良かったのだがな。せっかく息があるのだから、有効に使おうと思ったまでよ」

 角の民の男が笑う。自分の知る限り、こういう笑い方と顔のやつは厄介だ。確かな実力に裏付けされた自信が顔に出ている。つまり、口先だけでどうにかしてきたような類ではない。

 背は向けず、視線を合わせたまま少しずつ後退する。

 その間に何度も白刃が煌めくが、何度やっても護衛の女では敵に傷を負わせられない。当たり前だ。あれは英雄級でなければまともに戦う事も出来ないような相手だ。

「しょうがねぇ、要件くらいは聞いてやろう。内容次第では検討してやらんでもないぞ」

「旗色が悪いとみて交渉かな? 商人というのは強かだな。まあいい、貴殿に聞きたいのは竜の血についてよ」

 距離がだんだんと詰まって行く。

 護衛も頑張ってはいるが、時間稼ぎが精一杯のようだ。このままではいずれ、この角の民に捕まってしまう。

「俺が知るかよ。ただここまで運んで来ただけだぜ?」

「貴殿は今代の勇者を保有しているのだろう? その勇者が打倒した竜の素材について、知らぬ存ぜぬが通じるわけがなかろう」

 よりにもよって敵に情報が筒抜けというのはどういう事だ。

 賽の民同士の内ゲバならまだ良い。派閥毎で思想が異なりそれぞれが利益追求をするなど当然のことだからだ。しかし戦争真っ最中の敵にこちらの情報が漏れているというのは致命的だ。

「随分とお詳しいようで」

 いよいよ進退極まって来た。

 護衛が眼前で刃を構えている。そんなに長い時間戦っているわけではないのに、既に肩で息をしていた。俺は戦闘についてはど素人だが、天と地ほどの力量差を前によく保った方だというのは理解できる。この場を切り抜けたら特別給金を出してやろう。

「さて、前置きはこの程度で良いかな? そろそろ御足労願おう」

「お断りだね」

「では、足の一本は覚悟してもらおうか」

 角の民が初めて構えをとった。なるほど、これまでは本当に片手間だったらしい。

 そして一歩が踏み出された瞬間、再び天井が破壊されて降って来た。

「遅いぞ馬鹿野郎」

 この状況でこの場に現れる者など、一人しか居まい。

 俺の切り札。俺の最強の一手。

 勇者という看板を背負わせても問題ない実力を備えた、我が相棒。

「ここは俺に任せて先に行け」

「当たり前だ。後は頼んだぞ」

 護衛の女と共に全力で撤退する。

 運動不足の体に鞭打つことになるが、一刻も早くこの場を離れなければ戦いの余波で死んでしまう。

 全く良い買い物だった。アイツと出会えたことが、もしかしたら自分の人生において最大の幸福だったかもしれない。

 既に鳴り始めた破壊音に背を押され、喘ぐように呼吸しながら駆け抜けた。

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