作家の決断

 先輩はいつものようにゲームをしていたそうだ。

 ゲームに集中していたというほどではないが、先輩には部室に来る人を察知してやって来る前にいなくなる習性みたいなものがある。ただし、僕のときは例外なのかいなくならないでいる。ここが不思議なポイントだ。

 それは置いておいて。

 先輩の嗅覚がにぶっていたという話。

 他の人の侵入を許してしまった。

 ただし、文芸部員ではなかった。

 演劇部だった。

 背の小さいがグラマラスな女の子だった。

「お楽しみのところ失礼します。黒崎美優さんですか?」

「はい」

「あの、折り入ってお願いがあるのですが」

「なに?」

 この時、先輩はこの先のことを予想していなかった。ゲームに夢中だった。と本人は言っていた。

「あの、演劇部に黒崎さんのオリジナルの戯曲を書き下ろしていただけないでしょうか?」

「えっ?」

 ここで本人は混乱してゲームのキャラクターが死んだと言ったが果たして本当だろうか。

「なんで、私なの?」

「それは先輩が大作家先生だからです。それ以上でも、それ以下でもありません」

「わかってる? 私に書いてもらうってことはお金が発生するかもしれないんだよ?」

「お金ならある程度は覚悟しています。大丈夫です」

「そう、それならいいけどさ」

「じゃあ、申し訳ないけど、一日時間ちょうだい。それから決めるから」

「はい、期待しています」

「また、明日、同じ時間にここに来てね」

「はい」

 そんな感じで今に至る。ここまで聞いた話では別に大したことはないと思った。

「それで、悩んでいるのはやるかどうかなんですね?」と僕は先輩に尋ねた。

「いや、それもそうなんだけど、それよりも大問題があるんだよね」

「大問題?」

「そう、大問題」

「なんですか?」

「笑わないで聞いてくれないかな?」

「はい」

「小説の書き方がわからなくなってしまったんだ」

「えっ?」

「そうだよね、びっくりするよね、キョトンとするよね」

「じゃあ、今小説書いてないんですか?」

「そうね。今は小説の依頼は断ってる」

「じゃあ、戯曲も断るんでしょ?」

「いや、やってみたい。小説が書けないからこそやってみようと思ってる。だから、君が来るのを待ってた」

 なんだそりゃ。ついには僕が来るのを察知する能力まで手に入れたのか。小説家にしておくにはもったいないのではないだろうか。

「僕は先輩のマネージャーとかそういうのでもないんで、好きにやっていいと思いますよ。それにできない時には別のことをやるのも手かもしれないですからね」

「そう、わかった、ありがとう」

 先輩は荷物をまとめて部室を後にする準備をした。

「あと七分くらいでだれか来るから、私は帰るね。なんかあったら連絡するね」

「はい。わかりました」

「じゃあね」

「おつかれさまです」

 先輩の足取りは軽かった。小説が書けないことを悩んでいるというよりも、戯曲が書ける喜びが大きいんじゃないかな。

 それはそれとして、本棚からなにか借りていって僕も退散しようかな。ツルゲーネフ『父と子』とプーシキン『スペードの女王・ペールキン物語』を借りた。それらの本をしまった時に先輩たちがやってきた。

「おつかれさまでしたー」

 あまり心のこもってない言葉で挨拶して部室を後にする。結局、僕は人付き合いが苦手なのだと思った。

 でも、大切な人たちが自分の手の届く範囲にいてくれるから困らない。

 僕はそれでいいと思っている。

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