ファインダー越しの化け物

藍雨

ファインダー越しの化け物 前編



「あなたはどうして、そんなに思いやりがないの?」


 言葉を残して離れていく人の幻影ばかりみる。

 夜は眠るのがとても恐ろしい。


「あなたはどうして、いつも笑っているの? ほんとうは、つまらないんじゃないの」


 僕の心を覗く人たちの、心がすこしも解らなかった。







 あの日も曇天だった。

 小学生の僕と、小学生の彼女。遠くの街へ引っ越していく彼女を想って、女子も男子も悲しんだ。僕も悲しいと思っていたはずだ。

 別れを惜しみ泣いて、また会える日を楽しみに笑うクラスメートたち。僕だけは、なんだか解らないまま。

 泣けないまま、その日は笑えもしなかった。



 中学生の僕と、高校生のあの人。

 好きだと言われた理由も、彼女に付き合おうと言った自分も、解らないまま。

泣いて「人間じゃない」と僕を突き放した彼女のことが、今もまだ、解らない。



 高校生の僕と、高校生の彼女。

 好きだと言ったこの口で、僕は彼女を傷つけ続けた。あまりに通じ合えない感情が、彼女の心を壊して、壊した。

 曇天の下、泣いた彼女は階段を駆け下りて、滑り落ちた。



 死んだ彼女をみた僕の感情が、今もまだ、解らない。



 僕が「化け物」と突き放されるとき、空はいつでも曇っていた。

 僕が感情を見失っているとき、空はいつでも曇っていた。







「ねえねえママ、なんであのこはひとりなの?」

「あの子にはね、ママもパパも居ないのよ」

「どうして居ないの?」

「あの子はきっと、捨てられちゃったのね」



 その日はよく晴れて、とても暑かった。流れる汗が塩辛くて、止まらなくて––––––––––涙だって、止まらなくて。



「あら、駄目よ、ごみは、きちんとごみ箱に捨てないと」

「ごめんなさい」

「さあ、捨ててらっしゃい、ここで待っているから」



 そうやってなんでも簡単に捨てられたら、楽になれるのだろうか。

 そんな風に僕を捨てたママとパパは、すっかり楽になって、今は僕のことなんてさっぱり忘れたのだろうな。––––––––––そうやって、楽になったのだろうな。


 止まらなかった涙の理由と、止められなかった感情を、一切抑えて。

僕は大切だと思っていた電車のおもちゃを、ごみ箱に捨てた。







「ちょっと、こっち向いて」


 学食から出て、次の講義室へ向かおうとしていた僕を呼び止めたのは、気が強く、そして我の強そうな声だった。


「なにか?」

「ちょうどいいや、君、写真に興味ない?」

「写真?」

「わたし、写真部なの。どう、写真撮らない? 楽しいよ」


 悪質な宗教サークルのにおいがして、僕は黙ってその場を去ろうとした。


「あっ、やっぱり、君は被写体だ」

「……は?」

「わたしは君の写真を撮りたい。入るか入らないかは、わたしの活動をみてから決めていいよ」


 その上から目線な態度に戸惑いを隠せないでいると、ああ、と彼女は笑った。


「宗教サークルじゃないよ? みてよこれ、わたしの写真は雑誌で賞もらったんだから」


 彼女は強引にスマホを突き付け、証拠を示す。


「……僕なんか撮っても、なんにもならないと思いますけど」

「それを決めるのは君じゃなくて、わたしだよ。あと、敬語じゃなくていいから、わたしも一年だし」

「……いや、僕は二年だよ」

「ありゃ? そうなの? まあいいや、行こう!」


 腕を引っ張られ、もう抵抗する方が面倒だと思い、僕は大人しく彼女についていくことにした。

 僕になにかが起こる日はいつも曇りだと思っていたが––––––––––今日の日が転機だなんて、もちろんその時は思いもしなかった––––––––––その日は突き抜けるような晴天だった。







「この木、すごいんだ。冬に桜の花を咲かせるの。受験の下見の時にその瞬間に出会って、わたしはひと目惚れしたんだ」


 春だというのにほかの木と異なり、一切の葉をつけていないその木は、学内で有名な「冬桜」だった。

 この木は、冬のある一日にだけ、桜の花を咲かせる。人間の手入れは一切受け入れず、代わりに降った雪をそっと受け入れ、美しい情景を生み出す––––––––––と評判らしい。


「これから春、夏、秋、冬と、わたしと過ごして。そして、この木が桜の花を咲かせるその瞬間、君と冬桜を撮りたい」

「……勝手に決めないでくれ」

「いいじゃない、どうせその様子じゃ、サークルに入ってないんでしょ?」

「悪いか」

「まあ、自分の時間をどうしようと、自分の勝手ではあるけど。わたしは君に干渉しないし、君に干渉してほしくもない。でも、君とすれ違った時、この人をファインダー越しにみつめてみたい、と思った。だから君をわかるため、君にわたしをわかってもらうため、四季を一緒に過ごしてほしい」

「変なやつだな」


 まるでプロポーズみたいだと思ったことは、もちろん黙っておく。


「それは、了解の意だと捉えていいのね?」

「干渉しないんだろう? それならなにも気負うことはないし」

「じゃ、交渉成立、ということで」


 彼女は満足そうな顔をして、今日は帰るから、と去って行った。

 どうせ二日も経たないうちになかったことになるだろう、そう思い、僕は始業のチャイムを聴きながら、講義室とは逆方向へ歩き出した。







「……まったく、見当違いだったな」

「なんの話?」

「なんでもない」


 見当違いもいいところで、最初に彼女と出会った五月の晴れの一日は終わり、もう季節は夏を迎えていた。


「ただ一緒に居るだけなんて、馬鹿みたいって思う?」

「なにも思わないな、なにかするわけでもないし」


 僕はただ普通に日々を過ごせばいいだけだ。一年前となにも変わらない……彼女が隣にいること以外は。

 彼女は僕の日常にふと現れ、シャッターを押し、満足するとふと姿を消す。絵になるような人間ではないという説得は、当然聞き入れてもらえなかったので大人しく撮られている。ほんとうに、それだけだった。


「はやく冬になってしまえ、って思う?」

「なんで?」

「そしたらわたしに付きまとわれることもなくなるって」

「冬桜を撮れたら、終わりなの?」

「そんなことひとことも言ってないけど」

「そういうことだよ」

「……なんか、たまに、変なしゃべり方するよね、君」

「僕のことを君、だなんて呼ぶような人に言われたくはないけど」

「お互い様、か」


 そういうことだよ、目を向けると、彼女とファインダー越しに目が合った。

 にやりと笑った口元が、カメラの代わりにぱしゃりと言った。

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