E2のバックエンド
知らないプログラムが眠っている。
誰が創ったのか。いつから組み込まれていたのか。何の記録もない。解析の仕方も分からない。
分かっているのは〈名称〉だけ。
〈ARK〉――アーク。
*
〈回帰プログラム〉によって、バックエンドへと吸い寄せられていくE2の〈目〉と〈耳〉になって、ソウスケはネットワークを渡った。
暗い海のような仮想空間が続く。稼働中の数字の配列が視界の端を流れていく。E2のプログラムは無言だ。思考回路は形成されているらしいが――いじれば、しゃべったりするのだろうか。
しかし〈不能〉状態とはいえ、下手にシステムに接触すればどんな反撃に遭うか分からない。リスク回避のためにソウスケは手を出さなかった。何にせよ、E2の背後にいる者の正体はもうすぐ判明する。
E2も、E2の開発者も、絶対に野放しにしてはおけない。楓花をどこかへ連れ去ろうとしたのだから。いまだに恐ろしいことを企んでいるのかもしれないのだから。
その楓花は――最後の記録として残っていたマスターの情報は――ソウスケが知っている小さな楓花とは姿が違っていた。
彼女は大人の女性だった。面差しは母さんに似ていた。ソウスケはすでにアンドロイドのボディを操作していた。いつかは
たとえ戻らなくても、せめて――一つだけ知りたい。
リアルから声をかけてきた楓花は、一体どんな姿をしていたのか。どんな表情で、こちらを見つめていたのか。
そのとき、ソウスケの視覚領域にまぶしい光が飛びこんできた。直射日光のように鋭く、熱を帯びた閃光――。
再び目を開けたとき、そこには巨大なメインフレームが広がっていた。
黒々とした、集中管理型の大型コンピュータ。人間が形成する大きな組織、企業などに設置されるものだ。
しかしその規模は――想像を絶する。
ソウスケのデータに記録されている一般的なメインフレームとは、大きくてもせいぜい三メートル幅の立方体で、それもオフィスの一角内に収まるように設計を施されたものだ。
だがいま目の前に広がっているのは、メインフレームの群――大都市を構築しているかのような、メインフレームの巨大な集合体だ。
偽物の映像でも見せられているのかと疑った。しかしスキャンをかけると実物なのが分かる。どのメインフレームも稼働していて、ビックデータを内包、驚異的なスピードで解析し、各フレームにいまも〈演算〉済の情報を流しこんでいる。
E2のプログラムがその中の一つに吸い寄せられていく――ソウスケはそこでプログラムの動きに一時停止をかけた。録画はすでに開始されている。
とはいえ、機械的な処理音しか拾い上げることはできない。
一体、この施設はどこにあるんだ?
新型人工島か?本土か?それとも国外?衛星をハッキングしたら特定できるだろうか。
開発者は……誰だ?
《オカエリナサイ……》
機械的な女性の声が聞こえた。
《データヲ、コチラヘ……》
E2に呼びかけている。データを蓄積したE2のプログラムが声の元へ帰ろうとするので、ソウスケはしっかりとプログラムを制御した。いまE2に呼びかけた相手は、十分な対話能力を持つAIだろう。思考回路も確立されているはずだ。
E2がしゃべらないことは分かっていたので、ソウスケはE2のデータを分割してホストコンピュータへと流しこんだ。データには偽の交戦情報と自作のコンピュータウイルスを仕込んである。このウイルス転送指示は、記録削除を行う前の〈ソウスケ〉から託されたものだった。
送り込んだコンピュータウイルスは、起動させれば繋がっているメインフレームすべてに感染し、〈
開発者が警告表示に気づけば、〈
記録削除前のソウスケが創り上げた最後の〈攻撃プログラム〉。
このウイルスの仕組みについての説明を目にしたとき、ソウスケは〈ソウスケ〉の激しい怒りと憤りを感じた。AIだけでなく、人間を傷つける可能性もある悪意あるプログラム――その開発者への警告と、宣戦布告。
マスターを――楓花を危険な目に遭わせるのなら、こちらも一切容赦はしない。
ソウスケが創り上げた〈破壊〉のウイルスは、解析も複製もできない仕組みになっていた。いまのソウスケには、どうやってそんな細工を施したのか理解できない。
が、自分の中に〈未知〉の性能が眠っていることだけは確かだ。
E2からの偽データを受け取ったメインフレーム内人工知能が、電子音を発した。
《ヨウヤク、アエタノデスネ。シッカリウゴイテルヨウデ、ヨカッタ。アレガ、アナタノ、オニイサン、ナノデスヨ》
機械的な声で、なおもE2に語りかけている。
《ワタシノ〈アーク〉……ワタシガ、イチバンハジメニツクッタ、ワタシノダイジナプログラム……イマハ、アノコダケガ〈アーク〉ヲ、モッテイル。デモ、イズレ、アナタタチニモ、キット……》
――違う。僕の――ソウスケの話じゃない。別のAIの話だ。
《アノコハ、イツカ、モドッテキテ、クレルカシラ……〈アーク〉ガ、カイホウサレタラ、スベテ、オモイダシテ……ワタシノ、トコロヘ。アナタタチト、イッショニ……》
――違う。これは――まったく、別の、AIのことで……。
〈ソウスケ〉、のことじゃ――。
《シッカリ、データヲ……データヲ、モットアツメテ。モット、モット、タクサンノ、データヲ。ケンショウ、ヲ。ケイケンチ。ヲ。ガクシュウ、ヲ。……ニンゲン、デハ、ダメ。ジンコウチノウ、ハ、ジンコウチノウ、ガ、ツクルモノ。ニンゲン、ハ、ニンゲンシカ、ツクレナイ。〈アーク〉、ニンゲン、ニハ、ツクレナイ。ジンコウチノウ、デナケレバ、〈アーク〉ハ、ツクレナイ》
確かに、言った。
人工知能は、人工知能が創るものだと。
〈アーク〉は、人間には創れない、と。
人工知能でなければ、〈アーク〉は創れない、と。
でも、そんなことができるはずない。AIがAIを創る。しかも、完全自律型のAIを――そんな技術は、この世界ではまだ、確立されてはいない。
いや、でも、もしかすると――――。
《ダカラ、アノコハ、カナラズ、モドッテ……ワタシノ、〈アーク〉ハ、カナラズ、モドッテ……ツクッテ、クレル。アタラシイ……ヲ……テニイレテ……カナラズ……ココヘ……モドッテ……》
ソウスケはコンピュータウイルスを起動させた。
操作しているE2からの偽データを取り込んだホストコンピュータが、一度だけぶるっと震えた。停電した大都市が光を失っていくように、電源が次々と落ちていく。接続されている他のメインフレームも動作を停止させ、黒々とした壁となってフリーズしていく。
やがて辺り一帯は、無音の墓場と化した。
機械的な女性型人工知能の声は、二度とソウスケの耳に届くことはなかった。
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