ファインダー越しの化け物 後編



 冬になった。冬桜は、ほかの木と同じように寂しく枯れたままだ。……いや、ほかの木のほうが、冬桜の真似をして、次々と葉を落として寂しい姿になったのだ。

 いつになったら咲くのかと––––––––––咲かないのではないかと––––––––––すこしの不安を覚える僕をよそに、彼女はいつもと変わらず、気ままにシャッターを切っていた。


「咲かない年もあるんだろう、冬桜は」

「そうらしいねえ」

「……らしいねえ、って」

「いやあだって、わたしも詳しいわけじゃないから。冬に桜を咲かせる、一日だけ美しく咲く、これ以上の情報を持っているわけないでしょ」

「そうだね」






 予報士というものが居るらしいと知ったのは、いよいよ真冬の様相を呈し始めた年明けのことだった。会いに行こうか、すぐに話はまとまって、僕と彼女は学舎の隅にひっそりと存在していた、予報室の扉を叩いた。

 入れ、無愛想な声が聞こえてきたので、彼女は嬉しそうに扉を開けた。


「……静かに開けられないのか」


 不機嫌な髭面が、僕らを迎えた。髭面と言っても、まだ若く、どうやら彼も学生らしいということがわかった。


「すみません、つい」


 さすがに彼女も敬語を使う。僕は隣で小さく頭を下げた。


「お訊ねしたいことがあって来たんです。いいですか?」

「冬桜のことだろ。ほかになにもないじゃないか、まわりくどい」


 煙草の煙をふうっと吐きながら、彼は部屋の奥の椅子に深く腰掛けた。そこ座れよ、彼が煙草で落ち着いた赤のソファを指したので、大人しく従う。テーブル越しに向かい合うと圧が強くて、なんだか肩身が狭かった。


「俺は、三代目予報士の戸倉だ。お前ら、写真部か?」

「あ、いえ……」「はい、そうです」


 僕はみっつの季節を過ごしてきても、写真部に入ろうとは一瞬でさえ考えなかった。撮られることで自分が写真として残ってしまうことは気にならなくなったが、自分が手にしたカメラで、自分の目にみえている景色を切り取ることは、人物をファインダー越しにみつめることは、とても恐ろしいことのように思えたからだ。


「あ、おい……」

「なんだ? ……まあ、いい。冬桜を撮るのか?」

「はい」

「それなら、その写真を此処に持ってくると約束しろ。これが条件だ」

「……そんなことで、いいんですか?」

「ああ、守れよ。絶対だ」


 絶対、そう言う彼の瞳が恐ろしくて、直視できなかった。彼女は気にならなかったのか、約束は破りませんよと笑った。


「……お前、たまに死んだような眼をするな」


 開花時期は二月初旬だ、逃すなよ、彼はそう言った後、僕をじっとみつめながら言った。


「……は?」

「いや、いい。悪い、なかったことにしてくれ」


 なかったことになんてならない、そう言いたげな表情で、それでも彼は念押しした。僕は黙ってうなずいた。







 雪がよく降る二月だ。

 五日が過ぎても咲かない桜を眺めながら、彼女は言った。


「戸倉さんがさ、君の眼が死んでいるようだ、って言ったじゃない」

「……言ってたな」


 なかったことにしたかったのは、僕と戸倉さんだけだったようだ。彼女は珍しくカメラを持っておらず、考えてみれば、ファインダーを通さない彼女の瞳をみつめるのは、すごく貴重な機会のように思えた。


「わたし、すっごいわかるんだ、あれ」

「……僕はわからないよ」

「君、自分の写った写真、欲しい?」

「いや、要らない」

「撮られるのは構わないのに?」

「……自分の姿をみるのが、怖いんだよ」

「わかってるじゃない」


 わかっていた。わかりたくない、でも、わかっていた。

 あれだけ化け物と言われ続けてきたのだ、そういうものをみる目で、みられてきたのだ。わかっていないわけがなかった。


「わたし、君を最初にみたときに、思ったの。この人の人間らしい姿を、カメラ越しにみてみたい、って」

「写真部に勧誘してきたのはカモフラージュだったのか」

「そうだよ。気乗りしない選択肢を先に提示されたほうが、君はわたしの本命を選び取ってくれると思ったから」

「……恐ろしいやつ」

「そう、人間は恐ろしいんだよ。知らなかったの?」


 そう言った彼女の背後で、花弁が舞った。


「あ、おい、冬桜が」

「え? わ、え、咲いてる!?」


 冬のとある一日に冬桜は開花する––––––––––そうだ、一日中、だなんて誰も言っていなかった。

 すこし目を離した隙に、冬桜には花弁が咲き誇っていた。


「……綺麗だ」

「いい顔だ」


 彼女の笑顔のほうがよっぽどいい。そう思ったが、声に出すことはなかった。


「できるじゃん、人間らしい顔」

「……僕は別に、しようと思って人間らしくない顔をしてるわけじゃない」

「わかってるよ、もう、冗談だよ」


 彼女はなにも訊いてこなかった。その代わり、


「ねえ、君がどれだけ傷ついてきたかなんて、誰かを傷つけて、そして傷ついてきたかなんて、わたしにはわからない。でも、素敵なものも、いっぱいある、これだけ覚えておいてほしい。綺麗事だとしてもね」


 ––––––––––だから感情を捨てたりしないで。


 しんしんと、静かに雪が降っていた。雪は雨のように、涙を隠してはくれなかった。 誰かとこんなにも綺麗な四季を過ごしたのは、初めてのことだった。

 

「ところで、カメラ、持ってないよね?」

「あああそれは言わないで! 駄目、わたしの頭の中では今、戸倉さんのミニチュアが恐ろしい目でわたしのほうを睨んでるの!」

「僕は、知らないから」

「ああなんて冷たい!」

「冷たい? 今更、そんなこと言われても」

「……仕方ない、携帯だ」

「え? それで満足なの?」

「……ああ、もう、無理、わたしにはそんな妥協はできない」

「諦めるんだな」

「一緒に謝りに行こう!」

「今すぐ?」

「……まさか。桜の散り際まで、心行くまで楽しまないと」

「散り際まででいいのか? 最後までみなくても?」

「いいの、美しい映像だけ覚えていたい、わたし」

「勝手なやつ」

「知らなかったの?」


 ああ、よく知っている。よっつの季節、どれだけの時間を過ごしたと思ってるんだ。


「戸倉さんはきっと、写真なんて撮れないことを知ってたんだろうな」

「え、なんで?」

「あの時、絶対に無理だ、って顔してた」

「絶対撮って来い、って言ってたのに?」

「絶対、がかかっている先は、無理だ、のほうだと思うな。絶対に無理だろうが、撮れるもんなら撮って来てみろ、くらいのものだろ」


 僕の推論は正しかった。季節外れの花見の後に予報室を訪ねると、戸倉さんは綺麗だったろ、と笑った。


「あれは、記録を残されそうになったその年には、咲かない。不思議だろ? カメラを持っていなくてよかったな」


 教えてくれないなんて、と不満げな彼女をなだめつつ、礼を言って予報室を後にした。


「でもなんだか、それはそれで素敵だねえ。君みたいじゃん」

「僕は写りたくないんじゃなくて、みたくないだけだ」

「自分の目で確かめないんじゃ、同じことだよ」


 悔しくて、僕は写真のすべてを現像してくるように言った。


「その言葉を待ってたんだ」


 彼女はまた、素敵な笑みをみせた。


「いい顔だな」

「お、ほんとに? 写真、撮る?」


 それは勘弁、言おうとして、言葉を飲み込んだ。

 今の僕が景色を、人物をファインダー越しにみつめたら、どんなふうにみえる?

 

「お、脈あり?」


 返事はしない。

 代わりに、僕は今までにないくらいの精一杯の笑顔を浮かべてみせた。



fin.


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ファインダー越しの化け物 藍雨 @haru_unknown

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